9月に見た写真集感想

今月から「近所の図書館にある写真集、あ行から好き嫌いせず片っ端から全部見よう」キャンペーン(?)始めたのでかなり多いです


浅田政志 浅田撮影局せんねん
日めくりカレンダーみたいな写真集だなと思ったw
露光がだんだんおかしくなっていってなんか遊んでんのかな?wと
この写真集、ひと昔前のyoutube風のタイトルなら「ぼくのおじいちゃん 本気で撮ってみた!」とかだったと思う
めくってもめくっても同じ「顔」がドアップで出るばかりなんだけど、段々本当に自分が相対しているような感覚になる
不思議なことに、写真集を介して「相対」しているとこの爺ちゃんはこの中に生きているんだなぁという感覚が湧いてくる
ここで思い至ったのだけど「せんねん」とは撮影者側も、そして見る側もこの人を見ることに「専念」する写真集だったのかな、と


ロバート・キャパ写真集 フォトグラフス
けっこう遠くから撮ってる写真が多いかな?という第一印象
戦場写真多いからそれはそうか
世界史に残るような瞬間の写真が多くて世界史の教科書みてるような気分にもなる
「ただの」と言ったら語弊あるだろうけど、記録写真のはずなのにものすごい想像を喚起させられる余剰があったりして、まさに記録を芸術に昇華している歴史的写真たちだなと
時代が時代だから当たり前だけど暗所の写真がノイズだらけなんだけど関係ないくらいカッコいい、やはり写真とは何をどう写すかだなという当たり前の事実を再認識する
躍動感と力強さに溢れていて、悲惨な戦時中の写真にすら美がある
というかキャパクラスの偉人になるともうなんというか国文学とか読みながら紀貫之最高!!!!とか言ってる感じの雰囲気になるけど良いモンは良い
正直キャパって戦場カメラマンというか記録というかその記録それ自体が貴重だからすごいというある種アジェ的な評価なのだと勝手に思ってたのだけどこんなに整然とした美しい写真を撮っているとは思わなかった 無知は良くない
ノルマンディー上陸作戦の写真なんかはもうブレてるの含めて表現になっちゃってるよね、躍動感と戦火での余裕のなさがすごい


初沢亜利 東京、コロナ禍
記録でありあの時のある種異様な空気を捉えた表現でもありそしてめちゃくちゃ絵的に綺麗な写真であり、と多重な要素が感じられる
今見ると「あ、望遠で撮ってるな」という写真が多く文字通りソーシャルディスタンスを感じる
別にそれを使ったからといって簡単にできるとは思わないけど、望遠域レンズ使ってハマった時の描写はやはり迫力がすごい、最近望遠使ってないからまたやりたいなぁと思った


荒木経惟 東京は、秋
なんか思ったより東京の古い歴史の写真でびびった
奥さんの陽子さんとの短文会話が写真一枚一枚に差し込まれてて、これが適度な分量なんで逆に写真をきっちり見させてくれる
文章から溢れる女好き感も昔なら微笑ましかったのだろうが。。
月並みだけど素朴で良い写真が多い
時間を経て当たり前が当たり前じゃなくなったことの郷愁感というか
けど写真集の中で段々見た街をそのまま素朴に残すって方向から街の中の印象に残った部分をクローズアップして残すって方向に徐々にシフトしていく展開に思う


泉満明 橋のある風景
「橋」といいつつ最初の写真が庭園内の飛び石で面白い
橋のことなんか全然知らないので、えこんなのも橋なの??!?となるような写真もけっこうある
横浜ベイブリッジの写真とか風景としてのまとまりがすごくて良い
しれっと新宿西口のタクシー乗り場の写真二つあって良かった
あとがきに橋の構造について詳細な解説がされてたのはちょっと面白かったw


荒木経惟 トーキョーアルキ
軽快な語り口で(たぶん)歩いてる時の会話が書かれていてタイトル通りアラーキーとトーキョーアルキしている気分になる
銀座の写真の躍動感なんか特に好きだな
よくアラーキーと森山大道は比較というか同じ時代を活躍したレジェンドとして共に語られることが多いけどアラーキーのがより俗っぽい文章でカッコつけてない感じがして親しみがある文体な印象
なんかアラーキーの躍動感というか勢いというか女とのコミュニケーションの勢いとか好き好きがそのまんま詰め込まれてるみたいですごいな
銀座でナンパした女(ほんとかわからんけど)と約束して新宿でまた会って今でいうシェアハウス的なとこに住んでるのを知る一節の勢いめっちゃ好き
本郷の写真は決め込んで撮ろうとしたとこに近所の人とか映り込んじゃってもおかまいなし勢いのままやりきってる感が写ってて良い


