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生まれて初めての母方曽祖父母の墓参り


本日は、仕事には関係ない話。

自分のために90歳近くなってきている

祖父と話したことをだらだら書く。

その時に考えたことや

学んだことを

ここに残しておきます。



前提として、墓参りは行かされてた


そもそも、どうして母方の祖父の

家の墓参りに行くことになったのか。

それは、奥さんがきっかけ。

なぜか、僕よりも若い26歳の奥さんが、

お墓に参り季節になると、

『お墓に行かないと!』と言っています。

僕は正直、墓参りに1年に数回は行きますが、

両親に言われてついていくスタンスでした。


結婚して、当たり前を疑い、考え直す


奥さんと結婚して、奥さんの家族の家に

多い時は毎週帰っている。

結婚する前には、

僕が自営業であることに

不安を感じて、反対もしていたのだが、

いつの間にか、

ほとんど毎週顔を合わせるような間柄に

ありがたいことになっている。


結婚すると、

相手のお家のルールや

食事のあり方や

家族のあり方を考え直すことになる。

お墓も同様である。


奥さんの大切な祖父母に会う方法が墓参り


そんな相手の家に愛着が生まれてきて、

結婚式の準備などで、

奥さんのルーツを知ると、

奥さんのおばあちゃんやおじいちゃんも

含めた人たちにも愛着が湧くようになった。


出会えたおじいちゃんとおばあちゃんもいれば、

写真でしか会えないおじいちゃん、

おばあちゃんもいた。

僕も会いたかったと心から想うようになった。


たくさん奥さんの思い出の中に、

おじいちゃん、おばあちゃんが生きていた。

僕は会うことができなかったけど、

お墓に行くことで、

その人たちの一端に

触れられるのではないかと考えた。

もちろん、ちょっとした観光気分もある。


お墓参りは、これまで奥さんの家族が

過ごした時間を自分も少し過ごすことができた。

ここにいつも車を留めて、

ここでお水を汲んで、

このホウキを使うんだ。

奥さんの家の当たり前を知る。

お墓の前で、手を合わせて、

おじいちゃんとおばあちゃんに挨拶をした。


実は、自分の母方のお墓に行ったことがない


こうして、墓参りを無事に終えた。

今までに感じたことのない感覚だった。

清々しいというか、感謝の気持ちが湧いてきた。


その帰り道に、奥さんと話していた。

『父方も、母方もお墓参りに行くんやね!』

『私の家は、どっちも近いから行ってるね。

 麻人の家は違うん??』

『あー、そう思ったら、母方のお墓って知らんなぁ。』

『そーなんや!いつか行けるといいかもね。』

そんな感じで、会話をしたことを覚えている。

こうして、奥さんの墓参りをすることで、

自分の家のお墓のことも考えるようになった。


大好きな祖父母と母と墓参りに行くことに


母に、そのお墓の話をすると、

『確かになぁ。遠いし、忙しかったからかなぁ。』

『墓参り、おじいちゃんとおばあちゃん誘っていかん??』

『ええやん、元気なうちに行こか。』と話をして誘った。



僕の母方の祖父母は90歳に近いが、元気だ。

しかし、そんな母方の祖父母とは、

正月に食事をすることぐらいしかなくなっていた。


だけど、僕は母方のおじいちゃんとおばあちゃんと

過ごした時間、大切な思い出がたくさんある。

サッカー教室の送迎、

夏休みに宿泊をしたことや

親戚の家に遊びに行ったこと。

おばあちゃんが作ってくれる

お味噌汁やお昼ご飯。

おじいちゃんとおばあちゃんが大好きだ。

ありがたいことに

結婚式にも招待することができた。


さらに、今回墓参りという理由で、

片道2時間ほどの小旅行におじいちゃんと

おばあちゃんと行くことができた。

遠くまで車を運転しなくなったこともあり、

25~30年ぶりのお墓参りだそうだ。

『もう行けないと思っていた。』

『誘ってくれてありがとう。』と言ってもらえた。

家族の役に立てて、素直に嬉しかった。


行くだけで、感謝される墓参り


実際に運転をし始めると、

あっという間に時間が過ぎていた。

話したことは、あとでまとめよう。


おじいちゃんの実家は、

車の整備屋さんをしていたようだ。

『ここで育ったんやなぁ。』

おじいちゃんの兄弟にも

はじめてお会いして挨拶をした。

みんなおじいちゃんに似ていて、

お節介な感じも似ていた。w

おじいちゃんが兄妹と話をして、

懐かしむような様子を見てほっこりし、

お墓参りに来てくれて

嬉しいと言ってくれて嬉しく思った。


高い丘を登った先に

