知らないことを教えてもらう
「私は彼女のことが好きである」、という事実をそのコミュニティ内で流布することは、苦しくなかった。
冷やかしもあったが、むしろ「彼女」の親しい友人・彼女の周りが、この話題で盛り上がってくれることで、好影響を及ぼすパターンも想定できた。
当時そのコミュニティ内で私が信頼していた「先輩」も、彼女のことを好いているらしく、よく私に進捗を聞いてきていた。
同じくそのコミュニティ内で、私と最も近しい間柄にあった「友人」は、この先輩が私を利用して、この「彼女」を獲得しようとしている、と信じてやまないようだった。
私がこのコミュニティに入り浸るようになり始めた当初から、この先輩とは付き合いがあった。
他の人達とは変わった雰囲気というか性格からか、彼は少し浮いているようでもあった。
それでも周りから慕われているようではあったし、私も彼を「面白い」と感じていた。
結局のところ、私もこの先輩も、彼女と望んでいたような恋仲に発展することはなかった。
約10年ほど前に知り合った彼ら登場人物、「彼女」・「先輩」・「友人」の誰とももう付き合いがない。
当時どれだけの時間を共に費やしていただろうか。
毎日ペースで会って、一緒にいない時はSNSで戯れていた、「友人」ともいつからか関わりが減っていった。
私にとって、彼らは誰一人として「合わなかった」。
最初から知っていた。
それでも、そのコミュニティの中では関わりやすい方だった。
そんな消極的な始まりが、いつかはかけがえのないものになることを、私は信じたかった。
けれども嘘を真実にすることは易しくないし、優しくなかった。
私がこのコミュニティを「卒業」してから、彼らとの関係性は急速にしぼんでいった。
私にとっては仮説を証明しただけに過ぎない。
私にとって、そして彼らにとっても、我々は皆お互いに、「間に合わせ」だったのだろう。
生涯のある一時点における暇つぶし、使い回し。
誰でもよかったけれども、まあいて良かったっちゃ良かった誰か。
それでも互いに必要として/されて、感謝も出来るくらいの。
彼らにとってはどうだっただろう。
私が彼らにとって「大事な何か」でなかったことを願いたい。
大事なものを奪う人には、なりたくないから。
そんな自分を誇ることは、出来ないから。
彼らが幸福に過ごしていることを祈るのは、私が彼らを不幸にしたという事実の存在を、認めたくはないから。
彼らがいま、過ぎたる幸せを享受しているのならば、それもまた、受け入れ難いかもしれない。
それほどには、彼らと「仲良くない」のだから。
『青くて痛くて脆い』を観て
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