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【小説】一緒に暮らすということ

 ずらりと天板に並んだクッキーを摘まもうとした手がはたかれる。

「行儀が悪い」

 あっちへおいき、と魔法使いが言う。

「おれも手伝う」
「おまえに手伝えることなんて、食べることだけだろう」
「そんなことない、と思う」

 魔法使いはそれを聞くと、愉快そうに笑い声を立てた。高い位置で結った長い髪がさらりと流れる。

「いいよ、おまえの出番は明日これを運ぶときなんだから」
「ほかにも何かできると思う。薬草をまとめるとか、夕飯の準備とか」

 ジンジャークッキーを袋詰めしていた指がふととまる。
 それから己の隣に立つ狼を見つめた。狼のほうが背が高いので、目をあわそうとすると魔法使いが彼を仰ぐことになる。

「おまえ、大きくなったねえ」

 昔はこんなに小さかったのに、と自分の腰のあたりを示す。

「誤魔化さないでくれ」

 茶化された狼がむっと顔をしかめ、魔法使いはふっと吐息で笑った。

「だっておまえ、鼻が良すぎて薬草のにおいを嗅ぐとくしゃみがとまらなくなるじゃないか。料理だってわたしが好きでやってるのだから、手伝ってもらうようなことはないよ」
「それじゃあ、おれは穀潰しじゃないか」
「どこでそんな言葉覚えたんだい」

 呆れたような溜め息に、狼の三角の耳が倒れる。金褐色の瞳はぎらぎらと獣らしく輝き、見てくれは立派になったが、中身はまだまだ子供なのだった。
 魔法使いからしたら可愛らしくてつい揶揄ってしまうのだが、狼としては面白くないだろう。

「おまえがいるだけでよい獣避けになってるよ」

 魔法使いの家には畑がある。薬草を育てている畑と野菜を育てている畑だ。野菜のほうは度々鹿やら猪やらに狙われるのだが、狼が暮らすようになってからは彼の気配を恐れて近寄らなくなった。おかげでわざわざ獣避けの魔法を使わなくてよくなり、魔法使いとしては助かっている。魔力とて無限ではないのだから、使わずに済むならそれに越したことはないのである。
 だけどもそれは、狼にはわからない感覚であった。

「おれ、何もしていない。いるだけじゃないか」
「いるだけで役立つなんて才能だよ」

 何をそんなに焦ることがある。
 魔法使いの問いに、狼は大きな尾をちからなく振った。

「遠い東の国には、犬は三日飼えば三年恩を忘れないという言葉があるらしい」
「それは、おまえ、狼だろう。いいの、犬で」
「確かにおれは犬じゃなくて狼だが、恩は忘れない」

 寒い冬の日だった。
 冷たい白に染まった針葉樹の林に小さな狼が一匹。いつまで経っても親が迎えにこないのを見兼ねて拾ってくれたのは、孤児院を営む人間だった。彼女はとても優しい人間で随分と心を砕いてくれたが、狼は人間の孤児院に馴染むことはできなかった。どうしたって人間と狼では違うものなのだからしかたがない。
 魔法使いはそんな親切な人間と古い友人関係にあり、月に一度、孤児院を訪れるのが習慣であった。いつものように手作りのクッキーとハーブティーを土産に遊びに行くと、所在なく耳と尾を垂らした小さな狼がいるではないか。友人から小さな狼の話を聴いた魔法使いは、ならばうちにおいでと言って、小さなその手を取った。人間と狼より、魔法使いと狼のほうがいくらかましだと思ったのだ。

 一身に己に向けられる強い光から、魔法使いはそっと視線を外した。

「そんなに気負うもんじゃないよ。所詮、魔法使いの気まぐれなんだから」

 話ながら、袋詰めの終わったクッキーをバスケットへと仕舞う。

「魔法使いってのはね、狼と違ってひとりで生きるもんなんだよ」
「……知っている。でも魔法使いだって学校に通ったり、協会に所属したり……おれと暮らしている」
「そのほうが有益だからね。それぞれ独立した個が特定の目的のために集まっているに過ぎないというか」