お墓があった。

少し歩きづらくはなっている

おじいちゃんを支えながら

到着することができた。


ここに曽祖父母がいるのか。

初めて、行った場所だった。

初めて会う親戚だけど、

なんだが親近感、安心感があり、

楽しい墓参りになった。


おじいちゃんとの会話


ここからは、おじいちゃんとの

会話の思い出を残そう。自分。

※長くなるので、時間がない方は、お気をつけください。


おじいちゃんと話したことで、

思い出せる順に書いていこう。

おじいちゃんの

これまでの仕事を話していた。

そこで、僕が疑問に思っていたこと。

おじいちゃんが若い頃と

現代の違いってどんなことがあったのかと。

『今って精神的な病気ってあるけど、

 昔にもあったんかな??』

『昔もあったんやと思うよ。

 それが病気という認識がなかっただけで。

 職場のトラブルで、

 仕事辞めていく人もいたよ。』

『だけど、今よりも助け合うような

 文化はあったんちゃうかなぁ
。』

『助け合う文化ってどういうこと?』

『身近な人に相談しやすいかどうかじゃないか。』

『なるほどな。』

『人間関係が薄くなってるよなぁ。』

『それって時代的な話なんかな??』

『昭和の焼け野原から成長している時には、

 ここから経済発展するぞという活気があったね。』

『その時には、助け合う感じあったん?』

『【自分が成功したい!】という人よりも、

 【人様、世の中のため!】という人が成功したんじゃないか?

 京セラの稲森さんとか、ソニーの創業者の人とか。』

『一丸となるから、大きな産業が生まれるということか。』

そのような話の中で、僕が考えたこと。


※ヤバイ、書き始めてから2時間経ってる。orz


墓参りは、家族を含めた自分を考えること


墓参りで、気付けたことは、

自分が過ごしている日常が

当たり前の日常ではなく、

これまでをつないでくれている先祖がいることを

感じられること。

さらに、墓参りをする過程で、

自分と家族とのことを考える時間ができること。


家族との関わり方を見直すことで、

会社や組織の関わり方も考え直す機会になった。


それは、助け合う文化をどう作り出すのかということ。


助け合う文化を創るには、
言うまでもないことを話す時間が大切


助け合う文化は、相互理解の時間が必要になる。

つまり、日々のコミニュケーションの時間が必要だということ。

【必要があったら、助けあえばいい】

そう思っていましたが、

しかし、必要な時に、気付けない。

必要な時には、助けを求める余裕がないということ。


自分のピンチには、自分でなかなか気づくことができない。

トラブルや問題が起こる前には、

前兆があると私は思っています。

言うまでもないこと=前兆 だと僕は考えています。


この言うまでもないことを言える時間と、

言うまでもないことを伝え合うことが

重要だと言うことをチームに浸透させることが重要である。


それは、家族でも同様である。

一見して、無駄とは思えるかもしれない

会話の積み重ねや関係が助け合いを生み出す。


僕は前提として、関係や愛着のある人を

人は助けたいと少なからず

考えていると思っています。

しかし、助けたいという気持ちを

どう表現すればいいのかが、

日々のコミュニケーションがないと、

わからないで、ミスコミュニケーションが

起っていると感じています。


相手が大切だから伝えている、

『〇〇してみたら?』という提案でも、

相手からすると、今の自分を否定されているのでは

ないかと感じることもあるでしょう。


なので、助け合う文化を生み出すには、

報告・連絡・相談が大切なのは当たり前なのですが、

人間の価値観や考えによって、判断は様々なので、

とにかく今のことや考えをただ共有できるような時間

が大切だということです。


『墓参り』は、家族が話せる時間

それが今回僕の家族にとっては、

『墓参り』だったわけです。

これから通うデイサービスの話や

母の仕事の話、僕の家族の話。

なんでもない会話があるから、

ピンチや問題があった時に助け合える。


会話がめんどくさいと感じているあなたも

1年に数回は、墓参りを理由に

大切な家族と会話をしてみてはいかがでしょうか。


※3000字を超えました。


そんな家族のような時間を

会社のメンバーとも、

仕事の関係のある人とも大切に過ごせると

嬉しいです。


ここまで読んでくれたあなたも僕は大切です。


これからもよろしくお願いします。



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