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279. 考えてはいけない

去年の10月、私はフランスにいた。
これが事実である、と「自身に対して」証明することは易くない。
パスポートをみれば、向こうで撮った写真を確認すれば、向こうであった人間から言質をとれば…

現実を正確に認識する、とはどういうことだろう。
昨日みた悪夢は「現実」とは呼ばないらしい。
なるほど今私は「起きて」いて「寝て」いないらしい。
レム睡眠時には「夢」なる映像を視聴しているらしく…
実写映画よりもアニメにのめり込める気がするのは、それでいてアニメこそ一層「非現実的」であるように思い込んでいるのは何故だろう。

私がみている「世界」というものはひどく脆い。
LINEをしている彼女が実存であることを願う。
SNSで知り合ってから何年間も、1度も会わずにやり取りを続けているひとが幾人かいる。
その中の1人と、以前実際に会ってみた。
彼女は存在していた。
知り合ってから5年間会わなかったが、LINEや電話を頻繁にしていた。
顔も声も知っていた。
一生会わないかもしれない、そう思っていたが会ってしまった。
実際に対面するのは初であったものの、それまでの関係性がある。
彼女の家で滞在した1泊2日は楽しかった。
お試し同棲のような。
彼女に対して性的に積極的にはなれなかったが。

彼女をとある友人に紹介したことがあった。
結論この友人と彼女はまあうまくいかなった。
彼女の側からしたらこの紹介話はすぐに終わったものであったが、私の友人はまだ可能性を信じていた。
そんな中私が彼女の家に泊まることになった。
この友人には別に何事もなかったことを伝えたが、彼にとってそれを信じることは難しいらしい。

このようなことは往々にして起こる。
私にとっては紛れも無い真実が彼らにとって偽であることが。
この友人にとって、男女が一つ屋根の下共にいれば何かが起こることは当然なのである。
(私の人間性、もしくは彼女の人間性を加味して、若しくはネガティブにも否定したい事象を図らずも妄想してしまったか、ということもあり得るだろうが。)

母にとって、その記憶は正しい。
彼女からすれば「それを言った」ことは真実であるし、私にとっては彼女の記憶違いであることに間違いはないはずだ。

ある友人は過去吐いた嘘を真実だと思い込んで生きている。
彼はそれが「嘘」であったことを本当に忘れているのか、それともそんなフリをしているのかは定かではない。

彼女のアイコンは「詐欺」であると言われる。
彼女にとってそれは「嘘」ではないのだろう。
私にとって欺瞞である、虚偽であるように思われるそれは彼らにとっては至って自然の営みであるようなのだ。

そうして私は自らを疑う。
私が視ている世界は、私が「みたかった」世界ではなかったか。
友人がいたように思えていたのも
愛されていたように思えていたのも
何か価値あることを成し遂げたと思えていたのも
それらは全て確かなことであっただろうか。

人は間違う。
そしてまた私も間違う。
認知症は、アルツハイマーは、統合失調症は。
私の精神は正常か?

いつだって歪み続ける世界に
酒かドラッグか
歯がグラグラしているのは怖い。
緩んだ土台の上で踊らされるのは嫌なんだ。



映画『A Beautiful Mind』を観ては不安になる私に、そして貴方に向けて



#映画にまつわる思い出

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