【小説】明るい夜にアイスクリーム
「ねえ、アイス食べに行かない?」
声をかけられたトラは壁にかけられたアナログ時計を見あげた。
あたたかみのある木目の浮かんだ文字盤を回る針が示す時間は午後十時を過ぎたところである。
「今から?」
「うん」
テンがレコーダーのリモコンを操作しながら頷く。
今日は昼からずっと映画を観ていた。ゾンビ映画やサメ映画など、いわゆるB級映画というやつだ。
ピザやポップコーン、それからコーラなんかを準備して、くだらないなあなんて軽口を叩きあいながら半日以上。たまにはそんな自堕落な日を過ごしたっていいだろう。とはいえ――
「こんな時間に?」
「うん。甘いものが食べたくなっちゃったんだよね」
くちにしたら、ますます食べたくなってきちゃったな、とテンが歌うように言いながらDVDをケースに戻す。
それを聞いていたら、なんだかトラもアイスが食べたい気分になってきた。散々ジャンクな食事をしたあとだというのに、これが別腹というものか。
「いいけど……」
「やった。じゃあ僕が車出すね」
「え、どこまで行く気なの」
コンビニまでであれば徒歩十分とかからずに向かえるというのに、わざわざ車に乗ってまでどこに行くつもりなのだろう。
驚いたようすのトラに、テンはにっこりと微笑んでみせた。
「行ってみたいお店があるんだよね。まあ、任せておいて」
テンが運転する車が滑るように道路を走る。時間帯のせいか、ほかの車や人影はあまりない。
「テン、運転うまくなったよね」
「まあね。なんだかんだで随分長くやってるし」
手慣れたようすでウィンカーを出し、もたつくことなく左へと曲がる。
「どっちかというと、車を怖がってたのはトラのほうだよね」
「だってこんなでかい鉄の塊が猛スピードで走るんだよ? 平気なほうがおかしいって」
「人間の叡智はすごいよねえ。おかげさまでトラと一緒に移動するのも楽ちんだよ」
住宅街を抜けると、店が並んだ通りに出る。
やはり夜遅いせいで閉まっている店が多く、昼間ならにぎわっている道は静まっていた。
「ねえ、トラ。ちょっと窓開けていい?」
「いいよ」
「ありがと」
少し開けた窓の隙間から風がするりとはいりこむ。
締め切られた空間に流れが生まれ、思わず深呼吸をした。
昼間はすっかり暑くなってしまったが、日が沈むといくらかそれがやわらぐ。
暑いのが苦手なトラはこれから本格的にやってくる夏を思って憂鬱そうに溜め息を吐いたが、テンは髪を撫でる風に気持ちよさそうに目を細めた。
「車は便利だけど、風を感じにくいのがなあ」
風にそよぐテンの前髪を眺めながら、トラが「うーん」と首を傾げる。
「なんだっけ、オープンカーだっけ? あれならいけるんじゃないか」
「あの屋根のないやつ? トラ、僕が運転したら乗ってくれるの?」
トラは自分がオープンカーの助手席に収まるさまを想像し、ふるふると首を横に振った。
あんな吹き晒しの状態で走るなんて、絶対に落ち着かない。それに、うっかり振り落とされてしまいそうで少し、いや、かなり怖い。
「だと思ったよ」
からからとテンが笑声をあげ、トラはむっとくちを尖らせた。
「……で、どこまで行く気なのさ」
「えっとね、アイス屋さんだよ。そろそろ着くはず」
「アイス屋さんって……こんな時間に店が開いてるの?」
「うん。なんか流行りらしいよ……ほら、あそこ」
テンがいう方向を見れば、暗いなかにポツンと明かりがついている建物があった。シンプルな白い壁に、ポップな雰囲気のロゴと店名が煌々とひかっている。
店の隣の小さな敷地は駐車場になっているらしく、すでに二台の車がとめられていた。テンもうまい具合に駐車すると、早く早くとトラを降ろす。
店内にはいると、遅い時間にもかかわらず、それなりに先客がいた。誰もがきらきらした目で楽しそうに笑っている。
「わあ、見てよ、美味しそう!」
弾んだテンの声に、トラも頷く。
メニュー表にずらりと並んだアイスの写真はカラフルで愛らしい。透明なカップにこんもりと盛られたそれは、小さなパフェにも似ていた。
よく熟れて真っ赤なイチゴが飾りつけられたアイスを見つけたトラの目が、他の客のようにきらきらと光る。
「これ、イチゴたっぷりで美味しそう」
「だね。これは……キウイか。こっちも美味しいだけど、トラは苦手なんだっけ」
