5 性犯罪バイアスから産まれた冤罪事件

性犯罪に関しては、バイアスの強さ故に冤罪事件が生まれるということも多い。

通常の判断材料があれまず出てこないだろうというようなことでも、まるで何事もなかったかのように有罪判決が出ているものも多くあるが、すべてを上げると数が多くなるので、代表的なものを取り上げていきたいと思う。


(1)防衛医大教授痴漢冤罪事件

事件が発生したのは2006年4月18日朝になる。

小田急線成城学園前から下北沢駅間を走行中の電車内にて、防衛医大教授であった男性が、乗車中の女性のスカートの中に手を入れて下半身を触る行為をしたということで、強制わいせつ罪で逮捕された事件である。

事件経過に関しては、1審の東京地裁及び2審東京高裁も女性の証言を信頼して有罪判決を下したのではあるが、最高裁では逆転無罪となった事例である。

(イ)判決で指摘されたことについて

本件ではいわゆる微物検査という服の繊維を採取できず客観的な証拠がないこと及び、痴漢被害にあっているのにもかかわらず、再び同じ車両に乗って被告人の側にいたとなどいう不可解な点を指摘。

また、被害者とされる証言が信頼されすぎるという点を指摘し、証言が重視されることで被告人が有効な防御方法を行えないのは不適当であり、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が、最高裁でかつ痴漢事件にて確認された判決となっている。

当時はかなり画期的な判決ではあったのだが、本来なら当たり前のことが当たり前のように行われていないのに、最高裁で指摘されるまで通ってしまったことが大きな問題である。

参照
防衛医大教授痴漢冤罪事件 - Wikipedia

(2)三鷹市バス事件

この事件は、2011年12月22日、JR吉祥寺駅から京王線仙川駅へと行くバス車内にて、同乗していた女性から「スカートの上からお尻をなでた」として津山正義さんが逮捕されたという事例である。

1審で有罪、2審で逆転無罪となったわけだが、本件で問題になる部分は、被告人となった男性の手からは微物検査で服の繊維がついていなかった(しかも、被害者のスカートの繊維はウール製で、繊維が付きやすい性質である)のだが、そのような証拠は取られていなかった。

また、防犯カメラの映像では左手はつり革で、右手で形態をもってメールを打っていたものであり、被害者の体を触る余裕がなかった姿が映っていた。

これだけの状態なら無罪判決は当然なのだが、東京地裁立川支部は被害者女性の供述に無理やり合わせる方向性で判決を出している。
 
体が触れない状況も監視カメラから左手が隠れた短時間の間をとらえて「犯行が不可能とはいえない」などとして、有罪にしてしまったのである。

2審は1審の判決内容には無理があると判断し、なおかつ一瞬左で見えなくなったのも、バスの振動で映像がぶれただけだということで無罪となった。

明らかに犯行が無理であるにもかかわらず、証言だけで有罪までもっていかれた事例と言えよう。

参照
東京・三鷹バス痴漢冤罪事件 

https://www.kyuenkai.org/index.php?%BB%B0%C2%EB%A5%D0%A5%B9%C3%D4%B4%C1%D1%CD%BA%E1%BB%F6%B7%EF

(3)柳原病院事件

この事件は、東京都足立区の柳原病院で自身が執刀した女性患者に対して、麻酔を使って抗拒不能でいる状態において、わいせつな行為をしたとする事件である。

執刀した医師は準強制わいせつ罪で逮捕・起訴され、1審は無罪、2審は何と逆転で有罪という判決であるとされた後に、最高裁にて差し戻しになっている事件である。

本事件で争われているのは、せん妄の可能性とDNA鑑定などにおける証拠収集のずさんさだろう。

まず、せん妄に関するところについては、被害者は当時麻酔を打たれている状態だったので、麻酔の影響によって幻覚を見る可能性があるという医学的知見があるのだが、第2審はその点をほぼ無視して有罪認定を出してしまった。

もちろん、幻覚でない可能性もあるだろうが、疑わしきは被告人の利益にという点を考えると、この点についてもしっかりと立証する必要があった。

そのために、その他の証拠収集もしなければならないのだが、この点もかなりずさんである。

検察側は幻覚ではないという証拠として、被害者の左胸付近に被告人のDNAが検出されたとしている。

ただ、そのことを記している鑑定書も、なぜか鉛筆で何カ所も修正されている跡が見つかっているだけではなく、証拠として検出したDHAの抽出液などは廃棄されており、実際に採取された量などが再検証できないというずさんさを示しています。

もちろん、触診などの際にDNAが付くことはあり得ますので、DNAの検出が必ずしも犯罪をしたという証拠にはならないです。

ただし2審はこれら怪しい点をすべて無視して有罪にしていることから、事実認定も証拠採用もかなりずさんなものだと言えます。

参照

外科医冤罪事件
https://manabe-medical.com/blog/wp-content/uploads/2021/01/%E5%A4%96%E7%A7%91%E5%8C%BB%E5%86%A4%E7%BD%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6.pdf

(4)御殿場事件

御殿場事件は2001年9月16日に当時15歳だった少女が、少年複数人に強姦まがいのことをされたということで、事件として取り扱われたものである。

容疑者とされた少年たちは10人であるが、そもそも被害者とされている少女と直接面識があるわけではなく、せいぜい中学の同級生だった人がいるくらいであった。

少年たちは取り調べ段階では犯行を自白したわけではあるが、公判では警察官から嘘の自白調書を作らされたものとして争った。

というところではあるのだが、本当の問題はここからである。

(イ)アリバイが判明してからの強引な訴因変更

公判中に少年たちのアリバイについて、飲食店の記録や店員の証言、アルバイトの勤務時間の記録が残っている人物がいたこと、当時逃げ込んだとされるコンビニの店主の証言としてそもそもそんな人はいなかったというようなことなど。

