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「メロンを運ぶ」は「愛する」の同意語である(断言)

職場で小さいメロンをもらった。
私はメロンが好きじゃない。
誰かにあげようと持ち上げて、ハタと思い出した。そういえば夫が好きだって言ってた気がしないでもないなぁ(曖昧)。

メロン片手に考える、持って帰れるかなぁ。

小さいメロンをカバン(四角いショルダーバッグ)に入れてみたら、ありえない形になった。
ありえない凸を有したカバンを担いでみたら、もっとありえない形になった。肩に食い込む。

そっとメロンを取り出した。

パティスリーの紙袋(防水加工のしっかりしてるやつ)に入れてみた。…持てなくは無い。
外は雨。
帰りに靴を買って帰ろうと思っている。

紙袋を持ったり下ろしたり持ったり下ろしたりしながら、夫が「おいしい」という時の顔を思い浮かべた。

私がメロン好きで無い為、結婚して5回もメロンは食卓に上がっていない。し、そろそろ苺が美味しい季節も終わり、最近はまっていた台湾パイナップルも店頭から消え始めている。

重いなあ。邪魔だよなぁ。
メロン、近所のスーパーで買う?いやいや頂き物のフルーツって美味しいんだよな。スーパーの物とは一味違う。

と、しばしの葛藤。
家までは1時間半かかる。

夏、同じ方に同じ様な大きさの小さなスイカを頂いた事がある。
私はスイカが好きで、夫はスイカが嫌いだ。その時はあまり考えずにスタッフにあげた。

意を決して持って帰る事に決めた。
ちょうど意を決するにギリギリのサイズの小さなメロン。

自分が食べないメロンを持って帰るってこれはもう愛だ。
小さなメロン。
お手頃な愛情。

メロンも愛もほどほどが良い。

(ちなみに最近のパティスリーの紙袋ってどこもしっかりしていて、ケーキを包むこれも愛だなと思う。)


帰ってきた夫に「メロンを貰ったから、(はー大変だったの雰囲気を存分に込めて)持って帰ってきたよ。メロン好きだったよね?」と少し強めに聞いたら。
「えっ!…う、、うん、スキ?」と目を泳がせていた。

押し付けるタイプの愛って、えてして的外れだ。

メロンは追熟が必要らしい。何度もお尻の部分を触られながら(食べ頃には柔らかくなるとの事)、匂いを嗅がれながら、今、愛という名のメロンはキッチンで出番を待っている。

食べる頃にはきっとこいつは(私の中でも)ただのメロンになる。普通に切り分けて普通に夫に出すだろう。

きっと夫も「おいしい?」って聞いた嫁に平気で「普通」とか「微妙」とか言うようになるだろう。

もう本当に、愛情ってそんなもんだろう。


靴は買った。
靴屋のお姉さんが、荷物おまとめしましょうか?と聞いてくれた時、焦って素直に「あ、メロンなんです」と言ってしまった。
「え…う、羨ましいですー」って少々頑張って答えてくれた。

世の中は愛に溢れている。

2022.2.26

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