田園に死す 見た 書き殴る

Twitter見てたら「雛壇が流されてるgif」が流れてきて、なんぞこれと思ったら『田園に死す』のワンシーンだった。

U-NEXTで配信されてたから見てみたら凄く面白くて、ていうか↑のシーンだけじゃなくて全編パンチのある映画だった。
全体的に性嫌悪の霧がかかったような、でも性的な雰囲気が良い意味で気色悪かった。子供の頃に不適切な性描写に触れて吐き気がした時のようなショックをまた味わえた気分だった。

この感じがもっと尖っていったのが(美しさに振り切っていったのが)耽美って概念なのかな、違ったら申し訳ないけど。

あらすじとか面倒だから書かないけど
「自分の幼少期を映画にしたらめちゃくちゃ美化して作っちゃって、自分の事なのに自分の事じゃないような感覚に陥って落ち込む。」って主人公が話すシーンがあって

わかる!それ自分の卒業制作の時も思った!ってなった。めっちゃ烏滸がましい。全ての始祖である寺山修司に「わかるぅ〜!」ってテンションで話しかけちゃった。
自分の過去を作品にした時、作品としてのクオリティを高めようとすると、逆に段々と自分の手から離れていく感覚になる。俯瞰で見過ぎて他人事になっていく気がする。
そうすると作品から切り離された自分はなんなの?って思ったり、出来上がった作品は本当に自分なの?って落ち込む。

『田園に死す』では、その「美化した過去」の後に「実際の出来事」が写し出される構成になってて
↑の雛壇は後者の出来事。
美化した過去の中では、亡くなった赤ちゃんは村人みんなに可愛がってもらって良かったね〜って感じだったから尚更辛くなる。
あとこのシーンだけやたら画面がピンぼけしてて、撮影のために川に潜った人も可哀想だなと思った。

後半はそんな感じで、赤ちゃんは死ぬし主人公の駆け落ちは失敗して好きだった人妻は共産党の男と心中するし近所のサーカス団の女も亭主に浮気されて独りになる。
散々すぎる。失いすぎ。

でも主人公の母親だけはずっと側にいるのが怖い。
むしろ一番最初に手放した方がいい存在に思える母親だけが最後までずっっっっっと主人公と一緒。
主人公の包茎手術に大反対し、異様にベタベタと触ってくる気持ち悪い母親。
主人公はなんやかんやで殺そうと思ってたはずなのに(⁉️)結局ずっっっっっっと一緒に飯食ってる。味するか?その飯。

そういえば「美化した過去に落ち込む」話をしてた時に、「いや、その自分の中の過去すらも編集できて本当のアーティストだよ」的な事を言われてたけど
この主人公の場合は失われた人の存在を無視する事になるから、それは出来ないんじゃないかな…
ていうかしたくないよね…
てか別に、事実と作品両方を心の中に置いてあっても良いんじゃないの?『過去:リメイク版』を心の棚の中に入れておきな?ってめっちゃ思った。
私もそうする。おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?