書活290日目*郷に入れば郷に従え、は大事にすべき言葉です。
舞台で電飾うちわ!?
皆さんは、観劇をされたことがあるでしょうか?学校などでも一度や二度は、大小さまざまな観劇をしたことがあると思います。
ところで、ことわざに「郷に入れば郷に従え」そんな言葉があります。
ちなみに英語(キリスト教圏)では「when in Rome, do as the Romans do」ローマではローマ人のようにしなさい。
「郷に入れば〜」は、中国から伝わった禅宗の教え「入郷而従郷」が由来で、アジアの各国でも由来は不明ですが似たような言葉があるようです。
つまり、言葉は違えど似たような言葉が世界でも言われてるということです。
舞台で電飾うちわを掲げたファンに苦言を呈した演者がいるというネットニュースを見ました。彼は舞台出演をすることを最後と決めて挑んだ舞台だったそうです。そんな思い入れのある舞台、それをとあるアイドルのファンによって踏み躙られた思いになったでしょう。
最後だろうが、なんだろうが、場所をわきまえない行為はファンと言えるのでしょうか?
推しのために推しを応援するのならば、推しに恥をかかせぬように「郷に入れば郷に従わない」といけないのではないかと思うのです。
20代の頃、世田谷パブリックシアターにて「ハムレット」を観に行きました。こちらは男性だけが出演されるという面白い試みでした。
ハムレットと言えば、ヒロインのオフィーリアをはじめ、ハムレットの母親ガートルードなど、女性がキーとなる作品でもあります。
主演のハムレットは、野村萬斎さん。ガートルードが篠井英介さん、その他にも私の大好きな植本純米さん(当時は植本潤名義でした)が出演されるということで、当日券目当ての飛び込みで観劇。
チケットは完売していたので立ち見でした。ハムレットという作品を舞台で見るのはこれが初めて。野村萬斎さんの所作がもう美しすぎて、ため息しか出ませんでした。
話が進んでいき、いよいよヒロインオフィーリアが登場。その少女は少女だったのです。男性ばかりのはずなのになぜ女性が!?
骨格から何から何まで女性、慌ててチラシを見ると「中村芝のぶ」さんという方が演じられてるようです。しば?しのぶ?女性?頭が混乱したまま一幕目が終了。
購入するつもりのなかったパンフレットを速攻で手に入れてオフィーリアを探します。やはり切長の美しい女性が写っていました。
その方のプロフィールを見ると歌舞伎役者さんだということが判明。その当時まで私は歌舞伎を知りませんでした。
いや、中学校の国語の授業にて「附子」という題目を学習し、ついでに日本芸能について学習することになりました。ビデオで見たのですが、当時は小さなテレビをみんなで見る形。作品は歌舞伎の勧進帳、もう眠くて眠くて・・・おそらく寝ていたと思います。
歌舞伎はつまらないもの、そんな風な印象しかありませんでした。けれどオフィーリアを見たあと歌舞伎ってなんだ!?と驚きと衝撃を受けました。
それから数か月後のある日、ついに歌舞伎デビューを果たします。
どうやってチケットを購入すればいいのかわからぬまま、ひとまず東銀座にある歌舞伎座へ行きました。その時同行してくれたのは両親です。
とにかく何をどうしたらいいのかわからない私たちは、当日券があるらしいという情報を元に係の方に聞きました。
周りは歌舞伎ファン歴の長い方ばかりの様子。そんな中で素人丸出しの私たち、でもそこは歌舞伎を一目見たいという外国人観光客のかたもいましたし、何組かは私たちと同じ方もいらっしゃっていました。
一安心、いよいよ観劇する時刻。その時は立ち見でしたが、仕方がありません。はやる気持ちを抑えつつ作品を堪能します。
演者が登場すると頃合いよく聞こえる「◯◯屋!」「◯◯」の声。や、やりたい!そんな思いを抱きました。
言おうか言うまいか悩んでいると突然がなり声で「中村屋!」と聞こえて来ました。私のいたところから近い方のようでした。
すかさず母が耳打ちしてしました。
「屋号が違う」
え!?やごう?何のことやらわからなかった私に幕間で母がパンフレット(筋書き)を見せてくれました。指差したところには、役者それぞれの名前、そして◯◯屋の文字。
「これが屋号、あの人は◯◯でしょ。違うんだよ。それにタイミングが合ってない。」
歌舞伎初見のはずの母が詳しく教えてくれました。
余談ですが母はテレビ、ラジオ、新聞などのメディアに加えて、本をこよなく愛する人です。彼女の知らないことはないのではないかと思われるほどの情報通。そんじょそこらのコメンテーターも驚きの発言をすると娘は思っております。親バカならぬ子バカです。
ということで知識豊富な母により「屋号」その屋号を役者にかけることを「大向こう」と知りました。
こんな調子の人間がやるべきではないと判断して、歌舞伎ファンの皆さまの様子を伺うことにしたわけです。
その日は、あの屋号間違い屋さんのがなりはやみませんでした。(その後、観劇タイミングが同じだったようで何度となくその方の大向こうを聞きました。どんどん進化していったのはまた別の機会に)
おかげで、そちらが気になってしまったのですが、私は可笑しいなあと楽しかったのですが、中には不快に思う方もいるかもしれません。
観劇に明確なルールはなくとも、最低限のマナーがあります。件の電飾うちわについては、楽しみたいという気持ちが先行したのでしょう。
ただ、「郷に入れば~」ならぬ劇場に入ったらまずはその場のマナーが何かを様子見しなくてはいけないのではないでしょうか?
その上で、推しのためにできることと言えば、その場所に見合った見方をする。それだけでいいのです。ここでアピールすることではありません。
アピールが欲しい時は、本人も言うでしょう?怪我なく、誰もが楽しめるようにする。それだけで十分、推しのために推しと「時間と空間」を共有できるのではないでしょうか。
もう一言いうと、舞台って演者だけで作り上げるものじゃない。誘導する制作スタッフ、舞台運営する舞台監督、作家、演出家、照明、音響、大道具、小道具、衣装、メイク、ほかにももっといるかもしれません。
その方たちが、たくさんの時間を使ってより良いものを作ろうと何か月にもわたって作り上げてきたものなんです。それを一瞬のワガママアピールのために崩されたかと思うと、私は胸が締め付けられる思いになってしまったのです。
他人の作品は、たとえファンでも穢すなよ。言いたいことは、この一言につきますね。
なんだかなあ、もう。
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