1月に見た写真集感想

あけおめです(遅い)

エド・ヴァン・デル・エルスケン セーヌ左岸の恋
この「アン」て人への写真にだけ執着とか愛着とか色んな感情が入り混じってて良いなぁと思ったんだけど最後「文章はすべて架空のものであり実在の人物ではない」とバッサリされて小説形式か〜いやられた〜wてなった
それだけ鬼気迫る写真で見事だった、これは色んな人に影響与えて歴史に刻まれるなぁと
外国の事情はわからんけど映画館で寝まくれるとか地下鉄で寝まくれるとかってのはけっこう時代を感じてかつ内容がモラトリアムチックな若者っぽさを醸し出しててテキストとしても面白く感じた


荒木経惟 月光写真
いやどのへんが「月光」なの?て写真ばっかで戸惑った、すんません
で、何が言いたいの?という感想とこれが評価されてるってんならその理由を教えてくれヨォ!!!秘密にしてねぇでさぁ!!!!という感じになる、すまんけど見てて眠い
まじ巨匠に対してこんな感想失礼かもだけどつまんなすぎて見ててずっと寝そうだった
「夏の終わり」の項でやっと写りがカッコ良くなってきた
「Yumi」の項で序盤の金歯のおっちゃんがまた出るのは少しオッてなった
しかしどれもこれも意図がわかんなすぎてどういう意図で撮ってこう編んだのかがわかんなかった


鬼海弘雄 ぺるそな
写真というのは当たり前だがその場の時間を止めてそこに残すものなのだけどこの人の写真はその場にいた人のなんというか「生きている」事実そのものを残しているかのような、「いきいきしている」と言うよりは「この日この場所にこの人が生きていた」という事実を強烈に残したような、どれも不思議とそんな印象を強烈に受けるような写真だなぁと感じた
別に生命の活力だとかというわけではなく、「生きているという事実」をそのまま残したような、不思議な印象
文中で「浅草寺はそれぞれの人生物語をたくさん背負ったような人が多く退屈しない」(要約)と語っているが、あなた自身もたくさんの物語を背負った人生の一つですねと声をかけたくなる
鬼海弘雄はすでに逝去されているのだけど、生き生きとした語り口が軽快でお昼にでも浅草寺に行ったら古いハッセルを肩に提げた鬼海弘雄がいるんじゃないかと思えてくる
そしてそれぞれ被写体に対する独特の説明が最高、雑なようで微妙に細かい感じの説明が被写体の人生物語がどんなものだったか想像させられる最高の添え物になっていると思う
「他の古典的な表現方法はものにするまでめまいのするような長く厳しい訓練が必要なだけでなく才能までも要求されるが、写真であればカメラを手にした時から写せるし、ひとりで撮り続けられそうなことも性分に合うように思えた(要約)」というあとがきの一文にめちゃくちゃ共感した
文章が全体的に美しく、優しい印象を受ける
もうこの方が紡ぐ新たな言葉を見聞きできないのは残念だ


石川直樹 EVEREST
表紙の写真からイメージされる世界一の頂の厳しい姿、というわけでなくエベレストにも普通に暮らし、普通に信仰があり、普通に営みがあるというのが見れる良い意味で表紙詐欺な感じだった
構図の美しさ、立体感は圧倒的
ここ数年「どうやったら綺麗な写真が撮れるか」という試みをする中で記録写真を軽視してしまってたところが自分の中にあったのだけど、多少の被写体依存はあるかもしれないが記録写真も撮り方如何によってここまで見応えのあるものにできるのだと感じた
明確に強く「伝える」ための記録写真は、自ずと「美」が秘められるものなのかなと感じた


日本の写真家〈33〉川田喜久治
90歳になってなお現役でインスタに写真作品を投稿し続けるレジェンドとして日々インスタの投稿見させてもらってはいるけど全然過去のことを知らないので勉強がてら、という感じに
禍々しい作風だなという印象
1970年代後半までの作品はシュルレアリスムの影響があるのかなとなんとなく感じた、「逃げる男」とか「溶けた標識」とか


鬼海弘雄 india
鬼海弘雄がインドに見出した暖かさ素朴さがストレートに伝わってきていいなと感じる
現代のインドのイメージだとこんな素朴な暖かさあるのか??とちょっと疑ってしまうとこはあるけど笑
途中からただそこにある、という「然」を感じるような作品が増えた、「静かな朝のガンジス」など
そういう意味では浅草寺で市井の人々のポートレートをとりまとめた「ぺるそな」とは逆のアプローチかもしれない、と思ったがぺるそな的アプローチのポトレ的写真もあるから両面を含めた、というより鬼海弘雄がこの地に馴染んで当たり前のようにそこにいる存在としてそういったポトレ写真を撮ってたのかな、とも思った

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