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利尻岳 東稜

利尻岳東稜

日程:1991年9月14〜15日
メンバー:Fさん、ぼく

利尻岳東稜、通称鬼脇コースは現在(1991年)9合目以上の登山が禁止されていて、ある人によると「一般ルートに毛が生えた程度さ」というし、ガイドブックの話では「死ぬ目に遭った」と書かれているし、どうもこれは行ってみなきゃわからないらしい。
実際、山行を終えて、このルートは大きくスゴイ南稜を間近に、南峰頂上への緊張の連続でザイル使用、ハイマツ漕ぎが大変なこと、ルートを見失いやすいことなど、ガイドブックの一般タイム以上の所要と労力だった。

9月14日(土)
昨夜21時過ぎに稚内のFさん宅へ着いたぼくは、夜半からの激しい雨と愛娘さんの夜泣きに夢うつつに一夜を過ごした。
7時10分発の鴛泊行きのフェリーに乗った。連休になるせいか島に渡るたくさんの観光客と一緒に、9時前、厚雲かかる利尻島へ着いた。
早速、駐在所へ計画書を提出しに行った。血色の良い生き生きした一人しかいない巡査が、いかにも東稜に行かれると迷惑だ、というかなり難色を示された。登山経験や装備などをいろいろ聞かれた。それはそうかも知れない。
タクシーを一台つかまえ、細いクネクネした島の一本道(一周道路)を飛ばして、鬼脇へ走る。島の道には自転車とお年寄りが多い。ヤムナイ沢の林道を走り、広い涸れ沢にぶつかり終点。5200円也。
引き返してゆくタクシーの運転手さんにさよならをして、さあてと思っていたら、タクシーが道にはまっていたので押してあげた。これでかなりの体力を消耗してしまった。ので、タクシー代を負けて欲しかった…
9時45分、9合目以上登山禁止の登山口看板を横目に出発。天気は曇り。2.5mくらいの高いササの中を進む。周りは広いササの緑色の尾根とポツンとところどころにあるダケカンバ。上部は真っ白。と何とも寂しい景色である。
すぐに5合目(標高400m、あと4450m)を10時20分に通過して森林限界。じきにパラパラと雨が降ってくる。目の前の斜面には確かに電光のような登山道がジグザグとササの中に続いている。
11時15分頃に雨の止んだ電光路を登り、高度をかせぐ。振り向く視界にはだんだんと青い日本海が飛び込んでくる。双眼鏡を手にしたFさんが海上に2つの竜巻を発見し、2人で驚く。巻き上げられた潮が雲に達している。
11時55分、旅人岩という何やら怪しい名だが、どこにでもあるような岩で休憩。
この頃から少し陽も差すようになったが、ササ漕ぎがひどくなる。さらには道がなくなりハイマツ漕ぎも強いられる。すでに左側はヤムナイ沢へと落ち込み、その向こうにはガスの中で見え隠れしているギザギザの恐ろしい南稜が確認できる。やがて岩峰の下部に出る。ここが松ケ峰。13時。
南稜からの風が強い。次に8合目(標高1150m あと1760m)の看板を通過する。
ここからは稜線上は左が切れ落ち、右側もかなりの斜面となる。矮小なミヤマハンノキやダケカンバをかき分けて進む。ざらざらの赤褐色の土砂で、侵食が激しい。
さらに稜線が細くなってきた頃、鬼脇山(標高1410m あと890m)に14時40分到着。かなりの高度感がある。ここで一般の登山は禁止され、ロープが張ってある。(しかし、ここまで来るのでも、とてもしんどい…)
これからが本番!と気を引き締める。もう眼の前には斜陽を覆う圧倒さをもって迫る南峰と派生する南稜、仙法志稜が秋の紅葉に染まっている。
鬼脇山はすでに侵食で一部が崩壊しているため、右にまずルートをとり、ロープ沿いにヤブを漕いでゆく。そのまま行くとナイフリッジになり危険なので、右斜面をトラバースして、また稜線に登り返す。そこはかなり安定した広い地点があるので休憩。
次に一度コルを下りて、三角岩の後ろに回り込むと鎖場がある。狭いスラブ状の鎖場を登りきり、次の屏風のような岩の下部を通過して乗り越す。足場は雨に濡れて、枯れかかっている草付きなので滑りやすく危険。
もう南峰が真上にあり、中央峰とのコルを目指してゆくとジグザグ状の登山道が現れて、チェーンで確保された南峰(1721m)の祠に到着!16時50分。
振り向くと、すぐそこに夕焼け色の鬼脇山があるが、そこからこの南峰までがつらかった。緊張の連続。距離は近いのに遠かった。天気と時間が味方してくれた。
ちょうど晴れ渡っている空一面が夕焼けである。夕陽もあと少しで沈んでしまいそうだ。頂上ではさらに北西風がぼくたちを震えさせる。頂上といってもここは南峰である。2人でザイルを組み、慎重に確保しながらアンザイレンで北峰をめざす。ハイマツをかき分けて攀じる。スリリング。3ピッチ進んで、安定した稜線に出てザイルをしまう。赤く染まって聳えるローソク岩が見えてきて、ようやく見慣れた頂の北峰の祠に日没ギリギリの17時50分に到着!風が強い。
なんと、ぼくは初めブロッケン現象に遭遇したのかと思った。夕陽を受けた利尻岳が北海道本土のサロベツ原野辺りにしっかりと影を映しているのだ。この心洗われるような現象に、ぼくは完登した喜びよりも感動した。次第に夕陽が沈み出し、眼を移せば軍艦のように横たわった礼文の島があり、遥か遠くに霞む樺太が確認できる。眼下には沓形、鴛泊の灯り、そして暗い海の上にはイカ釣り船の灯りがポツンと温かさを感じさせる。
早速、本日の行程の無事をJG8GIZ(礼文のHさんの奥様)と交信に成功。
やはり、あの駐在の人が夏に1パーティ登った札幌の山岳会が8時間以上かかって遭難騒ぎになったというのは本当だったんだなあと、つくづく思った。
その晩、頂上の祠の前にゴアテックスのテントを張って、夕食後、バチが当たらないように足を神様の方に向けないようにして2人で寝た。夜に外に出てみると、吹きつける風は冬山のように厳しかったが、月はやっぱり9月らしい寂しさと冷たさで明るく夜を照らしていた。ぼくはその時、いつか冬の夜にこの利尻の頂で、こうして月を見てみたいと思った。果たして、冬の利尻岳でそんなことは可能なのだろうかと思った。

