【小説】オパールの遺骨
彼には昔から、光輝く美しいものを収集するという鴉のごとき癖があった。
あるときは、上質なクリスタルでできた薔薇の花束。
あるときは、金糸と銀糸で編まれた表紙の本。
あるときは、精緻な紋様の刻まれた硝子の高杯。
どこからか希少な品々を取り寄せては屋敷に飾り、わざわざ私を招いては見せびらかすのである。
そのときの彼ときたらヴァイオレットの瞳を感動に潤ませるものだから、その瞳のほうが余程上等な宝石のようであった。
残念ながら彼のコレクションに然程興味のない私は、大抵彼の通りの良い声で語られる来歴を右から左に聞き流しながら、彼の爛々と輝く菫色の双眸であったり、すらりと伸びた首で忙しなく上下する形のよい喉仏などを何の気なしに眺めている。
彼はけったいな収集癖の持ち主であったが、同時に男も女もうっとりと溜め息を吐くほどの甘い美貌の持ち主でもあったので、暇潰しの鑑賞には最適なのだった。
コレクションに夢中な彼は殆どの場合、私が話を聴いていないことに気がつかない。
もし気がついたとしても、私がひと言、ふた言、目の前に坐した品の美しさを褒めてやれば忽ちのうちに上機嫌になる。
彼のそういう単純さには愛嬌があり、辟易するような性格や面倒な趣味を補ってなお余るものがあった。
さて、その日も私は彼の誘いに応じて屋敷を訪れていた。
とても珍しいものが手にはいったのだという電話越しの彼の声は興奮によってか震えていたが、実際に対面した彼もまた打ち震えており、私を出迎えるや否や部屋へと案内しようとする。
「ああ、早くきみにも見てほしいよ。とても美しいんだ」
「先日見せてくれた絵よりもか」
「あれも珍しくて美しいものだけどね。今日のはそれ以上さ」
銀箔の露が落ち、金箔の朝陽が注ぐ風景が描かれた極東の屏風は、彼のお眼鏡にかなうだけあって確かに美しいものであった。だが彼は、今日見せるものはもっと素晴らしいものなのだと声を弾ませる。
私を先導する彼の白皙の頬はうっすらと紅く染まり、ヴァイオレットには光芒がちらつき、彼が如何に高揚しているのかをありありと表現していた。
何だかこちらまで心臓が跳ねてくるような気がして落ち着かない。
決して彼には悟られぬよう――どうせ彼は自らのコレクションに夢中なので気づきもしないだろうが――暴れる心臓を押さえつけるように息を吸う。
彼は上着のポケットから真鍮の鍵を取り出すと、勿体つけるような仕草で鍵穴へと差しこんだ。
がちゃりと鍵の開く音が鼓膜を震わせ、彼はやはりゆっくりとした動作で扉を開く。
「あれだよ」
部屋の中央、彼の存外男らしく節の目立つ指が示した先には一本足のテーブルがあった。
その天板のうえに置かれたものが目当てのものらしい。昏い色合いの木枠で囲まれた箱だ。
「ほら、近づいてよく見てくれ」
促された私は箱を覗きこんだ。
まず、目にはいったのは淡い虹色の輝きである。
木箱のなかには土の塊があり、そこに埋めこまれた乳白色に遊色が帯を描いているのだった。
「これは……オパールか」
「ご名答」
彼の返事に私は思わず嘆息した。
それほどこのオパールは大きく、形は歪だが立派なものであったのだ。
土塊に大小不揃いな白磁の宝石が埋まっており、全体は私や彼の手ほどのサイズはあるだろう。
濡れたように輝くオパールは、妙に細長い形状が多かった。
私は、はたと己の極めて平均的な大きさの掌を見おろし、再びオパールへと目をやった。
「なあ、これはまるで、手のようじゃないか」
彼は一対のヴァイオレットを星のごとく瞬かせ、それから猫が喉を撫でられたときのようにうっそりと細めてみせた。
「よくわかったね」
そう言うと彼は乳白色のひとつを指差し、これは小指、と囁いた。
これは薬指、と細長いオパールを指す。
これは中指と人差し指、と寄り添うふたつのオパールを指す。
これは手の甲、と細かな粒の集まったオパールを指す。
そしてこれは親指だよ、と土に埋もれて僅かに露出したオパールを指す。
「生き物の骨が長い長い年月をかけて宝石になるんだ」
浴びるようにワインを飲んでも顔色ひとつ変えぬ男が、恋する乙女のごとく頬を上気させ、陶酔した目で何万年よりもさらに昔、気が遠くなるほど昔に生きた何者かの骨を見る。
「見たまえ、この輝きを。かつて愛する者に触れたかもしれぬ指先が、今や淡く七彩の光を放っているさまを」
彼は両手で慎重に、大胆に土塊を掬うようにして持ちあげた。
自身の白い肌が汚れるのにもかまわず、今にもオパールの遺骨に頬擦りしそうな気配である。
「ねえ、きみ。きみも美しいと思うだろう」
私はひとつ、無言で頷いた。声が出なかったのである。
だが彼には十分だったのだろう。そうだろう、そうだろうと満足そうに笑みを深くした。
「俺はね、世の中の大抵の人間たちがそうであるように、死を恐れているんだ」
死ぬのは怖いよ、と彼にしては気弱な声色で告げる。
「でも、もし、俺の骨がこんなふうに美しいものになれるのであれば」
彼は感極まったように一度くちを噤んだ。
常より紅みを増したヴァイオレットは今にも涙を零しそうである。
「俺は、死も悪くはないと、そう思うんだ」
彼は一度はきゅっと引き結んだ唇をほろりと緩ませ、恍惚としたようすで微笑んだ。美しさに焦がれた笑みは男だてらに妖艶で、それでいて妄信的で無邪気な幼子染みてもいた。
私は夢想する。
彼のまあるい頭蓋が、やわい臓器を包む肋が、支柱たる脊椎が、滑らかな白に染まり、遊色をまとうさまを。
見る角度を変えるたびに彼の骨も色を変え、一度として同じ表情は見せぬであろう。
玉響に光り輝き、その赤裸々な美は生前以上に見る者を圧倒し、惹きつけるのだろう。
「ねえ、きみにもわかるだろう」
「ああ、そうだな。悪くない」
私の同意に彼が、ふふ、と喜びの笑声をあげた。
彼が笑い、震えると、その腕に抱かれた骨も同調するように色を揺らめかせる。
骨と彼、ふたりだけを包みこむ眩しさに私はそっと目を眇め、背で両手を組んだ。
「きっと、俺は素晴らしいオパールになるよ」
「ああ、楽しみだな」
私は心底そう思った。
彼が宝石になるとしたら、またとない至高の逸品となるだろう。
喜びに光るヴァイオレットが私をとらえたかと思うと、ふとそこに憐憫の色が混じった。
「きみにその美しい骨を見せてやれないのが残念だよ」
憐れみが滲む微笑はさながら一枚の絵画であった。
その胸元に抱かれたオパールですら、慈悲深い眼差しをくれているようである。
「まったくだ」
私はその場に跪きそうな脚を叱咤しながら、煌めくヴァイオレットを見つめた。
何万年よりさらに未来なぞ待たぬとも、その眼窩に嵌った瞳こそが宝石のようであるとは、とても言えなかった。
<終>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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