荒井明写真集 世界遺産CINQUE TERRE
不勉強で知らなかったのだけど珍妙な名前と裏腹に世界遺産だそうで
風景系の写真集かと思いきやこの場所の文化・生活・人が克明かつ端的に記録されてて記録することの意義ってこういうことかぁと再認識
芸術寄りというか自意識の内面を写真で表現といった写真集を最近見ることが多かったからこれも写真の役割よなと
被写体を軽視してはいかんよなと
町の住人になって溶け込んで撮影していたことが伺える写真ばかりで真似できないなぁすごいなぁという気持ち
こういう距離感の写真って望遠で寄っても焦点距離の特性とか何より被写体との心の距離が全然違うから全く撮れないんですよねぇ

入江泰吉 回顧 入江泰吉の仕事
一発目の「古都遠望」からパワーがありすぎてびっくりした
文楽との出会いについて「出会いというのは不思議な作用をするものであり、人の思惑や意思を超えて運命的な力を発揮するものだと、思うのである」という一節は見る人に心当たりあるなぁと感じさせると思う
自分もたまゆらというアニメに出会わなかったらたぶんこんなに写真にのめりこんでないので
スナップをメインとした写真家ではないはずなのだけど、一時期撮っていたというスナップ写真がどれもどエライ凄さ美しさで仰天
時代が時代(1950年から60年くらい)というのもあり歴史的資料価値という側面も持ってしまっているのだけど、生活がそこにありのまま記録されそれが鑑賞者にすっと伝わる凄みみたいなのを感じる
こういう素朴な日常感をストレートに伝えられる写真って出来そうで全然出来ない、たとえて言うなら修学旅行の思い出アルバムみたいな。。
素朴で、構えてなくて、当たり前感が伝わる、だから良い
中盤からカラー写真が入るんだけど撮り始めた時期のカラー写真は正直モノクロの方が全然カッコいいw
これもどうやら当然だったぽくて、カラーでの本格的な写真集出版は撮り始めてから10年後にもなったみたいだ
「(中略)カラーにしてみると、すべてがきれいに見えてきた。色彩の美しいものに出会うと、写欲をそそられ、やたら写した。(略)たしかに美しかった。きれいなだけで情感も雰囲気もない、退屈な写真に思われた。情感を表すにはどうしたらよいか、いかにして色を殺すか、その方法をいろいろと考え、工夫した。」という一節はけっこうぐっときた。
メーカー批判というわけではないけど、元々使ってたCanon機に加え最近Leica Q2も使い始めて、ようやく渋みのある描写にだいぶ慣れてきたのだけど、今度は逆に色彩豊かなCanon機の表現があまりしっくりこなくなってきちゃっている。
色というのは偉大な写真家でもぶち当たる永遠の悩みのテーマなのだなぁとほんのちょっとだけ親近感が湧いたものだね
ダイナミックな構図が活かされてる写真がモノクロには多いのに対しなんか記録チックになってるというか
なんか寺社仏閣(こうまとめるべきじゃないのかもだけど)の写真撮るのになんか参考にするならとりあえずこの人の写真見とけというくらい迫力がある
参道の写真なんかは江戸時代に写真があったらこうなんだろうなという、想像上の江戸時代が個人的には見える感じがする
変わらないものが、変わらないという事実も湛えてそこに写ってるというか


浅田政志 浅田撮影局まんねん
2ページ目のボールペン書きがいきなりめっちゃ良い味出してる、家族のアルバム感がこれだけでものすごい
一枚一枚撮影日が書いてあるんだけど、なんか当たり前だけど赤ちゃんの成長ってとんでもない速度なんだなーとか
赤ちゃんって人間の、人格として捉えるならまだ何にも染まってないと言えると思うんだけど、なまはげ?やら怖そうなバイクのにーちゃんやらバックパッカーやら様々な立場の人と取られているのは何者にでもなれる可能性の表現なのかなとか勝手に捉えたがどうだろう
なんか段々どこにいるでしょう?ていうウォーリーを探せ要素入ってきて笑うwあるいは成長するにつれ一人の人間として社会に溶け込んでいくっていうことの暗喩なのか、考えすぎか


アンリカルティエブレッソン 20世紀最大の写真家
構図へのこだわりなんかは写真始めたばかりの頃を思い出す、そこまでのこだわりってなかなかしたことないし初心に帰ろうかなぁと
1930年代のわずかな例外を除き目の前に偶然あらわれたものをすばやく捉えることを好んだ、という一節は自分のスナップスタイルに通ずるものがある(スナップて大体そういうものだろうが)
写真家の著作物というものを見始めた時真っ先に出会ったのがブレッソンで時おり昔見て感銘を受けた言葉なんかが出てきてつくづく初心忘れるべからずだなーと
『絵はつくりあげるものだが、写真はとらえるものである』、とかね


