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親のことでエグいほど病んだ話

私は現在、申し訳ない罪悪感ベースに生きている。

そして昨日
私は自分が思っている以上に、親離れできていないんだなと気付いた。


高校生くらいまでは親のことを過保護だ、嫌だなと思っていた。
気付けばそれに呼応するように、私も親が見てくれているのが当たり前で、評価を気にして親のことばかり考えて、不満を口にするときはいつも主語に親を持ってきていた。
昔から人の顔色を窺うのが得意だったし、え?違くない?という反応をされるのが今でも怖い。

大学時代のアルバイトくらいで、分からないことはすぐ聞くことや自分の意見を考えて伝えることも必要なスキルだと思って少しずつ出来るようになってきた。

そして今年一人暮らしを始め、これを機会に親へのコンプレックスは消し去るだろうと思っていた。
(ちなみに4駅隣という激チカ物件ですw)


でも思っていた以上に、私は親が大好きで、自立できていなくて、心の深いところにドス黒い渦が潜んでいるみたいなんだよ。

親の影響だとか親のせいだとか言いたいんじゃなくてね。少なからずそうなんだけども。



両親は私が中学生のときに離婚していて、私も姉も母について行った。
平和になってホッとしていた。
でも、母が父を憎んでいるのが辛くて仕方なかった。
かわいそうだと思っていた。
父の嫌な話をしてくるのも、もちろん父は酷いことをしていたけど同調させてくるのもいやだったし、そのために私たち子どもを傷付ける発言も許せなかった。

早く忘れてほしいな、と思っていた。

でも私も姉も私立大学まで行かせてもらって、感謝という文字では書き表せられないほどありがたく、注がれた愛情を幸せに思うし、尊敬する。

大学在学中、何年かぶりに父と連絡をとった。
姉が連絡をとっていたことが母にバレたときのことだった。

以前から父からLINEはちょくちょく入っていたけど、母は無視しろと言うので無視していた。(当時はいろいろあったので正当な判断だと思います。)

そのときの母はすごくすごく怒っていた。
何ヶ月か過ぎて父と母のわだかまりがある程度解決したのか、母は「今度◯◯(姉)がお父さんとご飯行くらしいから行っといでや」と言ってきた。
私は断った。父が嫌いだったから。

また数ヶ月がして、姉からお父さん会いたがってたよと言われたり、母からは成人式のときお父さんに車出してもらった方が楽やろと言われたりで会うことにした。

久々に見た父は別人のように穏やかだった。
そのとき改めて、母を気の毒に思った。

それから徐々に母に「今度お父さんと3人で◯◯行くねん」と話せるような関係になった。
そして今年、姉が入籍するにあたって、父と母は相手ご家族との顔合わせに揃って行くほどには納得しているようだった。


話は冒頭に戻り、罪悪感ベースとは?
それは、母をひとり置いて家を出たことである。
まず父が出て(正確には私たちが出た)、姉が突然彼氏と同棲すると言い出ていき、私は正直「うそやん」と思った。

母のことは大好きだけど、同時に窮屈さも感じていた。
母は真面目で優しくて、我慢しいで誰かが寄り添って話を聞いてあげないといけない人間だった。
その役割を自分一人で担うのが不安だった。
さらに私も精神的に自立できていないときたもんで、でもそう気付いたからには私の情緒は真っ逆さまに落ちまくった。


それから母は二度転職した。
一度目、多分鬱だったと思う。

家のソファで寝ている時間が増えた。

私が授業に行く前も帰ってきてからも、テレビをぼーっと見ていた。
私はそれについて特に何も思うことはなかった。

しばらくしてExcelの使い方などを学ぶ学校に行って職に就いた。私はいつも仕事の愚痴を聞いていた。
それは私はちょっとストレスにも感じていた。私も余裕がなかったから。
それくらい聞いてあげてよって感じなんだけども。


