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海別岳

日程:1990年4月14〜15日
メンバー:ミツルさん、Mさん、Fさん、ぼく

知床連山末端の海別岳は山スキーで人気のある山である。尾根下部のタンネ、オホーツク海への広大な斜面と魅力たっぷりである。
最近の暖気によって雪がかなり解け、網走からも稜線が黒々と望まれていたが、何とか天候にも恵まれ頂を踏むことができた。

4月14日(土)
網走を16時過ぎにFさんの車で発ち、斜里警察署へ登山計画書を提出して、朱円東から海別川沿いの道路を進む。
標高195mのまだ雪残るT字路のところにB.Cを張る。雪の上を整地してエスパーステントを張り、水は少し離れた川まで汲みに行く。もう4月なので陽が長い。
ワインとビール、ジンギスカンと餃子で夕食をとり、21時就寝。
星は見えているものの天気は悪化に向かっているとのこと。先週、斜里岳直登沢を狙ったのに停滞した二の舞にならなければ良いが、やはり天気は心配だし、この頃は天気男としてのメンツも少なからず出てきたので、実に晴れになって欲しいのだった。

4月15日(日)晴れのち小雪
4時起床。朝食後、肌寒い中でテントを撤収して車に積み、さあアタックだ!
5時30分、山スキーでさらに続く雪の積もった林道をガチャガチャ進む。橋のない川を渡り(ここに1パーティ、テントがあった)、カラマツ林の中に林道は続いている。
海別川の意はアイヌ語で「ウナ・ペッ 灰色の川」だそうだが、清冽な沢である。きっと大昔、知床連山と同じく火山活動があったのだろう。
右手に流れていた川に真新しい砂防ダムが現れると、林道は左上にジグザグに折れ、荒廃が激しくなってゆく。若いハンノキの生えた、実に進みづらい林道を進むと、左からの枝沢にぶつかる。幅は1m少ししかないが、今時の水はきっときっと冷たいことだろう。スキーを外して渡る。小休止。
 どこを見ても似たようなトド・エゾマツ、ダケカンバがあるので標識テープをつけながら進む。驚いたことに先週、Fさんがつけたテープが手の届かないところにあり、暖気による融雪はすごいものである。Fさんは海別岳に気合いが入っている。
 左に見えていた尾根(ピークから西北西にのびている)が森林限界になってきたところで、その尾根に取り付くが、ここでスキーをデポして、アイゼンをつける。急斜面だが約10分くらいで登れる。尾根上に出ると南西には小海別岳(890m)、そして眼を90度南東に移すと、めざす海別岳がゆったりとした山容を見せている。ハイマツが雪が少ないため広い稜線を黒々とコントラストしている。ここから見る限り、頂上へはすぐに行けそうな錯覚に捉われるが、これは泣きを見る大きな間違いである。2kmはある。
 それにしても下手なスキー場よりもスキー場らしい斜面である。しかし、視界がない場合はそれだけ迷いやすいので注意しよう。ハイマツとダケカンバを避けながら、高度をかせぐ。眼下には青いオホーツク海と斜里の平野、めざすピークからは春の朝の日差しが雪に反射して眩しい。
 振り向くと、小海別岳越しに斜里岳の鋭鋒が望めたが、7時30分頃からガスに包まれ、天候悪化の兆しを見せていた。広い尾根の右側寄りにルートをとり、上部になるにつれ斜面が急になってくるので、ジグザグにステップをきる。偽ピークのすぐ左、北の肩(1165m)からピークへの稜線にでる。眼前に雪をまとった知床の山々が、そして遥かかなたの雲の上には盟主・羅臼岳が頂を出している。すばらいパノラマである。
 稜線を南に進み、左の急斜面を雪庇に注意しつつ、晴天弱風、10時20分、海別岳頂上1419mに立つ。
 本沢をつめてきたのか頂上直下の斜面に4人パーティがいたので手を振る。
稜線上はところどころ雪がなく、黒っぽい安山岩と太いキバナシャクナゲなどの高山植物が露出している。ガスと風が出てきた。10時30分、下山開始。
 ガスの中、テープを頼りに下り、スキーはシールを外して痛い目に遭いながら、華麗な?シュプールを残して、13時45分、B.C到着。
 小雪の中、振り返って見る海別岳は何もなかったようにそこに座り、ぼくたちがあのピークに立ったことは何でもないようなことだった。

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