278. 知らないことを教えてもらう

「私は彼女のことが好きである」という事実をそのコミュニティ内で流布することは苦しくなかった。冷やかしもあったが、むしろ「彼女」の親しい友人・彼女の周りがこの話題で盛り上がってくれることが好影響を及ぼすパターンも想定できた。当時そのコミュニティ内で私が信頼していた「先輩」も彼女のことを好いているらしく、よく私に進捗を聞いてきていた。同じくそのコミュニティ内で私と最も近しい間柄にあった「友人」はこの先輩が私を利用してこの「彼女」を獲得しようとしている、と信じてやまないようだった。

私がこのコミュニティに入り浸るようになり始めた当初から、この先輩とは付き合いがあった。他の人達とは変わった雰囲気というか性格からか、彼は少し浮いているようでもあった。それでも周りから慕われているようではあったし、私も彼を「面白い」と感じていた。

結局のところ、私もこの先輩も「彼女」と望んでいたような恋仲に発展することはなかった。約10年ほど前に知り合った彼ら登場人物、「彼女」・「先輩」・「友人」の誰とももう付き合いがない。当時どれだけの時間を共に費やしていただろうか、毎日ペースで会って一緒にいない時はSNSで戯れていた「友人」ともいつからか関わりが減っていった。

私にとって彼らは誰1人として「合わなかった」。最初から知っていた。それでもそのコミュニティの中では関わりやすい方だった。そんな消極的な始まりが、いつかはかけがえのないものになることを信じたかった。けれども嘘を真実にすることは易しくないし、優しくなかった。私がこのコミュニティを「卒業」してから彼らとの関係性は急速にしぼんでいった。

私にとっては仮説を証明しただけに過ぎない。「おそらく違う」、そう思っていたものが「やはり違う」に変わっただけだった。私にとって、そして彼らにとっても我々は皆お互いに「間に合わせ」だったのだろう。生涯のある一時点における暇つぶし、使い回し。誰でもよかったけれども、まあいて良かったっちゃ良かった誰か。それでも互いに必要として/されて感謝も出来るくらいの。

彼らにとってはどうだっただろう。私が彼らにとって「大事な何か」でなかったことを願いたい。大事なものを奪う人にはなりたくないから。そんな自分を誇ることは出来ないから。彼らが幸福に過ごしていることを祈るのは、私が彼らを不幸にしたという事実の存在を認めたくはないから。彼らが過ぎたる幸せを享受しているとするならそれもまた受け入れ難いかもしれない。それほどには彼らと「仲良くない」のだから。



『青くて痛くて脆い』を観て

#映画にまつわる思い出

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