昭和新山
日程:2002年11月7日
メンバー:M様、N室長、T主任、報道機関、ぼく
冬の匂いのする空と処女的なうっすらとした新雪、隣で機嫌悪くも大きく鎮座する有珠山を見上げ、その向こうの外輪山にはウィンザーホテル(旧エイペックスホテル)をヨーロッパの城のように遠く眺めながら、我が足は山腹のあちこち吹き上げる水蒸気から地球の鼓動を感じながら、赤茶けた色をした溶岩ドームの山、昭和新(407m)へと登る機会に恵まれました。
この昭和新山は、昭和18年12月に始まった群発地震をきっかけに、昭和19年6月、麦畑から噴煙が上がり、2年にわたる(昭和18年12月~20年9月)火山活動で海抜407mに生成した山です。
学術的にも大変貴重な山として、国の"特別天然記念物"に指定されている山なんです。
はっ? "特別天然記念物"…果たして登っちゃって良いものなんだろうか?
例えばハクチョウを捕まえて食べちゃったり、オオサンショウウオの上に足でまたがったりと似た
行為になるのではないのン?(例えば…の話です)と感覚的に思います。
天然記念物は、動物、植物、地質鉱物の中で重要なものが指定され、そのうち特に価値の高いものが特別天然記念物に指定されています。
また文化財の中でよく耳にする“重要文化財”は、有形文化財のうち重要なものが指定されます。さらにその中でも特に価値の高いものが“国宝”に指定されています。
この重要文化財と国宝の関係を天然記念物に置き換えた場合、天然記念物が重要文化財、特別天然記念物は国宝に相当するのだそうです。
特別天然記念物…それは、国宝級なのですね。
ぼくは、ついに国宝にまで、この足をかけてしまいました…
さて、この特別天然記念物、昭和新山の素晴らしい陰の栄光は「人」にあるのだと思います。
当時、壮瞥(そうべつ)郵便局長であった三松正夫氏が刻々と上昇する昭和新山の隆起を、軍事的機密とされる中、昭和19年5月から昭和20年9月まで16ヶ月間にわたり個人的な労力で定点スケッチを続けて記録をとり、昭和23年の国際火山学会議で発表した際に絶賛を受けて「ミマツダイヤグラム」と命名されたほどのものなのです。
誤解のないように説明致しますが、今回はその地の所有者の特別のご案内で、有珠山復興対策の業務や地元報道機関の方たちと共にさせていただいた山行(調査?体験?)であります。
ですから、きちんとヘルメット装着の完全装備でありました。
一般の方の立ち入りは禁止されておりますので、くれぐれも誤解のありませんように…
貴重な体験でしたから、地学にもとことん疎いぼくですが、かいつまんで見聞したものをご報告します。
・気象庁の観測地点は、北東斜面に温度計差し入れ口、南西斜面に太陽光を利用した震度計がありました。
・噴出口からでている噴煙は、すでに硫黄分もなく、ほとんど水蒸気の状態でした。(やけどします)
・頂上付近には有珠山噴火の際にできた亀裂が南北に走っていました。
・頂上付近には、水晶の結晶粒子が多く、キラキラとしていました。
・一部、白い塊となって石灰の結晶体が観られました。
・特徴的な火山岩デイサイトは、ハンマーで叩くとキンキン響くほど固く、地震が伝わる原理を観ました。
・露出している火山岩の盤には、隆起の際のスクラッチ(引っかき跡)なども残されていました。 ・植生は、ヤママハコ、グミやニセアカシアの幼木、クローバーなどもあり、頂上付近にも有機質土壌が生成されているようでありました。
・噴出口付近には独特のコケ類が生育していました。
・イワツバメが西斜面に営巣しているようでした。まだ南方へは渡っていませんでした。
・また、エゾタヌキの生息が確認されているそうです。
洞爺湖(とうやこ)、有珠山(うすざん)、長流川(おさるがわ)など地形生成的な地球の動きを、まさに地に足をつけて体感し、一望できる高度感あるものでありました。
終日にわたって、絶妙で軽快なご解説をしてくださったM様、貴重な機会を与えていただきまして、大変ありがとうございました。