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人は何度でも立ち上がれる(?)~俺とレッドクロス~


「人は何度でも立ち上がる」その通りだと思うし、俺自身そう信じたい。一方でこの言葉は(場所を選べば)というカッコ付きだと思う。例えば甲子園に出ることの叶わなかった高校球児が引退後一念発起、東大に合格したとする。美談だし誰もが彼の努力を認めると思うけどやっぱりそれは甲子園に出たことにはならない。

例えば、俺も人並みに勉強したけど入りたかった大学には入れず家族が引くほど引きずった、が、結局は行った先でも自分のやりたいことは勉強できたしバンドやってくれる友達もできた。いい思いしても俺に浪人だったりする勇気がなかったことや、そこに挫折があったことも事実だ。

妥協なのか折り合いをつけたのか新たな道を見つけたのか、とにかくこうやって皆、自分を腐らせず立ち上がる道・場所を見つけられたらきっと何度でも立ち上がれると思う。


一方でここでつまずいてしまった以上、ここで立ち上がらないともう俺は二度とまっすぐ歩けないんじゃないかという場所もある。

俺にとってその一つが「新宿紅布(レッドクロス)」というライブハウスだ。

いやおもっくそつまずいたりやらかしたりした過去があるわけじゃないんだけど、とにかく18,19歳、音楽やりたい以外何もなかった俺がいた場所であり、バンドでまだやれてない場所だ。


~JAPANESE IMO BOY~

モヒカン後の夏、レッドクロスで抱きしめるズ観に行く、ボーカルの人との写真

新宿レッドクロスに「THE 抱きしめるズ」を観に行った16,7?歳の俺、と当時のボーカルの渡辺さん。坊主なのは野球部だからじゃなくてロバートデニーロの真似してモヒカンにして先生に怒られて丸刈りにされたため。


大学に入ったら即BECKのような運命的な出会いがあると思いきやそうも行かず、バンドが組めないからという理由で動かない自分に腹を立て弾き語りをしようと思った。俺にとって東京のライブハウスは「新宿レッドクロス」と「新宿JAM」しかなくて、両方にCDを持ち込もうとしたんだけど、JAM前を掃除してるお兄さんがいかつかったのでレッドクロスだけ行った。

ひとりでMTRでつくったハナゲみたいなCDをちゃんと聞いてくれて、ライブもやらせてくれた。


~弾き語り期~

当時俺はフィリピンで買った8000ペソのエレアコ(弾くと「ペキペキ」って音がした)を使っていて、「一回やった曲は二度とやらない」という謎のとがり方をしていたため、ライブを重ねるごとに練習時間が足りずカンペを用意するなど酷い有様だった。挙句の果てに「フリースタイルラップなら練習せずに済むな」と思いそのためにサンプラーを買い込み誰もいないフロアに向かい韻を踏んだりしていた。

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ライブの際に掲げてる旗もこの頃作った、メンバーを探す前に俺は旗を作った、なんで?

そんな場所にやっと戻ってこれる。しばらくレッドクロスでライブできなかった理由として常に新しい場所を求め続けたことや、ただただ俺がきちんと連絡出来ていなかったことなど理由はいくつかあるけど、今回何年かぶりに連絡して、快くライブを紹介してもらえた。

自分のライブをたまたま見ていた会社員のおじさんに「お笑いやってるのかと思ったよ」と言われて半泣きで帰った18歳の俺に恥じぬようやりたい。(その時仮性包茎の歌を歌っていたので、おじさんが正しい。18歳の俺へ、それはお笑いだよ。)


~おこめズライブ予定~

8/3(火)@新宿レッドクロス

8/16(月)@越谷イージーゴーイングス

チケット予約→okome_okomail@yahoo.co.jp

詳細はツイッターにて




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