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純粋に観る火垂るの墓

最近はいつも「清太はクズ」というレビューに溢れている。
べつにインターネットって黎明期からそういう空気感を作って成熟してきたので、「またか・・・」という感じだが、他の見方できないのかよとも思う。

ただ、他の見方っていうのは、大人になってからじゃないとできない。
「清太がクズ」という見方も、ある意味経験から導かれる結論。
「西宮のおばさんがクズ」ってのも経験が必要だったりする。

僕はこの映画を幼少期に何度も繰り返し見ている。
もちろん人生経験値なんてほぼゼロ。
この映画に対して思っていたことは、「戦争はいけない」である。

西田幾多郎の「善の研究」でいうところの純粋経験に近いものだろう。
特に変なフィルタを通さないと導かれるメッセージというのはものすごく単純で、一番大切なものなのだ。
それが火垂るの墓で伝わる第一メッセージなんだ。
多分全員そう。
それが謎のフィルタを通して見てしまうと、違う感想に置き換えられてしまう。

経験値は人を成長させるものでもあるが、第一印象を水面下に沈めてしまい、迷子になってしまう。
僕としては、それ以上の感想なんざいらないとさえ思う。
見た瞬間、馬鹿みたいに「戦争はいけない」ただこれだけでいいのだ。

純粋経験をもっと大切にしたい。

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