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ある日の山小屋管理人のつぶやき

2011-08-19のこと

例年より2週間遅く、入山者3,000名を超え、こんな当たり前なことに、初めて気づかされました。

とても施設キレイに、事務的にもきちんとなされていた前管理人さんのようになろうと、管理人初めてのぼくは、今まで慣れずに必死だった。

中間集計報告では、登山者減少にもかかわらず、売上げは前年超えした。

しかし、この手のひらにずっしりと感じる登山者名簿や宿泊者名簿たちは、自分だけが斜里岳の此処(ここ)を初めてではないことを、気づき、教えてくれた。


みんな、斜里岳がはじめてだったのだ


百名山登頂をめざそうと来られる多くの道外の方たちの人生や故郷

みなに迷惑をかけられまいと必死になられる団体ツアーの登山者たち

登山を始めてみようと、その初めてが斜里岳にチャレンジする人たち

徒歩ヒッチハイクや自転車で林道を来て、登りゆく頼もしい青年たち


  誰よりも熊や天気、遭難を恐れて、心配不安なのは誰か?

  ぼくは、知らない山に行ったとき、声をかけられた安心感を覚えているか?

  ぼくは、知らない山の登山者名簿の書き方を知っていたか?

  ぼくは、道迷い遭難して、110番をした経験があるか?
 
  ぼくは、山歴で、ケガや骨折をして耐えたことがあるか?

  ぼくは、女子トイレに、ちゃんと座ったことがあったか?

  ぼくは、お釣りをもらうとき、眼をみて安心してきたか?

  ぼくは、せんべい布団の相部屋で、寝たことがあったか?

  子どもの頃、同級生みんながみんな、虫好きであったか?

  ヒッチハイクで出会った人たちの優しさを忘れてはいないか?

  今まで山や人から教わった喜びや厳しさを忘れてはいないか?


ぼくは、今までの3,000名の方たちに恥ずかしいと、今朝つくづく、思った。

そして、前管理人さんをめざそうとしていた頑張り方が間違いだと気づいた。

誰もそんなことは求めていないのだ。

ぼくもみんなも、この斜里岳が初めてだったんだ。


小麦収穫後の斜里岳

 


いってらっしゃい!
今朝も元気な登山者たちが、鈴の音をたてて、元気よく出発してゆきます。
親元を旅立ってから、初めての単独登山をしたのが、この斜里岳でありました。
暮らし始めた網走からとても美しい姿に見え、あこがれて、18才のまだ少年のぼくは、歩いて向かったのです。
それを機に、冬山登山も始めた初めての神々しい冬山の頂を4日間かけて、慣れない山スキーで同じく登ったのも、受け入れてくれたのも斜里岳でありました。
それから冬季積雪期に登山してきました。
やがて、精鋭的な登山スタイルから離れ、いつか定年する頃には、この山の麓にでも棲みたいなあ、などと、ぼんやり思っていたのもつかの間、登山路地図とは違い、人生とは不思議な地図で、20年早く、その山中に棲む地点につながりました。
そんな標識はなかったと思うのですが・・・
棲むと云っても、ありがたくも立派な山小屋施設です。
内外の生水は飲めません。お風呂はありません。単身自炊です。
この山は、深田久弥氏が選んだ日本百名山のひとつであり、夏季だけでも6,000人以上もの登山客が、全国から賑やかに訪れるのであります。
山小屋前の登山口の原生林からは野鳥たちのさえずり、清涼な沢を登り、大小幾多の滝を超え、ぐんぐん高度をかせいでゆくと、開拓された斜網地方の平野や摩周方面、そして国後の島まで望め、ハイマツの中、寝ころんで、心地良い風と咲き乱れる高山植物の花たちが汗と疲れを癒してくれるのです。
孤高なる独立峰らしい斜里岳。
風は夏は尾根を鳴らし、冬は尾根を唸らせます。
雨天や吹雪の日には、乳白色で真っ白な魔の世界です。
晴天の日には純白な雪と共に、その鋭利な輝く頂たちを天空へ持ち上げます。
この山が天と地と仲良く厳しい気象であるからこそ、日本を代表する清流・斜里川も、各名水なども育まれているのです。
この山には、夏山開きの安全祈願祭とは別に、地域の人たちによる神様が山麓から頂上まで形づくられています。
この山ができたのは、約28万年前の火山活動なのですが、人との営みを共にしている山は、ぼくは好きです。

いつ頃からなのか、高校生の頃から登山を始めて、山での祠や神社などを意識するようになったのは・・・
夕張岳や利尻岳頂上での、地域の人たちによる熱心な動きも見てきました。
母なる藻琴山頂にもあった祠もなくなり、そのルーツを探ってもいました。
この山は、斜里コタンのアイヌたちからは、オンネヌプリ(年老いた山)と敬愛されてきました。
初登頂の記録は、北海道開拓に来日したライマン(地質学)、1871(明治4)年。
探検家・松浦武四郎も、2回目の遠征時1845(弘化2)年に、斜里岳を海岸地帯から眺めた光景を次のように詠んでいます。
 斜里岳やましう嵐の吹きかえて
 稲の穂波のはやたてよかし
開拓農家さんたちの闘いの支えや雨乞いの頂でもありました。
皆既日食の際、世界中の天文学者たちが観測をした地でもあります。
その際につくられた建造物の一部残骸は、沢の下二股などにも見られます。
一つの山麓地域の方たちも、次のように残しています。
(江南開拓史 昭和46年刊より抜粋)
 江南部落の東南にそびえる斜里岳は、海抜一五四五メートル、
 その孤立した山岳の典型的な山容は、登山者ばかりではなく、
 釧網線を通る旅人にも深い愛情をもってくる、わが江南の表徴であり
 崇敬の的である。
 朝夕に仰ぎて ここに五十年
 斜里の高嶺の姿 尊し
その地域の学校も閉校となりましたが、往年には木材を供給し、原野を切り拓いた跡地は今では豊かな平野となって、林業から環境の時代になりつつある中で、その山容は道東のマッターホルンの名に恥じない東オホーツク地方のシンボル、秀峰として、見て良し、登って良しの山として、いまでも斜里岳は人々に愛され続け、水の恵みを与えてくれています。
その当地や神様に、ぼくは、ようやく若い人生の歩みの中で受け入れられたのでしょうか。
山との縁と云うのは、本当に不思議なものです。
今夕も、安全に楽しく下山してきた登山者の鈴の音の数をかぞえて、1日が終わります。
 山は どーんとそびえ
 時折 聞こえる登山者の鈴の音
 皆がルールを守り
 楽しいときを
お疲れ様でした!、おかえりなさい!
この地を、きよらかな里、清里と呼びます。
この地点を、きよらかな山の小屋、清岳荘と呼びます。

清岳荘にて


10月2日 小屋閉めの日は初積雪でした

シーズン中の詳しい情報は、こちらをご覧下さい💁‍♂️


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