歌舞伎の大向こう(掛け声)と、将棋の感想戦

藤井新棋聖の誕生にちなんで、将棋独特のしきたりである感想戦について書かれた新聞社説を、先日、Facebookのライブ動画でとりあげた。

感想戦は、勝者と敗者が一緒に、終えたばかりの対局をふりかえり、勝敗の分かれ目や最善手の選択肢を語り合い、将棋界全体のための知的なストックを作っていく共同作業だ。感想戦は敗者のためにある。。。藤井さんの名言である。

この感想戦と少し似たことを、ぼくは、自分が歌舞伎に大向こうの掛け声をかけるとき、一回一回・一演目一演目ごとに、繰り返し繰り返し続けてきた。その芝居を一回の対局に見立て、自分の一手め、すなわちその芝居での最初の掛け声、二手め、三手め、、、最後の手すなわち最後にその芝居に掛けた声を、振り返って記録に残す。逆に、どこでは掛けなかったかも記すし、そのとき、自分以外のほかの大向こうはどこで掛かったか、も可能なかぎり記録する。それが客席の上手からなのか、下手からなのか、真ん中からなのか、三階席の前方からか後方(歌舞伎座であれば幕見席も含め)からか、も記録する。

自分が掛けた一回一回の声は、自分以外の声に、大なり小なり影響されながら、と同時に影響を与えながら、その日の芝居の痕跡として残る。大向こうはそういう行為だ。それがその芝居にも、その日の客席の空気や雰囲気にも、作用や影響を及ぼす。今までに何度となく、沢山の方への迷惑や不快感を自分の大向こうは産み出してきたと思うと、情けなく申し訳ないかぎりだが、そういうネガティブな感情や結果に、正直にすなおに向き合うためにも、自分の大向こうの弱点や欠点を自覚するためにも、この「感想戦」は、ぼくにとっては、避けてはいけないことなのだ。

そして、一回一回の掛け声、すなわちその芝居への、見ている自分の心からのレスポンスは、あとあと分析を重ねれば重ねるほど、その演目を味わう上でのさまざまな引き出しになる。読んだ本にラインを引いたりふせんを貼ったりするのと、同じ役割を、一回一回の大向こうが果たしてくれる。30年近くコツコツ続けて残してきた「感想戦」の記録のストックに、歌舞伎のお仕事のとき、何度助けられたか知れない。「積み重ねと繰り返し」は、ぼくの大好きな言葉であり信条だが、これも大向こうを通じて自分に染み着き染み込んだのは、まず間違いない。

コロナゆえ、劇場でまた再び声が掛けられるまで、まだ当分かかりそうですが、その解禁日を待ちわびながら、歌舞伎の応援と日々のお仕事を続けていきたいと思います😊

おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ
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