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短編小説『眠っているあなたを見ているのが好き』

裕司が眠っている。

私は、傍らでずっと裕司の寝顔を見ている。

夜は眠れないと言っていた。それが嘘のように眠っている。

昼間、私が側にいる方が良く眠れるそうだ。

私にとって、それは喜んでいいことだろうか。複雑な心境になる。

検査ばかりが続いて、やっと治療が始まった。

それで、元気になって行くどころか、見る見るうちに痩せてきた。

皮膚が、合いびきミンチのような色になってきた。

顔は、ヨードチンキを塗られた後のような黄土色になった。

入院して一ヶ月も経っていないのに、すっかり病人の姿になってしまった。

裕司から、若さを取ってしまうとこんな風に見えるのかなと思った。

そんな裕司を見るのが辛い。

口には出さないけれど、裕司が裕司でなくなって行くのが辛い。

無理をして、いつも通りにふるまおうとしている裕司を見るのが辛い。

だからこうやって、眠りについている裕司の顔を見ているのが好き。

裕司も、私が側にいて思い出話をしながら、眠りにつくのが好きみたい。目をゆっくりと閉じて、思い出に浸ろうとしながら、そのまま眠りにつこうとする時の顔が、何とも言えずに満足そうに見える。

私は、そのまま眠りについている裕司に無言で話しかける。

初めて出会った時の事とか、私の家に来て両親の前で結婚をしたいと言うことがうまく話せなかったこととか、思い出話をするのが好き。

眠りについているけれども、裕司には聞こえているような気がする。

スターダストレビューのライブの途中で、不覚にも私は泣き出してしまった。

後になって、私はそれを深く反省した。

裕司は、もっと泣きたいはず。裕司は、もっと辛いはず。でも、それを一切出さない。

そんな裕司を見ていると、私はもっとシッカリしないと駄目だと思う。だから、私は誓った。

裕司の前では決して涙を見せないと決めた。

裕司が眠っている。

私は、傍らでずっと裕司の寝顔を見ている。

思い出に浸りながら、泣いて良いでしょう。

裕司が寝ているから、思いっきり泣いて良いでしょ。

寝ている裕司の顔が、春の日差しが差し込んだように綻んだ。

楽しかった時の事でも、夢を見ているのかしら。

若い頃のまだ肩まで長髪だった裕司のはにかむような優しい笑顔。

その笑顔、最近見た。

そう、この前単身赴任先の大阪に行った時に、その笑顔を見た。

偶然に、香田さんという同じ会社の女性と歩いている時に、見せていたあの笑顔と同じ。

その帰り道、香田さんの名前を出した時の裕司の横顔。

香田美月さん。

礼儀正しい娘さん。色白の美人。浴室に残された黒髪の持ち主かもしれない人。

嫉妬よりも、彼女の若さに引け目を感じる私。

別れ際の悲しそうな目。

通りに佇んで何時までも私達を見送っている姿。

お惣菜を彼女のマンションに届けた時の零れるような笑顔。

 若い頃の私の面影。

また、香田美月さんに会いたい。

「裕司、あなたもそうでしょ」

裕司の口元が一層緩んで、「そうだよ」と、答えたような気がした。




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