今泉忠淳 時計店50景
時計店というレトロなイメージのある被写体と写りそのものによってめっちゃ昔の写真に見えたのだけど大体2000年代に撮られた写真で驚いた
愛知の時計店の看板がボロくて剥がれかけてるのがおもしろかった
あとがき見るにフィルムで撮られていたらしくなるほど・・となった


ロバート・フランク THE AMERICANS
写真集というものを見始めて初期の頃に見た以来なんだけど、あの時は「これは何を切り取っているんだ??カッケェはカッケェけど・・」というなんとも良さを理解しがたさがあったけど、今はもう少しだけ一枚一枚に潜んでいるカッコ良さみたいなものは感じられている自分がいる
今にしてみるとすごくカッコいいけどこれはこの写真集がなぜ偉大な作品とされているのか制作の背景とか知ったからなのかどうなのか
ここではどういう写真集なのかとか具体的には書かないが(調べればいくらでも出てくると思う)このように非言語メディアとして痛烈に意味が秘められている写真集というのも今あまり見ない気がする
なんかあんまりすごい写真って○○すぎて参考にならん!てなるんだけどまさにこういう感じ
そのカッコ良さになっているプロセスが自分の中で繋がらないというか理屈越えてるというか
それにしてもカッコいい 昔の写真集だとブレッソンとかのがインパクトとかはあるが、これは素朴なカッコ良さがある
この時代のアメリカが見事に打ち込まれているような
よくわからんけど、なんか自分の心の中の「アメリカとはこうだ!」みたいなイメージに呼応する写真が多いのよな
形・構図で言ったらパッと見のインパクトは強くなくとも「ん??」と気にさせてじっと見させて何が起こっているのか理解させる写真が多い気がしていてけっこう自分の中の理想形かも 読み解き甲斐のある一枚というかね
地名とか場所を冠した写真を編むならこれが一つの完成形・理想形なのだと思う
自分も結構同じ場所を繰り返し撮ることが多いのだけど、そういう場所の写真をまとめるならどう編み上げればこんな超完成形に近づけるのだろうなぁと思う
良い写真集見ると自分も写真撮りたくなる

今泉忠淳 湯屋50景
最初はまじでただ銭湯の写真が淡々とあるばかりで正直、うーん??となってたけど中盤あたりから駐車してある車の写り込みや入店しようとする人が写ってたり生活感の記録も出てきて一気にその瞬間の解像感が上がっていく印象を受けた
京都の中華料理屋の看板に挟まれて同じ中華料理屋の看板にしか見えない銭湯の看板とかも生活に溶け込んだ感じを残してて好き

日本の写真家 深瀬昌久
鴉の写真がとにかくカッコ良すぎて写真集現物をなんとかして見たいとなった
20年撮りためた家族の集合写真による表現の内容は聞いたことがなさすぎてびっくりした
これら全てを勘案すると、この人は写真を撮ることが人生であり同時に写真を撮ることは生きることであるというのを体現しているんだなと感じた
妻との出会いから別れも写真表現にして、鴉に自身を投影し、家族の離合までをも写す
「鴉」はもう単純に単体の写真としてカッコいいから写真集で見たいなぁという気持ちが強まった
「(中略)烏そのものはどうでもよかった。ぼく自身が烏だと居直っていた。」という言葉はなんかシンプルにカッコいいよね
彼の言葉を見ると、今風に言えば「病んでる」という言葉が当てはまっちゃうなと思う
そして「病んでる」からこその渦巻いている絶望が写真に投影されあんなことになっちゃっている…と

