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12. コロナでやられてるネパール人の知り合いに1万円貸した話

以前ネパールで旅行をした際に知り合った彼とは、帰国後もSNSを通じて交流を続けていた。
そんな彼は昨今のコロナ不況などの影響で職を失い、収入を得られていない状況であると言う。
なんやかんやと様々な話をした上で、私から彼に金を貸すことを申し出た。
彼によれば住居の家賃支払いが最緊急であるらしく、また1ヶ月分の家賃は日本円で1万円程であるとのこと。
私自身の経済状況を鑑みて、1万円の支出は大きな問題ではないと考え、彼に1万円分の現地通貨であるネパールルピーを送金するに至った。
(ちなみに現在 1ネパールルピー = 0.9円。計算が楽でよき。)

しかしながら思うところは多々あった。

まず「金を貸す」という行為は私にとって容易かった。
彼の元に送金をする作業にかかる私の労力は些末である。
スマホで1分、ところがこの1分は彼の人生を大きく変えかねる。

私が彼に金銭を与えることで彼は味を占め、今後友人・自分のような外国人に、もしくは誰彼構わず無心をして生きていくようになるやもしれぬ。

ネパール、また隣国インドなどにおけるストリートチルドレン・乞食ビジネスなどの事象についての議論は絶えない。
彼らにとって汗水流して働くよりも楽に稼ぐ手段はそれらであり、私の行動はそれを助長しかねない。

ただ私の中に、「困っている人を助けたい」という欲求があることもまた確かであるようだった。
彼の言うことは真実であろうか?
彼はこの金を返済するだろうか?
(注: この度のこれは「寄付」ではなく、「貸与」であった。)

また、彼は言っていた。

「ネパールは貧しい」
「ネパールの賃金は安い」
「ネパール政府は俺たちを救ってくれない」
「日本は裕福だ」

まあ間違ったことは言っていないのだろう。
物質的豊かさについて言えばまあ日本はネパールに勝るのだろう。
精神的豊かさについては...どうだろうか。

ただ彼と話していて、彼に現状を打破できる能力・またその意思などは微塵も感じられなかった。
彼以外にもネパールに知人はいるが、「今困っていて...」というように泣きついてきたのは本稿の彼のみだった。

言うなればおそらく「どうしようもない奴」だからこその現状況に直面しているわけで、自分がおこがましくも誰かを「救済」しなければならないとするならばその対象者は彼のような者になるのだろうとも思った。

フラットな目で見ればネパールの貧民がどうなろうが知ったことはないわけで、現にいろんなものから目を背けて私は生きているわけで
しかもこれで金が返ってこなかったならば私はしっかり「傷つく」だろうし

正解とは何か?
なんて考えていてもまあどうなりもしないというか。

ボランティアをやるにも金が要る。
自身を生からしめることが出来てようやくボランティアができるわけで

書きたいことはもっとあるけれども、ひとまずはここら辺でストップしたい。
「完璧主義は悪である」というような言説を否定はしたいがこのまま書き続けては私の「完璧な睡眠」なるものが損なわれてしまうためうむ、止めよう。

2012年版映画「Les Misérables」を久方ぶりに観て、いてもたってもいられず書き殴ってみた。

皆さん大変お疲れ様です。😪


※ちなみに彼を「友人」と呼ぶこともできるのかもしれないが、タイトルから敢えて「知り合い」という呼称を用いている。

私にとっての「友人」・「知り合い」の詳細な定義についてはここでは割愛したい。
ただ、自分にとって「友人」とは「知り合い」よりも高尚である、そんなニュアンスを理解して頂きたく思いこのような表現を使用してみた。

「他者を高尚であるかどうか判断する」という行為にに一抹のむず痒さを抱えつつも、また今日を撫でる。




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