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18.6.2020

最寄り駅のひとつ隣の駅に大きめのスーパーがある。
駅からそのスーパーへと直結している通路には、物乞いをしている人や楽器を演奏する人なんかが入れ代わり立ち代わりといった感じでちらほらいる。

そこに小さなテーブルを置き、白杖を持って立ちながらお菓子を売っている人がいた。

なんとなく気になって足を止めて、ひとつお菓子を買ってみることにした。
数種類あるお菓子のひとつを指さして、自然はっきりとした口調で「これをください。いくらですか?」と聞くと、彼は「89バーツです」と答えた。

まったく見えない訳ではないのかなと思いながら100バーツ札を渡す。「100バーツです。」と言いながら。
すると彼は受け取ったお金を目の前に持っていって、眼球の2cmほど前ぐらいまで持っていって確認をしたので、あぁやっぱり全く見えないのではないのかもと思ったし、こんな風に販売の仕事ができるのはすごいなとも思った。

100バーツ札の確認を終えると彼はサッと商品の横に置いてあった小さな小銭入れを手にとって、中から10バーツと1バーツのコインを取り出してまた目の前に持っていって確認し、私に見せて11バーツか?と聞いた。

お菓子を買おうと決めた瞬間に、値段に関わらずおつりはチップとして断るつもりでいた。
なのになんだかその彼の『仕事』の邪魔をするのが憚られて、私はおつりを受け取ってしまった。

タクシーなんかだと10バーツ前後のおつりの端数は「要らないよ」ってスラスラと言えるのに、なぜか言えなかった。
商品代だからかな。
彼が白杖を持っていたからなのか。
その彼の仕事を特別視したくなかったからなのか。
たかだか11バーツでは逆に失礼だと思ったから?それもあるかもなぁ。でもタクシーだとそう思わないのはなぜだろう。
と、あとからぐるぐる考えてしまったんだけど、結局自分でもよくわからなかった。

たとえばタイがもっと社会福祉が充実している国だったら、彼はこんな風に働かなくてもよいのかもしれない。
その方がやっぱりしあわせなんだろうか。
彼にとってはこれは大変なんだろうか。
障害があるのに働くなんてと憐れむことは失礼なことだろうか。

こういうことをタイに来てから考えるようになったんだよね。
日本にいた時は関わったことがないからだと思うんだけど。
そしてわりといつも答えはわからないままなのだけど、それはそれで良くって何度も考えたらいいんじゃないかとも思ってて。

その辺の屋台だったら一分とかからず終わっただろう買い物。
夕方の、人々が行きかう連絡通路でそこだけちょっと違う時間が流れているかのようだった。

買ったブラウニーは私には少し甘すぎたけど、子どもたちにはとても好評だった。
また彼を見かけたら足を止めると思う。

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