【小説】いつも傍に居てくれる君へ

春の優しい空気を感じながら通学路を歩き、新入生たちが学校の正門をくぐる。
保護者の姿もちらほら見える、高校に上がった初日。
軽く浮かれた頭で周りを見渡した瞬間、体に衝撃が走った。

長く艶のある黒髪に憂いを帯びた瞳。
周囲すら華やぐように漂う色香を身に纏い、気高く美しい彼女がそこに存在した。
見るものを圧倒する姿に小さく息を引きこみ……けれど、そんな印象は次の瞬間には崩壊した。

「ジロジロ人を見て何か用なの?」

幻想は儚い……。
ケンケンとした尖った口調と鋭く閃いた眼光に当てられ、気付けば意識が消失していた。



「一年二組、皇 雫……新入生、か」

胸ポケットに入っていた生徒手帳を開いた養護教諭が呟く。
ふぅ、と溜息交じりに「入学初日から保健室って珍しい子ねぇ」と付け加えて。
大した怪我もなく休憩するだけで事足りたが、雫も保健室に用など無かったはずだった。

あんなことさえなければ……。
薄く目を開けた雫はそう思うしかない。

「十分休憩したでしょ?
 式もそろそろ終わりだから、早く教室に行って追いつきなさいな」

「はい……ありがとうございました」

雫はそう言って寝かされていたベットから降りて部屋を出る。
ガラリと引き戸を開けた時、背中に掛けられたのは「向き反対。突き当たりから二つ目の教室」との教室へのナビ。
方向音痴を発揮した自分に恥じながら、雫は改めて礼を言って歩き出した。

今日は入学式、それに学校案内と授業内容の説明。
最後に教科書を持ち帰れば終わりだったはずなのに、最初の予定からいきなり狂っていた。

転勤族の母親とフリーランスで自宅で仕事をする父親を持つ雫は、高校に上がると同時に転居したため、この地に知り合いが居ない。
となれば入学式で変に目立つこともなかったのと、共働きの両親が揃って仕事で来れなくて安堵することになるとは夢にも思っていなかった。
そんなネガティブな感想を持ちながら、ガヤガヤと騒々しい廊下を歩いていく。
すっ飛ばしてしまった入学式の後はそれほど時間もかからない……午前中には家に帰れるだろうと当たりを付けて。

一年二組のざわつく教室の扉をくぐり、たまたま空席だった窓際の席に座ってぼんやり窓の外を眺める。
同じ中学から上がってきたり、社交性を発揮して早速友達作りに励んでいたり、と未だ現れない担当教諭のせいで騒々しいのは仕方ない。
けれど何となく、雫の周囲だけぽかんと浮いているような……遠巻きに視線を感じるのは何故だろうかと見渡してみると、その理由はすぐに判明することになった。

「………………何であなたが目の前に座ってるの」

窓際の最後尾。
雫が座るすぐ後ろ。
名も知らない彼女は、先ほどの雫と同じように窓の外を眺めてふてくされていた。

あぁ、彼女だ。

雫は口にしないまま、今朝の出逢いを噛み締める。
改めて見る彼女は今朝と変わらず美しく、印象とは口や態度が正反対で吊り合わない。
無視するわけにもいかず、雰囲気に気圧されつつも雫は返答する。

「同じクラスだからかな」

「うるさい、理由を聞いてんじゃない。
 朝から視線を感じて見れば、目の前で急に倒れる軟弱なヤツだし最低な気分よ」

「ならお互い様かな。
 僕も入学初日から保健室だしさ」

今朝以上の体験は簡単に得られない。
衝撃の初対面を経た雫は逆に落ち着いていた。
彼女は驚いたような視線を送り、すぐにまたそっぽを向いた。

「はぁ、よく笑っていられるな……」

「笑ってる……?
 あぁ、僕は笑ってるのか」

「…………な…………か?」

頬を触って表情を確かめていた雫にぼそりと呟かれた声は、空気を読まないチャイムが鳴り響いてよく聞こえなかった。
仕方なく「なんだって?」と訊き返した雫に投げ掛けられたのは――

「うるさい。黙って前を向いていなさい」

――という冷たい言葉。

一度目、二度目の出逢いとも散々だな、と肩を竦めて黒板に視線を向ける雫。
チャイムが鳴り終えて暫くすると、教師が顔を見せた。
教壇に立つ担任は、全員に座るように指示したのち、静かになるのを待ってから磯部と名乗った。
学校案内を含めた説明を始める前に、席に着いた学生達に簡易ながら自己紹介を促した。

授業もない登校初日。
和やかな雰囲気で進む自己紹介。

雫は「苗字と見た目のギャップが激しいけれどよろしく」と付け足した。
自分がいかつい名字とは全く印象の異なる容姿なのを知る、実に雫らしい自己紹介だった。
ただ、その時に雫の背後で鼻で嗤うような声が聞こえたのは、気のせいではないだろう。

雫と入れ替わるように立ち上がったのは、朝から名も知れぬ同級生だった彼女。
彼女はただ「東雲 楓」と告げただけで席に座る。
振り向けないので雰囲気しか分からないが、窓の外を見ているようだった。
雫は密かに窓から吹き込んだ風を受け、綺麗な長い黒髪がふわりとなびいていた彼女の姿を思い返していた。

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