9月15日(日)
4時30分起床。雲の上のご来光を拝んで、朝食後、6時に北峰の祠に一夜の別れを告げて北稜の鴛泊に向けて下山開始。風強く寒い。気温3℃。
崩壊したのか地形が前回来た時と違い、驚く。朝露に濡れる。6時50分、長官山に着くと、テントが1張りあった。今日は鴛泊から登ってくる人も多そうだ。
ぐんぐん下っていく中、Kさんをリーダーに3人で来た3月の北稜のことを回想する。
歌なんか歌って呑気に下っていると、トドマツ林辺りから土砂降りに遭い、泥を蹴散らして下山。歌なんて歌っている場合ではなくなった。8時55分、甘露泉水の東屋で雨宿り。
やがて、晴れ上がった空の下、おみやげの水を汲んで、キャンプ場からの舗装道路を良い気分で歩いていった。
ぼくたちは行ってきたよ、と帰りのフェリーのデッキから青い空とそこに浮かぶ利尻を見ながら帰路に着いた。

松ケ峰を望む
ノコギリ尾根(南稜・仙法志稜)を望む
山頂と礼文島を望む
日没と共に北峰頂上にて登山終了
翌日、下山時に長官山から見る頂上
就航フェリー
コース概念図
鬼脇山上部図


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