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【知床から箱庭の島へ⑥】二ホロ

▽6.28 sat  

天気は晴れでもアスファルトに接する空気のゆらぎや冷たく頬にあたる風を感じていると、根室は北国の早春のようだ。 そう、ようやく夏タイヤに履き替えた4月といった感じかな。そう、あのオホーツクの4月である。
まだチューリップも本当に咲いているのだ。

納沙布(のさっぷ)岬まで行ってみると、コンブ漁で浜が賑わっているせいか、コンブの香りをのせた潮風が気持ちよい。 すぐそこに貝殻島(かいがらじま)が見える。
そこまで距離にして4kmもないのだ。 返還への祈りの火が燃えている。

この日は午後から、道立北方四島交流センター(愛称:ニ・ホ・ロ)にて事前研修会に参加した。
参加者は元島民の方、返還運動関係者(道内の青年や女性団体など)、さらに文化交流も兼ねているのだろう大学の吹奏楽部の方たち、マスコミ関係者、通訳の方、事務局の方たちなど総勢64名。

この事前研修会に参加した感想は、正直、複雑であった。 ひとつは、最終的なスケジュール日程が示され、四島側の受入の都合などがあり、ホームステイ泊がなくなったこと。
色丹島は小さな集落のため、ステイを受け入れる家数を確保できなかったということらしい。 そのため4~5人による、日中のみのホームビジット(日中滞在)へ変更となったようだ。
それとどうして距離にして約73kmほどの色丹島まで、船で10時間以上もかかるのかと思っていたら、国後島の古釜布(ふるかまっぷ)沖でいろいろと入域手続きなどがあるのだそうで、それでずいぶんと遠回りをするらしい。
複雑な気持ちのもうひとつは、この『ビザなし交流のあり方』である。 「日ロの相互理解の増進と領土問題の解決」という目的の中で、平成4年から続けられてきているこの交流の実績は、 2003年6月末現在で日ロ双国を合わせて1万人を越えたのだという。
内閣府や外務省、北海道、教育局などさまざまな担当者が、それぞれの立場での現状の取組の努力を説明する。 とてもよくわかる。 しかし、戦後58年経った今も領土問題は解決していない。 隣国であるロシアとの平和条約も締結されていない。
すでに高齢となった元島民の方たち、その二世の方たちは、日頃からそのたまりかねているのだろうことを、声を大きくして、こう訴えている。 
「いろいろとやってきても、島の土の一握りさえ持ってさえこられていないじゃないか。」
「祖父母たちがつくった土地の地を踏めずに、祖父母たち、父母たちは亡くなっていっているじゃないか。」
「青春期を過ごした元島民でさえ、島の滞在は実質1日にも満たない3泊や4泊の船旅に、診断書が出ない年齢になっているじゃないか。」

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