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先日から何をするでもなく垂れ流され続けているゲーム実況動画。
最近は特にシミュレーション系のものが多く、ビーバーを見て癒されていたりします。
もやしも実況者の仲間入りして日がな一日ゲーム三昧……なんて夢を見てしまいます。

そして転機は訪れたのです。
ある食事の場で最新のPS5で遊ぶ家族に呆れる話が出ました。
そこでもやしはすかさず「PS4使ってないなら売ってよ!」と飛びつく。
まぁ、実際は手に入るとも思っていなかったのでただの冗談だったんですけどね。

しかし事態はとんとん拍子に進み、今はわが家に設置されました。
何事も言ってみるものですねぇ……まさかこんなことになるとは思っていませんでした。
据え置きゲームを自宅でするのって、何年振りだろうってくらい。
正直、今のゲームについていける気がしない。
少しずつリハビリ重ねながら、楽しんでいきたいと思います。


はてさて。
こうしてゲームの歴史に踏み込んだもやしですが、一昔前は『ゲームすると頭が悪くなる』と言われていました。
もしかすると現在進行形で思われているかもしれませんね。

実際に人は一日に二十四時間以上の時間を自分で使うことはできません。
つまりゲームをした時間だけ他のことができなくなります。
たとえば面倒ごとの代名詞である『勉強時間』が筆頭でしょう。
となれば『ゲームをすると頭が悪くなる説』はあながち間違いでないことになりそうです。

しかしもやしは『むしろ逆である』とあえて言いたい。
実はゲームを楽しむためには非常に高度な能力が必要なのです。

まずゲームにはそれぞれ『ジャンル』で分類されます。
アクション、シューティング、シミュレーション、レーシング、RPG、FPS、パズル、音楽など様々です。
さらにゲームごとの『世界観』が存在し、時代・地域・役割・目的は違います。
同じ名前・効果の呪文や技を使うシリーズ作品でさえ、登場人物・ストーリー・操作性は変わってきます。
でなければただの同じ作品ですからね。

さらにはゲームで描かれた世界の中にも多くのルールが存在します。
たとえば分かりやすいものでは『味方への攻撃ができるorできない』はかなり大きな違いですよね。
可能であれば当たらないように気を付けたり、むしろ攻撃してよろめかせて助けたり。
不可なら味方を盾に見立てて射線を無視して攻撃なんてこともできるでしょう。

これらのルールは現実よりも遥かに厳格に履行されます。
現実では法律違反をしても立証できなければ罪に問えませんが、ゲームの場合はバグという例外を除いて通用しません。
また、現実では何かしらの違反がなくとも吊るし上げや炎上は日常的に起こりえます。
しかも直接的な利害関係者が許してるのに外野が口出ししてくる状況もありますよね。
一歩引いて見るとかなり野蛮な光景ですよねぇ。

ともあれ、こうしたルールの『できる・できない』の境目は絶対的です。
これらの膨大な要素はゲームが描く世界観を語るための重要なパーツです。
世界観を補強し、ゲームに深みを与えてくれます。
そしてプレイしながら複雑に絡み合う要素を分解・理解・利用していく難易度がどれほどか。
読み解くだけでも相当な『想像力』を必要とします。

さぁ、こう考えると『遊び』とはいえ、随分と壮大な話だと思いませんか?
今までの認識よりも遥かに侮れない行為に感じられますよね。


それでは核心に迫っていきましょう。
実はこうしたゲームによって違う世界やルールを、読み解き・利用することは間違いなく訓練になっています。
たとえば将棋や囲碁のようなテーブルゲームであれば、対戦相手よりも最善の手を模索しなくてはいけません。
同じようにターン制のRPGでは、敵の累積ダメージやライフ残量、被ダメの予想も必要ですよね。

リアルタイムでの操作が必要なアクション、FPS、レーシング、格闘、音楽などは反応速度や情報処理・予測・記憶能力が。
しかも指先の微細な操作まで連動が必要ですし、音楽系になると全身運動を要求されるかもしれません。
格闘ゲームなら影ながら心理戦も行われていることでしょう。

シミュレーションには系統がいくつもありますが、街づくりは想像力に加えて収支管理、特に『タスク管理』が鍛えられます。
代わって恋愛系などのテキスト・選択型であれば、キャラクターごとの背景や心情を読み解かねばなりません。
テキストの読解力に加え、共感力が試されることでしょう。
領地拡大系であれば、何に投資して、どうやって回収するかなどの戦略性が必要になるでしょう。

もっと身近なスマホゲームにありがちな『スタミナ管理』にしても、現実で行えばスケジューリングに他なりません。
ほら、何時間後にゲームを確認するのが最適か、を考えているわけですからね。


そう、ゲームで獲得した知識や能力であっても、使い道はあります。
しかもゲーマーは『ゲームによってルールが違うこと』を身に染みて体感しています。
環境(ゲーム)に合わせて自分の能力を使えば、現実であっても十分に通用するのです。
それが『遊びながら学べる』と考えれば、ゲームほど優秀な学習要綱はないでしょう。

また、人は『未知に惹かれる性質』があり、逆に既知に対して『飽き』が存在します。
となれば、同じゲームをやり続けられず(試行錯誤は別問題)、新たなゲームを手に取ってしまう。
手に取ればおのずと学び、一定水準を越えれば自然に手放していきます。
とまぁ、都合のいい妄想を書いているにしろ、仕組みだけを並べるとゲームって改めて優秀だと感心させられますね。

ここで注意が一点。
たしかにゲームの知識や技術は現実にも転用可能ではあります。
けれど同時に現実とゲームは間違いなく別の世界観で動いています。
これらを混同してしまえば、どうなるか。

理想の返済プランを夢想して借金に躊躇がなくなったり。
周囲すべてが敵に思えて攻撃性をむき出しにしたり。
空を飛ぼうとマンションの屋上に立ってみたり。
相手の心境を読み取れずに告白してみたり。

まぁ、ロクなことにはなりません。
とはいえ、そこまでのめり込む人ってかなり限られているとは思いますけどね。

ちなみにここまでゲームの話をしてきましたが、これらは『世界観を理解する』観点から言えば、
小説、漫画、アニメ、テレビ、映画などでも同じ効果があります。
テレビで見聞きした情報を生活で使ったりするのと同じですね。


さて、ここまで長々と書いてしまいましたが、言いたいことはただ一つ。

《ゲームは役に立って面白い》

これに尽きます。
ゲーマーの末席にちょこんと座ることになったもやしも、一杯遊んで能力向上を目指しましょうぞっ!!

#ゲーム #実は #楽しい #学習 #QOL向上


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