「うーん、苦手というか、眠くなっちゃうかも……あ、こっちの緑はメロンだって」
「このモンブランって栗じゃなくてカボチャなんだって。クルミやナッツが乗ってるのもいいなあ」
「それ、チョコかかってるのか」
「そうだねえ。チョコも駄目なんだっけ」
「いや、大丈夫……だと、思う」
「まあ、こんなに種類があるんだし、好きなものを食べよう」
「うん」
さらに少し悩んだあと、テンは季節限定のメロンを頼み、トラは最初に目についたイチゴを頼んだ。
持ち帰り用のケースにはいったアイスを手に、速足で車へと戻る。
駐車場にはふたりの車しか残っていなかった。
それを確認したテンがいたずらを思いついた子供のように無邪気に笑む。
「ねえ、ここで食べちゃおうか」
トラはぱっと周りを見渡すと、テンと同じ笑みを返した。
雪みたいな真っ白なミルクアイスと、それを囲う赤い宝石のように輝くイチゴ。まとめてぱくりとくちにすれば、濃厚で冷たい甘さに、甘酸っぱいイチゴがきゅっとトラの口角をもちあげる。
「んー、美味しい」
「よかったねえ。僕もいただきまーす」
メロンソースのかかったバニラアイスを頬張ると、とろりと溶けて、思わずテンの表情も緩む。贅沢に盛られたメロンの果実は完熟で、舌で押しつぶすだけでまったりとやわらかな甘さがくちいっぱいに広がった。
「これだよ、僕が求めてた冷たいオアシス……!」
普段のトラなら「大袈裟じゃない」なんて言っていたかもしれないが、夜遅くに外でアイスを楽しんでいるという状況のせいか「うん、うん」と頷くばかりだった。
せっかくだからひとくちずつ交換して、ひんやりとした甘みにくすくすと笑いあう。
「イチゴも美味しい!」
「メロンもだ」
「人間さまさまだね」
「まったくだ」
トラがくちの端についたアイスをぺろりと舌で舐めながら車の外へ目をやった。
車の通りこそ昼間よりぐっと減ったが、行儀よく並んだ街灯が道を示し、明々と照らされた看板は離れていても内容が読み取れる。夜空を仰いでも星は見つけづらいけど、視線を少しさげればビルや集合住宅の窓からもれる光がいくつも見える。
「現代の夜は明るくなった。夜はすっかり人間のものになってしまった」
トラの呟きに、テンがふむ、と頷く。
「おかげでこんな時間でも、こんなに手軽に美味しいものが食べられる。山からおりた甲斐があるってものだよ」
したり顔で言うテンに、木べらのようなスプーンを食んだトラが、ふんと鼻を鳴らした。
「修行を途中で投げ出すなんて、悪い天狗だな」
テンはさも愉快そうに声をあげて笑った。
ひとしきり笑うと、ダイスカットされたメロンをひとつすくってトラのくちへと放りこむ。素直にそれを咀嚼したトラが、代わりに己のイチゴをテンへ差し出した。よく冷えた果実を噛めば、甘くて酸っぱい赤い味が頬をつつき、舌を撫でる。
ふふ、とまたテンのくちから笑いがこぼれた。
「いいじゃない。こうやってふたりで美味しいもの食べたり、映画観たりできるんだから」
「そうだけど、さ」
ふとトラの声が落ちる。
「どうかしたの、トラ」
笑顔を引っこめたテンが、ようすの変わった友の顔を覗く。
トラはそんな友の反応に慌てて首を振った。
「いや、ごめん、そんなたいそうなことではないんだけど」
「言ってよ。気になるよ」
言いよどむトラに、ねえ、と迫る。
こうなったテンはさがらないとよく知っているトラは、渋々とくちを開いた。
「だから……なんか、こんな時間に外で甘いものなんて、ちょっと罪悪感ある、かも……って」
トラの言った言葉の意味を理解したテンは、ぱちりと瞬きをした。
「これはまた、随分と人間に染まったねえ」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「もちろん僕でしょう!」
けらけらと天狗が笑い、アイスのカップについた水滴がぽつりと膝に落ちた。
拗ねたトラが、つんとそっぽを向く。その背後で、ゆらり、ふたまたに分かれた尻尾が揺れた。
<終>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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