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自分の事⑨30年間の自分の過ちに気づいたきっかけとコロナ禍がくれた転機~超一流の三流人生

色々な事が重なり【なかなか】を引き継ぐ事になった2017年6月1日

屋号もレシピも厨房機器もアルバイトや常連様方まで全て引き継がせて貰っての営業は、素人の私にはとても良い環境だったと思います。

当初は中々売上も上がらず、やっと安定してきたなと思った2019年末
世界中を震撼させた新型コロナウイルスの蔓延が襲ってきます。
我々個人店の飲食店には大きな打撃でした。
何せ営業出来なかったですから…

そんな2021年の夏。
自粛閉店を強いられていた飲食店でした。

この時に大きな三つの出来事が転機を迎えます。

一つ目は
母校であるN高校の8学年上の先輩(当時面識もないが、自分は知っていました)から連絡を受けます。
先輩は両国でもつ焼き屋さんを営む同じく飲食店オーナー。

今度昭和40年会が主催する野球大会があるんだけど出てみない?

との内容。

SNSを通して、こういう大会がある事は知っていました。
関東中心になりますが、高校野球部OB達が当時のユニホームを着てトーナメント方式で一日で試合をやる大会。
死ぬまでに一度で良いからもう一度あのユニホームを着て試合がしたい。と、どこかで思っていたのです。
しかし、私は30年前にOBである事を自分で捨ててしまって交流を怠って来たのです。
N高OB会も一度も出ず、OB会費すら一度も払っていない私は、そんな資格無いので…と一度はお断りしました。
しかし先輩の熱心なお誘いを頂いて一度だけ参加する事にしました。

大会当日
そこには会った事もない先輩や後輩の中、見覚えのある方が。

自分がずっと憧れていたN高校。
自分が中学三年の時の夏の甲子園出場を果たした時のエース【H井】大先輩。
甲子園まで行って応援して来た事がフラッシバック!

当時51歳の【H井】さんはオーラ全開。
お話しもした事がない憧れの先輩。

第一試合【H井】さんが先発すると聞いて、いても立ってもいられず初参加の私は恐れ多くも
「H井さんが先発するなら、1イニングだけで良いから先に受けさせて下さい!」と直訴して使って貰いました。

元々先発でキャッチャーをするはずだった後輩から
「お好みさん、H井さんとキャッチボールしてきた方がいいんじゃないですか?」と言われ、それもそうだと
「お願いします!」とH井さんの所へ。

自分で言い出したものの両手両足が震えてしまい一球目ボールを捕る事が出来ませんでした。
ちょっと泣いてました。

H井さんの球を受けた慶応戦
緊張し過ぎてせすじを伸ばしてる

その瞬間、頭の中で何かが変わりました。

自分が自分の手で捨ててしまった30年間。
今まで何をしてきたんだ…

その30年間を取り戻すかの様に、動かない年老いた身体をめいっぱい使い、声が枯れるまで大きな声で応援し「こんな世界があるんだ…」と衝撃を受けた一日になりました。

色んな先輩方や後輩達と交流を持ち、この日の打ち上げを当店でやって貰い、プライベートでも遠くからOBの方々がご来店下さり今までの事を猛省しました。
OB会に頭を下げ、OB会費を支払いOB会にも初めて出席して更に交流を深める事が出来ました。

その度に先輩方からは
「もっと胸を張れ」
「もっと発信していけ」でした。

この事が一番の転機となったのです。
結局毎年出席している40年会の野球大会。年に一度日曜日を定休日にしている理由です。

二つ目は、うちの次男が中学のシニアチームで野球をやっている監督さんが元プロ野球選手。
自粛閉店中に、暇なら副業で一緒に仕事をしようと監督さんが当時やられていた仕事を手伝って欲しいと声を掛けて頂いたのですが、当時似顔絵を利用したGIFアニメやLINEスタンプ作成のホームページを作成していた所で
「今こういうの手がけてるんで…」とお断りのつもりで監督の現役時代のイラストを描きました

これを見た監督は
「お好みさん、面白いじゃん!プロ野球OBクラブに行こう!」と私をプロ野球OBクラブに連れて行ってくれました。
そして、あれよあれよと言う間にOBクラブ公式のLINEスタンプを手がけたり、大物OBのTシャツ作りに関わったりしたのであります。

当店にプロ野球OB選手のサインが多いのは、当店に足を運んで頂いているからなのです。

これもコロナ禍が運んでくれた大きな転機と言う事になったのです。

野球に興味のない方
すみませんでした。
野球の話しはこれでおしまいです。

三つ目は
遂に、これを読んで頂いている方の大半の共通点にまつわるお話し。

それは次の話しにしましょう。


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