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これからも歌うけれど。(ノッポさんの事)

2023.5.10 水

 道徳の授業で教育テレビを見れる日はスペシャルだ。

 子供の時、我が家のテレビ権はほぼ大人にあった。
 大人達(父母)の頭には子供に忖度するとかご機嫌をとるとかは皆無だったし、子供のための子供中心の生活なんて送るべくも無い。
 幼い頃の車なんてエアコンの付いていない夏激あつのスカイラインGTR、いわゆるハコスカ(父の趣味大爆発)だったぐらいで、旅はいつも苦行だった(そのくせ、車を『走らせる』のが我が家の旅だった)し、子供の頃父が家に連れてきた『新しい友達』は小指が無かった「面白え奴がいる」って悟空か。(後に発砲事件を犯したかなんかで捕まる。子に近づけて良いのか)。

 つまりは我が家に生まれるという事は、この世に子供が選べる物事なんて何一つ無い事を知るという事だった。(あの頃家庭は世界だった)

 だから私は本当はウゴウゴルーガも知らないし、ポンキッキも見た事ない。ガチャピンとムックが本当は何者なのかもわからない。なにあいつら?妖精?動物?虫?めっちゃ原色じゃない?
 歌のお姉さんを知ったのは、お姉さんより幾分自分が歳上になった頃だ(歌のお姉さんって昔からいたのかな)。

 知っている様な顔をしていたけれど。

 保育園児だったので、子供番組放送の時間に家に居なかったというのも大きいかも知れない。たまに昼間母の休憩室にいても(学校帰りはいつも母の薬局の休憩室にいた)、テレビでは大人が好むワイドショーか、(子供の目にはドロドロとした様相の)昼ドラが流れていた。

 だから、教育テレビを見る事が出来るのは学校の道徳の授業か(スペシャルスペシャルデイ)、年に1日程度の風邪で休んだ日だけ。風邪で休んだ日だけは母が少し甘くなる。それだって日がな一日見せて貰えるわけでは無い、母にだって毎日見る『母が見たいテレビ番組』があるのだし、一回でも見逃したら昼ドラは恋人が変わったりするからね(しらんけど)。

 その上教育テレビは大人にはひどく退屈なものらしいかった。

 あんたは本当に3チャンが好きね。呆れたように、憐れむようにため息を吐く母を思い出す。好きだよと開き直るにはあまりにもまだ子供だった、俯く私と一緒に。

 厳選して、懇願して見た数本の教育テレビ。その中にできるかなはいつもあった。

でっきるっかな、でっきるっかな、さてさてうふー。
でっきるっかな、でっきるかな、さてさてほほー。
でっっきーるっっかーーなぁーー

できた!!

私の記憶の中のできるかなの歌


 ノッポさんは子供の頃からノッポさんで、工作がめちゃくちゃに上手くないところが良かった。いつも、『ちょっと器用なお友達』と変わらない出来映えのノッポさんは(時々工作も失敗して力技じゃんみたいな時もあって)、完璧じゃない分、完璧にお友達だった。

 今日、のっぽさんの訃報が目に飛び込んできた「高見のっぽ」さん。ノッポさんはノッポさんだから、これは違うのっぽさんかなぁ、違うのっぽさんも居るんだなぁと思ったのだけれど、高見のっぽさんはノッポさんだった。

 ノッポさんの苗字をのっぽさんが亡くなってから知るなんて、ノッポさんにひどく失礼だったなぁと思う。でものっぽさんは気にしないだろうな。ノッポさんだし。
 のっぽさんはイメージを壊さない為に他の仕事のオファーを断るぐらいノッポさんだったらしいし。


 高見のっぽ様、稀に稀にしか見れない教育テレビで私が選ぶのはいつものっぽさんでした。もうこれは求愛と言っても良いでしょう。
 いつだってテレビの中のあなたに会いたかった。
 あいしてる。ありがとうございました。


 心の中でノッポさんにさよならをする。なんだか少し、大人になった(なってしまった)気がする。
(いやもう40代なんですけどね)

 いまだに、料理を作りながら「でっきるっかな、でっきるっかな、さてさてうふぅー」って歌っている時がある。し、

 これからも歌うけれど。


調べてみたら、ちょっと歌が記憶と違うっぽいです。


読み返してみたらあんまりだったから…
母が見ていた昼ドラもワイドショーも、火サスも大好きな子供だった事を追記しておきます。
小1から寿司はサビ入りだったよ。

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。