「同人誌を出すと上手くなる」は本当か? 〜上手くなってから本を出したいと思っている人へ〜

「もっと上手くなってから本出す」論争がTLを賑わせているわね!ということで、この「同人誌出したら上手くなる」論争について、高田個人の考えをぶちまけようと思います。

「もっと上手くなってから本(同人誌)を出す」という言葉は、同人活動をしている人間は意外とよく言われる言葉だったりします。

なぜか。
それは、同人誌を出したことのあるオタクはすぐに「本出さないの??」と聞くからです。
私だけ???私だけか。私だけだったらごめんね。

とにかく、私はすぐ「本出しなよ!!」と言いがち。
何故なら、同人誌を出すという行為ははちゃめちゃに楽しいから。
楽しいからいろんな人に気軽に経験してほしいという気持ち2割、お前の出した本が欲しいという欲望8割で軽率に言ってしまうのです。
しかし、別にここに「本を出さなきゃ本当の活動者じゃない」というような気持ちは微塵もありません。

しかし、それは果たして相手にとって良い言葉なのでしょうか?


一章:「上手くなったら本出す」と言われる側の、同人誌出してるヒューマンたちへ


バク転は一度できてしまえば怖くないと言う。
一度できたらコツを掴んで何度でもできるようになる。もちろんバク転をすることで抱えるリスクはできるようになる前とは変わらないけれど、そのリスクをどうすれば回避できるかなどの技術が身に付くし、バク転という行為の面白さや新たな技への道筋が見えてくる。

同人誌を出すということも、まっことこの通りなのです。
自分のレベルでは売れないかもしれないとか、サークル参加申し込みや印刷所の選び方がわからないとか、印刷方法や入稿データの作り方とか、紙の種類とか、サークル参加のためのあれこれだとか、いろんなことを一度経験したら「意外と簡単にできたな!大変なこともあったけど!」となる。
そうなったら2度目のハードルは途端に下がっていく。
人はそうして成長していくのです。

だからこそ、経験者はまっさらな初心者に言ってしまう。
「本出しなよ!」と。


同人誌を出したオタクは、すでに出したことのない人よりも「本を出す」というステージに到達しています。
しかし、だからと言って別に「我々はもうこのステージに立っているが貴様は地べたを這いつくばって愚かだな!!」などと蔑んでいるわけでは一切ないのです。

何なら、全身に誘導灯をくっつけて全力で道案内する気満々だったりします。

だって君の出す本が見たいんだもん!!!!!!!!!
そんな気持ちなのです。
いやほんと割とマジで。

しかしこれは、登山が大好きな人が「山登ろうぜ!」と言うのと同義であることはまず言っておきたい。

山を登ったことがない皆さん、登山しようぜ!と言われた時に脳内をよぎるものは何だろう?

・体力が足りてない
・準備が大変そう 
・お金もかかりそう
・虫やクマが怖い
・ルールやマナーがわからない
・海の方が好き

こんな風に、実際に始めるとした時に想定される大変なことや苦手なことが脳裏をよぎりませんか?
もちろん「やるやるーー!!!なにすればいい?準備すっべや!!」と即立ち上がれる方もたくさんいるでしょうが、まず一旦そこは座って耳を傾けてほしい。

要するに、まっさらな初心者にとって本を出すということは、登山しようぜ!と言われた時ということと同じくらい色々考えるレベルのことだと思った方がいいのです。

ぶっちゃけると、「上手くなったら本を出す」というのは、善意による押し付けをかわすテンプレートな側面もあると思います。
「いやー体力ないから、山登れる体力ついたらやるわ」と同じというわけですね。
なので、「上手くなったら本を出す」という言葉は、同人誌出してるヒューマンたちはあんまり深く受け止めない方がいい。
深掘りしたら、お互い不快になるだけだから。

じゃあ、こう言われた同人誌出してるヒューマンの正解は何なのか。
本を出して欲しいと思うくらい相手の作品が好きなら、毎回褒めまくれ。好きなところを語れ。何でもいい。よすぎ!最高!!お前は天才!!とかでもいい。そこに本当の気持ちがあるなら長文じゃなくてもオールオッケーです。
めちゃくちゃ褒め賛美してウキウキを育てたところで「本になるならぜひ買いたいです!」と言うのも手。
でも人によっては不快になるかもしれないし、何度もねだったりするのもダメなので気をつけよう。押しつけにならないように注意しましょう!



第二章:本当に「上手くなったら本を出したい」と考えている人たちはどうしたらいいか。

まず初めに、以下のことをしっかりと主張したいと思います。

「同人誌を出すと上手くなる」と、「上手くなるためには同人誌を出す」はまっったく違う!