そのあと、私にも色々あって精神が目に見えて崩れ落ちた。
母も泣かせてしまうほどにはぐちゃぐちゃだった。
毎日毎日毎秒しにたいと思っていた。
毎日、家に帰るのが苦痛だった。
もう帰ってくんなとか、嫌われたんじゃないかとか、邪魔だとかうるさいとかうだうだ泣いて意味わからん奴とか思われてるはずだって思い込んでいた。
玄関のドアノブに手をかけて力を入れようとして手を離して、朝方まで外で座り込んだ日もあった。

母から心配のLINEが来ると嬉しい反面、責められている気がして怖くて返信できなくて涙が溢れた。

友達の家にいた、と嘘をついた。
何度も繰り返すとLINEが減った。
見捨てられた気がして、それはそれで悲しかった。
もちろん確認行動が目的じゃない。本当に、家に入れないのだ。
家に入りたいけどどんな顔して入っていいのか分からない。


そのとき気付いたのが、なんでお母さんが潰れてしまったときなにもしてあげられへんかったんやろう、でした。
私がこうやってどうしたらいいか分からなくなれるのは母を強い存在だと思ってるからであって、それはただの過信で、お母さんだって潰れてしまうことがあったのに気付くことすらしなかった。
もう自分とことんサイテーや、と思った。

とにかく家にいたくなくてバ畜生活をした。
朝から夕方、ハシゴして次の朝方まで働いた。

大学生活の後半、この辺の記憶は靄がかかったように曖昧である。
友達との約束はそれがタスクのように感じて月に2,3回が限界だった。行ったら行ったで楽しい時間を過ごすけど、そのあとは反動でしばらく家に引きこもる。
バイトという生産性のある時間だけが、自分にとって許される時間だった。


社会人になる春、母に相談した。一人暮らししようかなぁって。
母は最初は本気にしていなくて、いいやん、て感じだった。
私が物件探してこことかこことかどう思う?と見せたら、ショックを受けているようで、あからさまに不機嫌になった。
私もその話題を遠ざけるようになって、でも契約は進んでいって、入居予定日まで決まった段階で話をした。
母はいいやん、と言ったけど、泣いていた。

私も泣いてしまった。
それで、お母さんを置いて出てしまうことが申し訳なくて仕方ないことを言った。
母は泣きながら、「なんやそんなこと気にせんといて、いつか出ていくねんし、お母さんも身軽なってええわ」と言った。
それから家を出るまで、毎日泣いていた。


ここでちょっと話変わるんだけど、私はピアノが大好きだ。
一日たりとも弾かなかったことはないと言うと嘘になるが、二日連続で弾かなかったことはほぼないと思う。
入居予定日が決まった時点でピアノ探しの旅に出ていた。
そして中古の電子ピアノを買い、引越し日の次の日に届くように手配した。他のどの家電よりも早く迎え入れた。

私が小さい頃から家にあった古いアップライトピアノ。母の知り合いから一応借りているもので、捨てる前には声をかけることになっている。
もう何年も調律もしていなくてまともに音も出ない。今調律しても修理レベルなのだ。
母は父と別れた際も、次の家探しも、そのピアノが邪魔だと私に言った(物件が限られるから)。私は返さないでと言っていた。

そして一人暮らしを始めた今、そのピアノを手放す準備ができた。もちろんかなり寂しいけど。出来ることならずっとそばに置いておきたい。

家を出る日、母は「いつでもピアノ弾きに帰っておいで、週一で帰っておいで」と言った。

私はせやなあと笑ったあと、振り返って大号泣してしまった。


嬉しかったし、
新しい家にはもうピアノが来てしまうのに、それを母に言い出せないままそんなことを言わせてしまって、死んでしまいたいと思った。

ピアノのことはそれからも母に言えないでいた。
父には言っていた。引き取りの関係で車を出してもらっていたから。

そのあと、さっきも書いた姉の顔合わせがあって、父に口止めした。
ピアノのことはお母さんにまだ言ってないねん、私から言いたいから言わんといてって。
父はええーなんでー?と言っていたが、いいからと言い聞かせた。

一週間後くらい?
すぐ母が恋しくなって仕事が休みの前日帰った。
母は私の顔を見ると嬉しそうにしていて、早速涙で視界がぼやけた。ほんまになんでそんな優しいん?こんな娘でも帰ってきたら嬉しいん?て。

