自分の事①幼少期は超インドア派~超一流の三流人生
人生半世紀を迎え、半生を振り返って記録していこうと思います。
私、お好みオヤジは兎に角運動音痴であります∠( ̄^ ̄)
加えて方向音痴も備わっており、モテない男の代名詞を欲しいがままにしてきた【幼少期】
現在のコミュ力は小学高学年より培われて来ました。
私が幼稚園児の時良くありがちな「大きくなったら何になりたい?」の問に対して
「絵描きになりたい」と良く言ってました。
その都度父親から
「そんな食えないもの目指すな」と言われ続け、その頃から父親に対して不満を持つように。
父親は社会人野球まで野球を続けた苦労人
当然私にも野球をやらせたくて色々仕込むも、何せ超がつくほど【運動音痴】
あまりのセンスの無さに早々と諦めた様で。
太っていた事もあり、柔道か剣道を無理矢理でもやらせて運動音痴克服を企んでいました。
そこで母に
「そんなのやりたくない。お絵描き習わせて」と懇願するお好み少年。
初めて自分の意見を言った私に対して、母親は意志を尊重してくれて絵画教室に通う事になりました。
結果小学6年生までの7年間通わせて貰い、その後の人生に役立つ事になったと。
就学後も内向的な性格は治らず、ただインドア派に磨きをかけるべく毎日の生活をダラダラと過ごす事になります。
小学1年生~4年生迄の学校生活に楽しかった記憶が殆どない私にとって唯一忘れられない思い出が【運動会】
私の育った地域では年に2回運動会が行われていました。
春の小運動会と秋の大運動会
運動音痴の私にとって地獄のようなイベント。
特にキライなのは徒競走。
5年生の春までの9度の運動会は全てビリっケツ。
それもダントツ。
どうにかケガでもしないかと思うけど、何せケガをする様な事を一切しておらずその夢も絶たれるのです。
そんな私の趣味は、
お花を育てて花が咲いたら写真を撮る。
花の絵を描く。
父親が持っていたギターを触る。
妹が習っていたピアノを妹に習って触る。
という何とも気持ちの悪い小学生。
そりゃあ友達も出来ませんよね。
寝る子は育つと言いますが、私は無駄に身体が大きかったのです。
もちろん太ってもいましたが。
そりゃあ、当時の学校の記憶なんてものは皆無に等しいかな。
人生の大きな転機
お好み少年に大きな転機が訪れたのは5年生の4月29日
相変わらずお絵描きばかりしていた少年は一通のチラシを目にします。
【三丁目バスハイク~写生大会】
毎年行われる地域子供会の催し物。
当時は天皇誕生日で祭日。
バスに乗って遊びに行こう!をモットーに町会のおじさん達が連れて行ってくれる楽しいイベント。
単純に写生をしたかった私は、初めて参加する事にしました。
何処に行ったかは覚えていませんが、やたら広い公園。
車酔いに耐えながらやっと着いた現地に心躍らせ、持ってきた画板と絵の具を出し颯爽と描き始める。
気づくと写生しているのは私だけ。
あんなにいた子供達は何処にもいません。
友達もいなかった私は特に気にする事なく描き続けていたら、近所のおじさんが
「オマエどこの子だ?」
「三丁目ですけど」
三丁目のバスハイクに来てるのだから三丁目に決まっている。
それでも知られてないくらいに外に出ない子でしたから。
「絵なんて描いてないでこっち来てみんなで遊ぶぞ」
無理矢理連れて行かれた私。
そこには男女20名位が同じキャップ(男子は白×青、女子は白×赤)を被ってビニールボールとプラスチックバットで野球をしていました。
それは少年野球チームのキャップ、女子はソフトボールチームのキャップでした。
何かカッコイイ✨
今まで感じた事の無い感情が芽生えた瞬間でした。
「おい!お好み!お前も入れ」
そう言われてやる初めての野球。
と言うか、初めて体育の授業以外でみんなでする運動が新鮮で楽しかったのです。
雲一つない青空の下、訳も分からずボールを追っかけた草原に何かか弾けた感じでした。
…………
「お好みくん。今週の日曜日から練習に来なさい。」
「やろうよ!!一緒にやろうよ!!」と言ってくれた同級生達に、ただはにかむ事しか出来ない私でしたが、その後の人生を大きく変える一日になりました。
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