まず、この"上手くなる"というのは絵だけに限らないということを宣言していきましょう。
「同人誌を出すと"絵が"上手くなる」は人によります。
しかし、いろんなスキルが身に付くし、何より新しい楽しさを知ることができるきっかけになる。そういう意味を包含しているのです。
例えば創作技術であれば、コマ割だったり画面構成だったり、表情の表現や言葉の組み方だったりさまざまだ。小説なら文章構成や表現、言葉の知識も増えていく。
また、制作したものを印刷して本という形にする行為もまた新しい知識や技術を獲得できる。印刷所に入稿するための原稿作成のノウハウや、紙の種類、自分でコピー本を作るなら本の仕組みもわかる。

そうした技術獲得や"積み重ね"の手段の一つに同人誌がある、ということなのです。
そして何より、同人誌を出してサークル参加をするという一連の"遊び"は楽しい。そういう気持ちになれたら、積み重ねる機会は一気に増えていく。

そういう仕組みが「同人誌を出すと上手くなる」ということなんです。


しかし、「上手くなるためには同人誌を出す」は手段が目的になってしまう。
上手くならなければ、という枷を最初から抱えてしまっている人にとっては辛くなるだけだからこの考え方はしないほうがいいと私は思います。
"上手い"というレベルが自分のレベルと大きく剥離している場合、どれだけ頑張っても到達しないどころか他者の評価が如実に目に見え、本来気にしなくてもいい"手に取らない層"が「自分にマイナスをつける存在」になってしまう。
同人誌は宿題ではない。試験でもない。しかし、「上手くなるために出す同人誌」は宿題や試験になってしまう。
そんな形で無理やり出すものに何の楽しさがあるだろうか。

そもそも、同人誌とは、趣味の範囲で楽しんで出すものなんですよ!

ぶっちゃけ子供が公園で作ってる泥団子と一緒なんです。
泥団子はピッカピカのまんまるツヤツヤなやつでなければいけないなんてことないでしょ?
お花を飾る人がいたり、表面に顔を描く人もいたり、小さい団子をたくさん作る人もいれば、巨大な団子を重機で作る猛者もいる。そういう遊びなんです。
(その泥団子を他人にぶつけたり、人の家に叩きつけたり、毒を入れたりしたらもちろんダメですが)

なので、「上手くなるための指標として同人誌を提示する」という行為は自分は全く好きではありません。
同人誌は、うまかろうが下手だろうが、作り手が作りたいと思ったものを(ルールの範囲内で)自由に作れるもの。
だから、「上手くなるために同人誌を出す」という言い方は、「上手くならなければ同人誌を出す意味がない」という縛りにもなりかねません。
だから私はこの表現は適切ではないと思うのです。

そして、絵や文章が上手くなければ批判される、という恐怖に怯えている方は、一旦落ち着いて考えましょう。
自分の価値基準的に興味がないものや下手だと思う作品全てに「下手くそ」「やめちまえ」と言った言葉を相手に直接言いますか?
言わんでしょ。言ってたら即刻辞めろという話ではありますが。

とにかく、自分の興味ない作品や"好きに当てはまらないもの"は意識もしないというのは当たり前のことです。
つまり、自分の作るものが見た人全てから評価されるわけではないということは頭に留めておく必要があります。

同人誌はかき手の「楽しいの具現化」であり、イベントは自分が他人に評価されるための品評会ではありません。
もちろん、作ったものが売れないことに対して寂しさや悔しさを感じることもたくさんあります。それは人間なので当たり前に抱く感情です。
しかし、売れなくても別に構わないのです。本を作ったことがまずすごいのだから、自分の作った一冊は胸を張って「自分が作った本です!」と誇ってください。

それに対して「うわっ下手くそなのに本出すとかw」とか「オフ本じゃなければ本ではない」とか、「最低でも○ページ無いと本とは言えない」とか言い出すやつは、頭おかしい人非人なので相手にしなくていいんです。

普通他人にそんなこと言ったりしない。
そんなこと言うやつは大体本を作ったことがないし、作っていたとしても人間性が終わっているので居ないものだと思って大丈夫です。


最終章:落書きだろうが140文字小説だろうが、紙に書いて折れば本。


今の若い世代、特に20代前半から下の世代の方々にとって、今の同人活動へのハードルはものすごく高いものになっていると思います。
私のような30代以降のオタクたちは、小中学生くらいの時代には田舎でも地元でイベントが開催されていたし、鉛筆で書いた落書き漫画をコピーして折ってホッチキスで止めたものが当たり前に頒布されていました。
コピックで塗った一枚イラストをコンビニでコピーして、家でラミネート加工してハサミで切ったものを100円とかで頒布していた時代です。
なんならデカくて綺麗なラミカ(ラミネートカードの意)は300円とか500円とかしてた。
それに嬉々としてお金を出していたなんと緩い時代だったのだろうか。だがそれで良かった。ラミネーターはホームセンターで2,000円くらいで買えましたしね。中学生のころ買ったやつはいまだに現役です。

