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手段としてのフリーランス

こんにちは。フリーライターのゆまです。
まだそんなに稼げていないけど、会社に所属せずに働いてるのでたぶん私はフリーランスです。

フリーで活動し始めてから1か月経ちました。
そもそも、なんでフリーランスになりたかったのかよく分からなくなったので、振り返ってみます。
ちなみにフリーランスの定義はこれらしい。↓

フリーランスとは、特定の企業や団体、組織に専従しておらず、自らの技能を提供することにより社会的に独立した個人事業主もしくは個人企業法人である。(引用:ウィキペディア)

(メンタル爆発して、仕事終わりに夜行バスに飛び乗って行った長野県の朝6時の写真。
このとき旅が好きだと気づき、やっぱり時間に融通が利く仕事したいなと帰りの電車でぼんやり思っていた)

①逃げとしてのフリーランス

まず一番に考えられるのは、逃げとしてのフリーランス
フリーランスは、会社を辞めるための口実でした。
縛られているのが嫌で、会社が嫌で、満員電車が嫌で、どんどん自分を嫌いになっていくので、逃げました。
そんな甘っちょろい考えで辞めてしまって、せっかく採用してもらったのに迷惑をかけて本当にごめんなさい、と思います…

それでも、今の自分のほうが好きだからあまり自分を責めずに、選んだ道を正解にしていきたいです。

②ファッションとしてのフリーランス

単純に「フリーランスです」と言ってみたかったから。
何より、私は何も持っていないコンプレックスがあり、自分を商品化する働き方に強い憧れがありました。

理由が甘すぎるし、完全になめてたし、ファッション(見かけ)としてのフリーランスかもしれないけど、やっぱり体験したからこそ難しさや大変さ、自分の弱さが見えてきて良かったと思います。
自分の商品化も少しずつやっていきたい…

③自分で自分を再教育するためのフリーランス

私は社会に出てから初めて、社会的スキルがなさすぎることに気づきました。
考える力が無く、主体性や自己肯定感もないので自己主張もできない、マニュアル人間で融通が利かないなど、足りない部分がたくさんありました。

これまで教科書をなぞり、マニュアル通りに行うことで評価を得てきた私にとって、社会はいつ猛獣が出てくるか分からないジャングルに思えました。
私はずっと動物園で飼育されていたんだ…
他人が決めた評価で自分を評価していたため、ちょっとしたミスにも凹み、メンタルが豆腐になりました。

フリーランスは良くも悪くも全て自分で決められます。
自分で決めることが考える力を養うので、今からでも自分を再教育できる手段としてフリーランスになろう、というわけです。
浅はかかもしれませんが、自分の力で生きていくための練習としてフリーランスをやっていこうと思います。

自分の治したいところ
・主体性や自己肯定感のなさ
・自分の意見を言えない
・情報の整理ができず課題の要点が分からない
・マニュアル人間で融通が利かない
・メンタルの弱さ

手段としてのフリーランス

色々書いたけど、今のところ、手段としてフリーランスになったというだけなので、人生のステージや環境が変わったら会社員に戻るとか変わってくると思います。
昨日までわりと落ち込んでたけど頑張れそうです。やっていきます。

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