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④【あとがき】偏食指導したくないけど仕方ないからやる。

書いたわー
一章増えたわ(笑)あるあるなんですかね?
さてこの章は完全に舞台裏、言いたいこと言います。

ただし公開する見せ物ですので前提ルール
①基本的に教員目線です。
実際に偏食のお子さんを子育て中のご両親の皆様が見られるのでしたら、「こんなことやられてるのかもねー、うちのこにはやって欲しくないなー」って思いながら読み飛ばしてください、多分見ない方がいいです。
②根拠はそんなないです。
体感的にやって効果があって楽なものを書きました。基本的に脳内会議の結果をあげています。
③携帯持ってるのは聞き手ですか?反対の手にアルコールか温かいお茶を持つことをお勧めします。

では始めます。

○動機
周りの偏食指導を見て、どうも給食指導と勘違いしている人が多いと思ったことが一つ、ベテラン先生の指導を見たのが一つです。
①に書いたようにわたしは給食の指導が嫌いです。嫌いなものは、どう食べるかよりどう食べないかです。ではなぜやるのか?後で書きますが、特別支援ではやらないとどうしようもないときがあるんです。
そもそも給食指導で全部食べられたからなんなんだって話です。しかめっつらの子供に野菜押し込んだとして、野菜の美味しさや栄養素に目覚め、毎日食べよう!!…なんて思うわけないじゃないですか?食育する気あります?そんなものと偏食指導とは違うんです。

ベテラン先生は1週間かけて子どもがそれまで手もつけなかった給食を食べさせた後「これがやりとりだよ」と仰りました。「食べただろ?」ではないです。

端的にいえば嫌いなものがあるということは、好きなものがあるってこと、そこにつけ込んで好きなものを広げていき、周りの人間のアドバイスを受け入れるのってお得だなと刷り込むのが偏食指導です。

とはいえお医者さんの「あんた死ぬよ」まで行くがないと止まらない時もあります。そういう場合は学校の先生ごときじゃあ止められません。努力をした証拠だけ残して未来に申し送ることをお勧めします。

○そもそもやんなくて良い最終手段
わざわざ偏食指導に力を入れるのは基本的に二つの場合だけ、①食事くらいしか主体性が見られないか、②健康面で早急に改善が必要な問題のある場合です。食以外にきちんと興味があり、それを使って教員や友達とやりとりできるのであればわざわざやる必要がありません。所詮は給食も教材です。
だからこの指導を選ぶときは、極端な話、興味が「嫌」しかないときだともいえます。

○体感的な成果
はっきり言いますが、偏食の改善が障害の改善に直接つながることは、体感的にもないです。
ただし、給食を通して信頼は確かに得られます。「この人が来るとなんかやらされる代わりにいいことがある。」という理解までいけば「大人が来ると(略」へ繋がり指示理解の基盤になります。

○まとめ
見方によれば意図的に従属させているようにも見えるかとおもいます。ですが、ヘルパーの支援を受けて生きるにせよ、普通の仕事をして自立を目指すにしろ、他者の受け入れは必須スキルと言えます。どんなに仕事ができても、指示が聞けない、とりつくしまのない相手に力を貸してくれる人はいません。
その他者を受け入れるステップの一つとして偏食指導があり、偏食指導とは偏食の矯正ではなく、障害と付き合う一環であるとご理解いただけますと幸いです。

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