複数の事件に対する疑義が生じる証拠や証言が出そろっていた。

これに加えて、9月16日当時出会い系サイトで少女出会ったとしている男性の証言及び形態の電話やメールの履歴により、犯行時間とされる時間に男性とあっていたということが確認された。

この時点で本来なら終わりだと考えられるだろう。

だが、少女は一度うそをついたことを認めながらも、本当の日時を9月16日から9月9日だったと言い始めたのである。

検察側も証言変更に伴って、事件日を変更する訴因変更を請求したに至る。

(ロ)訴因変更の問題点について

本件で問題になっているものの一つとしては、訴因変更を認めるべきではないタイミング及び状態であると批判されることだ。

前述のとおり、被告人側のアリバイは証明された状態であり、ほぼ間違いなく無罪判決が出る段階まで話が終わった話である。

だが、このタイミングで犯行日時を変更するとなれば、今まで集めてきた反証がすべて無に帰してしまう。

もちろんここまで来るのに多くの時間を使ってきたのは言うまでもなく、最初からやり直しを簡単に認めているが、裁判の長期化及び被告人に新たに証拠探しをせよという多大な労力を課すことにもつながっている。

にもかかわらず、裁判所はちゃぶ台返しを自ら行ったのであり、なおかつ有罪にするために不利なものをすべてなかったことにしたに等しいのだ。

まるでスマホゲームでリセマラと言わんばかりの訴因変更を行うのは、公平性を掲げる裁判所が行う所業ではない。

反証を無駄にし、より多くの時間をこれから課すことは、被告人にとって大きな不利益であり、身柄拘束もされている状態なら長期の拘束を強いる行為と言えるだろう。

かような訴因変更は認めるべきではなかったのだ。この点だけでも裁判官の責任は大きい。

(ハ)変更後における供述の矛盾点

9月16日に9月9日と変更した後でも、証言には矛盾がみられるようなことが多くあった。

自白の証拠となっている調書は9月16日のままになっているだけではなく、事件のあった公園では犯行場所の公園内東屋には進入禁止ロープが張られているとされており、横の芝生上で犯行が行われたと記載されていた。しかし、9日にはまだ工事をしているというテープが張られていないことが確認されており、調書ではテープが張られていたという矛盾が指摘されている。

また、9日当時は台風が接近していることが確認されており、当時の御殿場市付近は大雨洪水警報が発令されていた。

また、犯行時刻あたりの時刻(午後9時から10時ごろ)には、犯行現場から550m南部にある気象観測所には午後10時までの降水量は3㎜となっているだけではなく、事件現場から200m離れたところで事故をした記録や当事者の証言からも、雨が降っていたことが確認されている。

この点は雨で服が濡れたかのような証言がないので、矛盾しているのではないか?という争いがあったのだが、第2審は何と現地にたまたま空間が開くように雨が降っていなかった可能性があるため、証言に矛盾はないとした。

その他にも、9日当日のアリバイがある人物の行動も証拠提示されたが、それらも退けられた。

結果として、10人の少年のうち高校2年生だった4人は二審で懲役1年6ヶ月が求刑されることとなり、最高裁で判決が確定したことで、川越少年刑務所に収監されることとなった。

参照
御殿場事件 (dti.ne.jp)

(5)冤罪事件における共通項

冤罪事件をいくつか紹介させてもらったが、冤罪事件においてはある程度の共通する動きがあることが観測される。

(イ)被害者の証言を信用しすぎている

痴漢冤罪の基本というようなレベルではあるのだが、被害者の証言というところに大きな信頼を置きすぎているというところであろう。

ここで取り上げた事例だけでも、御殿場事件のように犯行日時まで変化があるケースにおいて証言には一貫性があるということや、防衛医大教授痴漢冤罪事件のようにほぼ証言のみで証拠がないケースでも、証言を信頼している所がかなり強く反映されている。

普通に考えれば、証言の見や証言自体も怪しい状態で有罪認定するのは難しいだろう。

だが、本来なら通らないことでも通過しそうになるか、通過してしまうということが起こってしまうのが性犯罪事例の冤罪ではある。

性犯罪事案における証言への偏重が起こる原因については、性犯罪そのものに対するバイアスも考えられるが、訴え出たという被害者の強い意志に対する信頼を置きすぎていることも考えられる。

従来、性犯罪はなかなか訴え出られないということが多く、周囲の目や裁判で証言をするのが耐えられないなどの理由により、訴え出ない人も多くいるのが現実である。

そういった状況があるにもかかわらず、勇気を出して証言をするのだから、嘘をついている可能性が少ないのではないだろうか?というバイアスが入るのではと考えられるだろう。

(ロ)証拠を軽視している

冤罪事件において証拠がないような状態や、証拠があったとしても証拠を軽視する傾向が目立つ。

微物検査やビデオ映像で確認できること、当時の記録を確認すれば証言とは全く違うことや証拠がないことが明白であっても、まるでなかったことのように扱われる。

もはや有罪にするために意図的に無視しているのではないか?疑わしきは被告人の不利益にと言わんばかりに、不利な事実認定を強引に否定し、有罪になるストーリーにのっとった認定を優先している。

この点についても、先に挙げた証言の信用性に重きを置きすぎている面も影響があるのだが、証拠という重要な立証方法について本来ならあり得ない対応をしているのは、性犯罪は許されないという気持ちが強すぎるというバイアスもあるだろう。

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