一人暮らしじゃこれからもありつけへんであろう種類豊富なサラダなどを出してくれて、私は終始涙を堪えて食べていた。
そしたら突然母が「ピアノ買ったんやってー?なんで言ってくれへんのよ〜」て言ってきて、堪えていた涙が大流出してしまった。
母はなんで泣くん!?と言っていたけど、私はごめ"~ん"と謝り倒した。

母は、父が本人からは言わんといてくれ言われてんけどな〜と話したと言っていた。偉いなあと思ったよって言ってくれた。
私は年甲斐もなく全然泣き止めなくて、ちゃんとこのピアノをどうするかも決めてから話そうと思っててん、なかなか決められへんくてごめん
と謝った。


帰り際、母はいつも最後まで手を振ってくれる。
私はそれが嬉しくて、最後前を向くと泣いてしまう。
それが辛くて家に帰りたくなくなった。


一人暮らし始めて二週間後、母が食器類など買ってくれると言うので一緒にでかけた。
通りかかったショッピングモール。
季節は七夕前だった。
二人ともトイレに行きたくなって、荷物番として交代で行った。私が先に行って戻ると、ちょっとした広場に母は待っていた。母の荷物を受け取り見渡すと、そこは七夕の短冊を書けるブースになっていた。
私は母が戻るのを待ってる間、ぐるぐる見て回った。
子どもの字が中心で、ときどき××大学合格!とか△△くんと結婚できますようにとか書いてあった。
でたまたま見つけたのに、「◯◯(私)が元気になりますように」と母の字で書かれたいたのだ。
私はヒュって息を鳴らして泣いてしまった。

私はこれまでお母さんにこんなことをしてあげたことがあっただろうか、
ただ文字を書いただけだけど、書いてあげることすらしたことがなかった。

その短冊をちぎり取って持ち帰りたかったけど、そんなことのために書いてくれたんじゃないなと思って、やめた。

私が息を整えてる間に母は戻ってきてしまって、そのまま帰宅した。

それからもあの短冊のことが忘れられなくて、七夕が終わるまでにもう一度あそこに行ってせめて写真だけでも撮りたい、と思った。

でも仕事が忙しかったのと、休みの日は鬱々して家から出れなくてで行かずじまいだった。
今でも脳裏に焼きついてる。今、手元にあればなあ。


ここ最近、ずっと母の元に帰りたくて仕方ない。けど心を鬼にして毎日自分の家に帰っている。


そして3日ほど前、夢をみた。
私は見学会かなんかのイベントに一人で参加してて、お昼休憩があって、ガヤガヤした狭い食堂でご飯を食べていた。
食べ終わって食器返却しに行こうとしたら、父と母が「もーちょっと飛ばさんといてよ」「飛んでへんやんか」などといいながら親子丼食べていたのだ(親子丼で飛ばすってどないやねん)。
私はただ通り過ぎた。

そしてとても満たされた気持ちで目が覚めた。

母のそばに父がいてくれて、安心したのだ。
一人にさせてしまったことをずっと後悔しているから。
たしかに母が言った通り、お母さんはそんなやわな人間じゃないし、やっと20何年にも及ぶ子育てにひと段落がついてせいぜいしてるところはあるだろうけど、でもやっぱり一度人生を共にするって決めたパートナーは隣にいてあげた方が絶対にいいと思う。
ロマンチストすぎ?
でも私は結婚相手に第一にそれを求めると思う。

親の離婚というのは多かれ少なかれ子どもにとってダメージとなる。


あれが夢じゃなければいいのに。今日もそんな気持ちで朝起きた。

現実そんなうまいこと行かないね。


そして初めのうちは母からLINEが週一くらいで来ていた。こまめに返していたけど、最近は返せなくなった。
なぜか分からないけど、既読をつけるまでに2週間、返事はそもそも返せないのだ。
今考えてみると、正常でないことをわかってほしいからでしょうね。助けてーやばいよーってかまちょな私。
でも母は気を遣って連絡の頻度を下げてくれている。私はまたそれを見捨てられた、諦められたように感じて悲しく思っているのです。


年末までには連絡くれるかなぁ。


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