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浜益御殿〜雄冬山

日程:2003年5月4日
メンバー:Mさん、N室長、ぼく

「連休後半、どうするんだ? どこかの山へ、行くのか?」
職場で、幹部のN室長に、いつものようにお声をかけていただいた。
その日のうちに、メンバー表にぼくの名前と誤った年齢が記載された登山計画書が手元に渡された。

 その行き先を眺め、ぼくはどこか往年の鰊(にしん)番屋か何か建物からの簡単な標高の山への日帰り雪山登山だと勘違いした。
夏山のコースはない山並みらしい。
つまり、積雪期にしか、行けない山なのだ。
 「浜益御殿(はまますごてん)~雄冬山(おふゆやま) 1,198m 」

 ぼくは、札幌から車で約1時間半程の、その山の1/25,000地図を買い求めた。
しかし、どこも売り切れ状態であり、そして、お店の人は、簡単にも、こう云う。 
「長靴でも行って来れるよ」、と。
ぼくは、安易な日帰りコースなのだな、と、さらに勘違いを重ねた。

 当日、朝3時に起床し、N室長をお迎えにあがり、そしてまだ闇の夜霧の中を、 浜益村へとレガシィで向かった。

     そこでは、地元役場の幹部で、熊撃ちもするというMさんが、やあやあと出迎えてくれた。温かくも頼りになる方だということが、すぐにわかった。

     そして、ぼくたちは林道に残雪があるところまで、車を進めた。
この村の温暖な気候の豊かさが、果樹園や山桜、雪代の色合いから、よくわかる。 
ガイドブックにも載っていない、なかなか知られていない山だと思っていたが、 すでに数台の車が雪解けの林道に停まっていて、先人たちがすでに登っているよう。

     ぼくは本当に長靴なんかで行けるのかどうか迷ったあげく、冬山用のプラスティックブーツを履いて、ぼくたち3人はツボ足(山スキーを使用しない)で出発した。

     6時30分。

     ウグイスの清涼感あるさえずりと向かう林内に射す朝日、振り返る海霧が心地よい。
 地図上での533.3m、呼称「大阪山」と呼ばれる林の丘を過ぎ、スノーモービルの 入山規制標識を通過した後、いよいよ広く緩やかな尾根の森林帯へと入っていった。

     どこの雪面を歩いても良い、心地よい登行であり、身体も足元も快調である。
そうだな、自由にどこでも歩けるという開放感、ここ最近、なかったかも知れない。

     日頃の不摂生の毒素が排出され、リニューアルオープンしていくお店のようである。
遠くの稜線に見える行き先、浜益御殿というのは、そう、山の名であった。
何でも、往年に日本海側が国道231号線として全線開通する以前、陸の孤島であった こちらとあちら(増毛側)を結ぶ増毛山道という道があったそうで、その御殿の地点には、なんと「茶屋」があったとか、なかったとか…
いろいろな盗賊事件があったとか、なかったとか…
ぼくは相変わらず怖がりである。

     それでも積雪期にしか、こうして林内をたどることしかできないこの山域に、人の匂いが感じられるモノや形跡などあろうはずがなかった。

 9:30、浜益御殿(1,039m)に到着。

     雪面に顔を出し始めた単なるハイマツ植生の、ごくありふれた山の頂である。
しかし、眼を通して、うわっと感嘆する。
景色が絶景なのである。

     南東側には雪の谷を挟んで向かいには白く輝く浜益岳、そして北側にはめざす雄冬山が女性的な山容を見せてくれている。遠いなあ…さらに眼が細まる。

     ハイマツの中に転がり込んで、休憩を取る。夏山の高みの匂いがプンとした。
 
 ここから一気に雪面を約150mほど下り、そして雄冬山への白い傾斜へと向かった。 
この歩いている白き稜線が、留萌支庁と石狩支庁の境界なのだと云う。
その傾斜をあえぎながら辿り、振り返ると、だんだんと浜益岳の向こうに、きれいな二等辺三角形をした、まるでマッターホルンを彷彿とさせるような群別岳(1,376m)が飛び込んできた。なんとも、素晴らしい山である。
そして暑寒別の山並みが横たわっている。

     この山域の素晴らしいところは、こうして連なる山並みの景色が遠くもなく、コンパクトにある程度まとまって一望できる適度な空間力にあるのかも知れない。

     きっと本州では北アルプスの中心部のような感じかも知れない。
 (ぼくは、本州の山に一度も行ったことがないけれど…)

 11:10、広い雪面の雄冬山頂上に到着。

     天気は良いものの霞があり、遠く利尻岳や積丹半島、眼下の日本海は霞んで見えない。
それでも、十分な柔らかな白、白、白の景色たち、頭上には眩しい太陽である。 
また風を除け、ハイマツの中に転がり込み、昼食とした。

     相変わらずN室長のザックからは往年来の装備たちがでてくる。
湯を沸かし、お味噌汁やコーンポタージュ、コーヒーなど温かいものを作り、しばし歓談と共に贅沢なひとときを過ごす。
Mさんから、熊撃ちの話や、浜益小劇場など、ぼくが知りたいこの地域の話を聞いた。

 下山を開始する頃から、ぼくは堅く慣れない新調品の登山靴に両足のくるぶしが それぞれ痛められているということに気づいてきた。
「靴ズレ」のようである。
山岳会のFさんが過去の山行でよく苦しんでいたことを思い出した。
こんなにもツライものとは…足を進めるごとに激痛が走る。
登山靴を脱いで、素足で雪面を歩きたくなるほどである。

 それでも、こんな風もない、絶好の春の雪山日和、それも心も気楽な下山である。 
高校時代の大雪山での春山合宿時にみんなでよく唄っていた「タンポポ」のメロディが自然と口からフンフンとでてくる。

 浜益御殿まで再びぜいぜいハアハアと登り返しつつ、N室長とMさんはカバノアナタケ探しの眼になっている。遠くに近くにキョロキョロと視線がせわしない。
何でも今、ちまたでも人気な漢方のひとつなのだそうだが、ぼくには全く興味がない。
チラシや札幌市内のお店などで見かけはするけれど…

 浜益御殿を越えた稜線上の、雪解けした南斜面で、ショウジョウバカマを見つけた。ぼくは、この花に出会うと、とてもうれしい気分になる。

     その側には、ヒグマが何か植物の根でも食べようと掘り返した跡が、生々しくあった。

  山スキーではない「ツボ足」とはいえ、下山のスピードは速い。しかし、その分、下りでは余計に靴ズレの足が痛い。気持ちが萎える。

     林内の積雪地帯から少し外れたササ地で、N室長とMさんは春の山菜、ギョウジャニンニク探しを、ナイフとビニル袋片手に始めた。
全くぼくには、そこまでも興味もなく、その間、雪面を掘って、きれいな雪をかきだして「氷あずき」を作って食べていた。ゆであずきに、コンデンスミルクをチューとかけて。
箸でガシャガシャわしわしと食べていた。いつものことだが、こめかみの辺りが数秒間、ツーンとした。

この日の行動時間は約9時間、歩行距離は約18km。完全な雪山歩行。
久しぶりにタイトな登山をしたなあ、と、軟弱なぼくは思う。
そして、山は変わったなあ、と思う。
というよりも、山に登る人が変わった、と思うのである。
この日に会った他の登山者の中には、初老の方たちも多かった。
中には、そうした齢で単独の方さえいるのである。

     ぼくは、たまたまの半生で「登れる」からと経験と年齢の惰性で登山を続けていやしないか…

     優しく迎えてくれた日本海のきらめく波の風景を見ながら、そうつくづく感じた。

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