 金褐色の光が揺らぐ。それは貯水湖に浮かぶ月光のようだった。

「おれと暮らすのは有益か」
「さあ、どうだろう」

 余ったクッキーを一枚、細いリングをした指が摘まんだ。
 それから、悪戯する子供みたく、魔法使いがにやりと口角をあげる。

「まあ、悪くはないよ」
「……」

 狼の尾は垂れたままで、魔法使いはうむ、と首をひねる。
 それから、ずいっと手にしたクッキーを狼のほうへと突き出した。よく利く鼻が、誘うような芳ばしい香りを捉える。狼が戸惑っていると、魔法使いはそれを狼の唇へと押しつけた。
 意図を察した狼がおずおずとくちを開くと、魔法使いは嬉しそうに笑みを深めてクッキーを食べさせる。さくり、と噛みしめた端から甘くスパイシーな香りと味が広がった。
 くちに含んだクッキーを大人しく咀嚼する狼に向けられた魔法使いの眼差しはやわらかい。

「おまえは何が不安なんだい」

 今度は狼が首をひねり、考える番だった。唇の端についた破片を舌で舐め取りながら、尾を自信なさげにふらふらと揺らす。

「あなたの役に立ちたい……できれば、おれにもわかる形で」

 すらりとした指がまた一枚クッキーを摘まみ、今度は自分のくちへと運ぶ。さくさくと囁かな音をさせながら食べるその姿を見つめながら、狼は足元に目を落とした。

「……ごめん、あなたに迷惑をかけたいわけではないんだけど」
「別に、迷惑だなんて思っていないよ」
「でも……」
「狼は群れで生きるものだからね。集団で生きるためには必要な思考だし、わたしと生き方が違うというだけで、おまえの生き方を否定するつもりはないよ」

 狼は魔法使いの言葉を聴くと、ゆっくりと数回瞬きをした。そして、苦い薬を飲んだときのように顔をしかめる。

「あの……あなたは今……とても難しい話をしているな……?」

 それを聞いた魔法使いは、また声をあげて笑った。

「おまえは本当に可愛らしいね」
「揶揄わないでくれ」

 不機嫌そうな狼の頭を魔法使いの手が撫でまわす。

「子供扱いもやめてくれ」
「ああ、ごめんごめん。でも、犬だって狼だって頭を撫でてやれば喜ぶだろうに。それにね、おまえより何倍も長く生きているわたしからしたら、大抵のものは可愛らしいよ」
「人間のこともよくわからないが、魔法使いのことはもっとよくわからない」

 遠慮のない魔法使いをとめようと、狼がその手を捕まえた。面白がった魔法使いは、ぎゅっとその手を握り返す。

「他人のことをわかろうとするなんて、土台無理な話なんだよ。違う生き方をするもの同士なら、なおさら」

 どれだけ強く手を握りあったところで、決してひとつにはならないように。
 狼はまた幾度か瞬きをし、悲しげに目を伏せた。

「あなたの話は、いつも難しい……」
「そうかい。いつかわかる日が来るかもしれないし、来ないかもしれないね」
「ずっとわからないままかもしれないのか」

 沈んだ狼の声に、魔法使いの目許がやわらぐ。

「わからなくったって、こうして一緒に暮らすことはできるじゃないか。ところで……」

 はて、わたしたちは何の話をしていたんだっけ。
 魔法使いがゆるりと首を傾げると、狼は不満そうに鼻を鳴らした。

「おれが、あなたの役に立ちたいという話だ」
「ああ、なるほど、そうだったね」

 握っていた手を、魔法使いのほうからゆっくりと放す。
 名残惜しそうな狼の視線を浴びながら、魔法使いは結っていた髪を解いた。艶のある髪が広がり、肩に、背に流れるように落ちる。

「じゃあまずは、この髪を結ってもらおうかな」

 先ほどまで小難しい話をしていたとは思えぬほど、無邪気な笑みで狼を誘う。

「おまえに負けないくらい、可愛く頼むよ」
「……どうなっても文句を言うなよ」

 緊張した面持ちの狼に髪を託した魔法使いは、作業台に添えてある椅子に深く腰掛けた。

<終>


最後まで読んでいただきありがとうございました。
小説は以下でも公開しておりますのでよかったらぜひ。

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