誰もが気軽にサークル活動ができる。そんな時代を生きてきたオタクたちは、コンビニコピー同人誌を経て大人になって印刷所に頼む財力と技術を得ました。
とてもいい階段を登ってきたなぁとしみじみ思います。

しかし、先ほども書いたように昨今の若い人たちにとって同人活動のハードルはものすごく上がっていると思います。
SNSにアップするのが当たり前、動画を作れるのも割と当たり前、グッズや本を出すのは印刷所に出したものでないと頒布できない。
そんな「進化したが故に勝手に敷かれた暗黙の風潮」が、とんでもない壁として立ち塞がっている。自分が今中高生、あるいは全く同人活動をしていない大人だったら、「よっしゃイベントでよ!」と気軽に思えたかどうかわかりません。

しかし、先述した通り本来同人誌とはかき手が楽しいと思うものをできる範囲で楽しむもの。
「印刷所に出したものだけが同人誌であり、印刷所で制作したもの以外は頒布してはいけない」というルールは基本的にありません。
(イベントによってはコピー本のみやペーパーのみの参加はNGな場合があるようなので、参加したいイベントの規約を確認しよう!)
また、印刷所で制作したものだからといって頒布していいとも限りません。
アクキーなどの立体物については色々とアレがアレなので、ここでは明言を避けますが、著作権などに引っかかるものを作ってしまったらコピーだろうが印刷所制作だろうが関係なくアウトなので。

とにかく、同人活動は基本的に二次創作は公式の規約を守っていれば、自分のできる範囲で楽しんでいいのです。
自分のできる範囲、と言うのはもちろん人によって異なります。
お小遣いの範囲でできることをする人もいれば、労働で稼いだ金を注ぎ込む人もいます。
時間に余裕があっても薄い本を出す人もいれば、いつ寝てるんだと言うスケジューリングで100P超えの本を出す人もいます。
そこに正解はありません。誰が優等生とかもありません。

優等生か正解かがあるとしたら、印刷所の締切をきちんと守ること。それだけです。

金を出せばなんとでもなるとか言ってるオタクはマジで反省してほしい。
特急料金は金を出せばなんとかなると言うことではなく、「もうこれ超えたらギリギリの時間で社員に無理な労働させなきゃいけないから超過料金取るからね」の意味です。
極道入稿野郎は全員クソカスタマーです。余裕持って入稿しろ。


上手くなったら本を出す、と言う言葉にはいろんな気持ちが重なっていると思います。
しつこいオタクをかわす意味もあれば、出したいけど今は気分じゃないと言う意味もあるでしょう。自分の技術じゃ不安があるから悩んでいることもあるでしょう。別に本を出したいわけじゃないと言う遠回しな拒否かもしれない、いろんな意味を考えるべき言葉なのだと思います。

そして、同人誌を出せば上手くなる!と言う言葉にもまた、いろんな意味があるのです。
単純に絵や文章が上手くなると言うだけではなく、さまざまな知識や技術の獲得ができる、大きな経験になることだからこそ、経験してきた人たちは気軽に本を出してほしいと初心者に対して手招きをするのです。

同人誌は楽しむことが一番。ルールとマナーはもちろん最優先に、しかしそのルールの中に「上手くなければやってはいけない」というものはありません。それだけ知っていれば充分です。

もしこれを読んでいる人がまだ本を出したことがない方で、サークル参加してみようかな…と思ったら、経験者に相談してみてください。
散歩という単語を聞いた犬のように大はしゃぎで色々と教えてくれるでしょう。
経験者の知り合いがいなければ、noteで同人誌tipsを書いている方の記事を参考にしたり、質問箱を設けている方に聞くといいでしょう。

おそらく、いろんなところで間違えたり失敗したりすると思います。
しかし慌てなくて大丈夫です。
箔押しで豪華な分厚い同人誌を出しているパーフェクトすげすげオタクたちも、そうした失敗を何回もやらかしてきて今に至っています。
自分の責任の取れる範囲での失敗なら、自分で責任が取れるんだから気にしなくていいんですよ。

素敵な一冊が世に増えることを楽しみにしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?