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聞香 ~香道の始まり~

聞香(もんこう)とは、香道で使われる言葉で香木の香りを聞くことをいいます。

香道の世界やお香を扱う業界では香りを「嗅ぐ」ではなく香りを「聞く」と言います。

日本で聞香が行なわれるようになったのは、公家社会から武家社会へと移り変わる鎌倉時代だと言われています。公家での薫物文化から一木の香りのみを深く感じ取る文化が武士たちの間で広まった事が始まりです。

武士たちは沈香を好み、海外から輸入される沈香を競ってあつめるようになりました。
その様子は、天皇が所有していた蘭奢待と言われる沈香が織田信長などの武将たちによって切り取られた事からも窺えます。

また沈香は、自身で使用するのみでなく高価な贈答品としても扱われたようです。

鎌倉末期の香木のコレクターとして有名なのが、佐々木道誉(ささき どうよ)で婆娑羅(ばさら)大名と呼ばれている人物です。婆娑羅とは派手に振る舞う事を言います。

「太平記」と言われる書物には花見の際に、佐々木道誉が一斤(約600g)の香木を一度に焚き上げたと書かれています。
通常香木は一回に1gにも満たない量を焚く事からも、婆娑羅大名と呼ばれる由縁が窺えます。
一度に沈香などの香木を大量に焚く事を婆娑羅焚きと言われますが、ココから生まれた言葉になります。

佐々木道誉の香木のコレクションの数は約180種類と言われており、これらの香木は足利義政に渡ったとされています。

室町幕府八代将軍である足利義政も香木のコレクターであり、かなりの香木を集めていたようです。蘭奢待も切り取り銀閣寺で聞いていたと言われています。

東山文化の中心人物であった足利義政は、公家の三條西実隆や武家の志野宗信らに命じて、持っている沈香を香りによる分類分けをさせ、「六国五味」と言う分類規準を作らせました。その中で、薫物合わせの作法などを取り入れ一定の作法や決まりを作り、三條西実隆を開祖とする御家流と志野宗信を開祖とする志野流の二大流派が生まれ香道の基礎が出来上がったのです。


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