UX=人間とはいかなるものか?

Xデザイン、早くも7回目。
今日のテーマは構造化シナリオのはなし(アクティビティシナリオと、インララクションシナリオ)。

いまちょうど、会社のアプリ運用のオンボーディング企画を作るときに「どういった観点・フレームワークでつくればより進化できるか」悩んでたので、まさにどんぴしゃ!ナイスタイミング!でした。

現場ですぐ使えてありがたい…という実務メリットがありつつ、自分の中で学びが大きかったこと2つ。

①UX=人間とはいかなるものか?

UX=人間とはいかなるものか?を考えるのが最も大事 というのが一番ささった。もうこれで今日は終了といっても過言でない(気がする)

例えば、人間の決断について。
なんでも失敗しないように教える・レコメンドする
=他人に決断を依存する社会になるのではないか?
それは本当にいいことなのか?という問いがある。

人間は、自分できめたことは。うけいれる。失敗しても学習する。
自分できめてないこと(外部がきめたこと)は文句つけ、学習に結び付きづらい。
個人的には、集合知やレコメンドは大事だけど、人間として自分で考えるスキマや、人がいることでしかできないサービスというのが大事だと感じた。

その1つの具現の例として、コミュニケーションがらみのサービスがあると思う。

個人的な体験談で恐縮だが、私の夫はよく夕食を作ってくれる。
夫は私の食の好み(関東風味付けや名古屋メシや激辛が好き)を知りつつも、それ以外のもの(アッサリ系の煮物や、うるい等の山菜)をレコメンドして作ってくれる。
夫経由で知ったものにドはまり…というのは何度も体験した。
もちろん、「おいしくない」「ビミョー」と思ったものもある。しかし、私のことを考えて、知らない世界を教えてくれた…という過程がうれしいことにかわりはなかった。

夫には「失敗しないように教える」という考えはない。

あう・あわないは、わりとどーでもよくて、「私のことを考えてくれた」「これをもっとおいしく食べるにはどうすればいいのか?」のコミュニケーションにこそ価値を感じるのだ。

AIやらレコメンドに対する企業の期待が大きい現状は、わかる。なんなら私、めっちゃ好きで作ってみたいとすら思う。

ただ、予想外をつくりだすレコメンドやコミュニケーションは、人にしかできない。

安心して人とコミュニケーションをできる場やサービスが、レコメンド社会における打開点になると思った。

(※人のいうことをうのみにする人も一定層いる…というのはあるが…うーん)

②「あるある」という名の本音・下心をアクティビティシナリオにねじこむ

UX=人間とは何か…に紐づく話になるが、「UX=あるある探し」というのもすとんと腑に落ちた。

共通する生活の価値やニーズが大きければスケールする可能性高い。
イノベーションがおきて、常識がかわって、みんなが気づいてない「あるある」なら、最高。
実際できてるかといと、難しい。

会社でもろもろの調整・企画立案をしていると、機能価値ばかりを前面に押し出してアプリ内でアピールしがちになる。
自社で仕事を頑張っていると、そのぶんつい視野が狭くなってしまう。
どうしてもつくった機能=われわれのがんばり=だからよい と思って、それ前提でうりたくなるのだ。

あれはもう、魔力だ。気づけばハマってる企業の論理。ホントなんなんだろう?企業で働く人がだれもが陥る「あるある」だと思う。

企業の論理とは違う視点で、アクティビティシナリオの時点で、あるある(インサイト)をしっかりプロセスとしていれることが重要。

小説的なナラティブさでもってかいて、本音や下心をぶちこめ!

そこで共感するからこそ、インタラクションシナリオが生きる。

(※ただし前提として「あるある」だけじゃダメ。ビジネスになりにくいものはよろしくない)


…というわけで明日アクティビティシナリオを会社仕事で作ります。
明日がとっても楽しみだ!

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