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6.5.2020

昨日久しぶりにがんばってマンガを描いてたら、noteを書くのをキレイさっぱり忘れました。
私の脳は一度にたくさんのことを処理できないんですね。
詰まるところ忘れただけです。

今日。
妹から母方の祖母が亡くなったと連絡があって、何年も会っていなかったから死にそうだったことも知らなくて、なんなら年齢も思い出せなかったけど、90は過ぎていた。
先々週からごはんが食べられなくなって一時期点滴をしてたらしいけど、むくんでしまって止めたらしい。
大往生。
人間食べられなくなったら寿命だろうし、よかったなぁと思った。
私はどうにもあの延命治療というのが受け入れ難い。
もちろん本人が望むのであればいいんだけど。

母方のばーさんの旦那さんであるところのじーさんは、腎臓を悪くしてずっと入院させられていた。
管がたくさんついてて点滴でむくんでて、力なく病室の小さなテレビを見ている姿に胸がつまった。
農家で、いつも日焼けしてごつごつした手のじーさん。
口数は少なく、やさしい笑顔の人だった。
病室のベッドに横たわるじーさんに、かつての面影はなかった。
母に抗議できるほど当時の私は大人ではなかったし、治療をやめることが正しいかもわからなかったし、今もわからない。

できる治療がなくなったじーさんは実家で母が面倒を見ることになった。
元々は本家でばーさんと長男夫婦と暮らしていたのだけど、母は入院中から率先してじーさんの面倒を見ていて、当然のように我が家に連れてきた。
もしかしたらくも膜下で倒れた後遺症で認知症になってしまったばーさんの面倒だけで手一杯だと言われたのかもしれないけど。母の方も兄夫婦を信頼はしていなかった。

本家とのしがらみや大人の事情はさっぱり理解できてなかったししようとも思ってなかったけど、ただじーさんがなんだかかわいそうだなぁとずっと思っていた。
日がな一日ベッドでテレビを見ているじーさん。
きっとじーさんは大好きなばーさんと一緒にいるのが一番幸せなのに。
じーさんの笑顔を見ることはなくなった。
じーさんが亡くなった時、やっとラクになれたね、と思った。

思えばばーさんがくも膜下出血で倒れて、回復はしたけど前のように会話できなくなってからは本家に遊びに行ってもばーさんはずっと部屋から出てこなかった。ずいぶんと昔の記憶でしか思い出せない。
ばーさんはどうだっただろうか。認知症だからなんとも思ってなかっただろうか。
じーさんの死に目にも会えず、ずっと離れ離れだった。
今日ばーさんが亡くなったと聞いて、やっとじーさんに会えるねと思った。

私は冷たいのかもしれないなぁ。
もしかしたら、ふたりとももっと生きていたかったかもしれないものね。

母方の祖父母、じーさんとばーさんはすごく仲がよかった。
子供心にそう感じるぐらいにはふたりでいるその雰囲気が仲の良さを物語っていた。
古い人たちである彼らはお見合い結婚で、それでこんなに仲良く何十年も一緒にいられるのかとずいぶん驚いたのを覚えている。
親の決めた結婚相手なんて、と少なからずお見合いというものに不信感があったけど、恋愛結婚したって私のようにすぐダメになるんだからきっかけなんて関係ないんだろうな。

天国でまた一緒にいられるといいなぁ。
大好きな温泉にでも浸かって、おいしいものを食べて、またふたりで笑ってるといいなぁ。

お線香もあげに行けなくてごめんね。

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