ウーマン・オブ・ビジョン ナショナルジオグラフィックの女性写真家
まえがきの感じからして写真というのは長らく男性の時代が続いてたのだなと思った
昔のカメラはデカくて仰々しいのが多かったろうしその上それ担いで移動しまくるとなると肉体労働的側面もあるからある意味当然といえば当然といえる
あんまりナショジオ見てなかったけど、シンプルに構図がすごい(語彙)
心のどこかで「ナショジオとか初心者が読むシリーズだろ!ワラ」と思ってるとこが少しあったのだけどフツーにナメてたわ、ほんとすみません
この中のビバリー・ジュベールというネイチャーフォト系の方がネイチャーフォトを撮る際には周りに溶け込まなければ動物たちが警戒して自然な表情を撮れないから辛抱強く待ち続ける、という内容は先日別のネイチャーフォトグラファーの方も同じことを言っていたので何かこう点と点がつながったような、最終的にはネイチャーはそこになるんだなぁと感じた
自分はストリートスナップばかり撮ってるけど、自然の圧倒的な存在感はこれに虜になる人もわかるなぁとなった
フォトジャーナリズム的な記録写真が多いはずなのだけど、どれも全て構図がすごく綺麗でまさに「伝えることに特化した写真」になっててすごい、けっこうスナップの過程で「自分さえ満足してれば、それでええ!」という心理になりがちだったから見習わなければならん部分あるぞ、と
ブレッソンの本を読んだ上で改めて思ったのだけど、ナショジオはフォトジャーナリズムとして「伝える」ことに特化した写真が多いからお手本のようにむちゃくちゃ構図が綺麗な写真が多く大変参考になる
絵画の技法とか基本から学んでみたいなと思った

飯村昭彦 芸術状物質の謎
町のちょっとした物から溢れる芸術状のものをアーカイブしたという印象の写真集だけど、この「芸術」をうまくキャッチできるアンテナが自分になく大体の写真が同じように見えてしまった笑
平たく言うと退屈
本の構成が焼き物か何かのアーカイブみたいでちょっと面白い

吉井春樹×雨樹一期 幸せの観覧車
こういうコンセプトなんだろうけど、もうちょっと大きい本で見たい笑
タイトル的に観覧車の写真だらけかと思ったけど違うらしい、観覧車みたいにゆっくりくるくる回る世界への見方を模索するような、たぶんそんな感じ
独特なカラーサイエンスが心象世界っぽい雰囲気を演出してる印象

美奈子アルケトビ 砂漠のわが家
一面茶色の写真集だな、というのが第一印象
砂漠なのだから当たり前か
動物のことはよくわからないけど、この方が住まわれているアラブで大小200匹近くの動物たちとガチで生活を共にしているそうで我々の常識が当てはまらない世界が存在することを再認識
これは別にその動物たちを下に見るとかそういうのではないんだけど猫やらハトやらにも強く叱ったり本気で気持ちを込めたりするとけっこうわかってくれる感触があるそう そういうものなのか
肝心の写真だけどまるで人間の家族写真のように猫やらラクダやらハトやらが馴染んでいて人間の家族写真…だけど写ってるのは全部動物、という不思議なギャップが楽しい写真集だなと思った

須田一政 角の煙草屋までの旅
ほんとに自分の家近所10分以内くらいで撮ってそうな構えてなさそうな雰囲気の写真だなという印象
田舎の母が送ってくれた「じゃこ」の写真から溢れる、須田一政という人が身の回りの人とどのような関係性を築いたのか、この時須田一政はどのような状況だったのか、写真そのものはある意味平凡と言っていいものなのにここで差し込まれるこの写真の余剰から溢れる想像、写真って余剰のメディアだなぁ、すごいなぁと思った
と同時に写真集で「伝える」「表現される」ことはたぶん一枚の単写真ではなく全体の流れが形作るものなのだなと再認識した
写真集ってやっぱ「読む」ものだなぁ
複数の写真が構成する流れから鑑賞者が想起する何か、余剰
病院への見舞いやお墓参り、宴会などの写真が差し込まれることで「ちょっと角の煙草屋まで」感がだんだん薄らいでいくのだけどおそらくイメージの旅ということなのかな
あとがきの「カメラを構えると日々の光景に敏感になる。今日はいつも新しい」という言葉がカッコ良すぎて拍手しちゃった

小原玲 流氷の物語 アザラシの赤ちゃん
昔あった漫画のゴマちゃんみたいでめっちゃかわいい あれもアザラシだっけ?
アザラシよくわからんけどこんなヒトの子供のぬいぐるみみたいなかわいい存在がちょっとすると大人になってめっちゃいかつくなるとか信じられんってくらいかわいい
かわいい〜〜とか思ってたら水の中でも写真撮っててスゲェってなった、そこまですんのかよと かわいさに夢中になって見てるのが写真集というのを忘れていたがパンチされて目を覚まされた感じの気分
こんな丸まって寝てるだけのなんもしてないヤツがこんな厳しそうな大自然をどう生き延びるというのだと思えてくる
しかし最初は「アザラシの赤ちゃん」だったのがページをめくるたび少しずつ大きくなっていって「アザラシ」として旅立っていくような過程が描かれていてそういうストーリー性もいいよなぁと思った

石井陽子 しかしか
奈良の鹿かな?完全に人間社会に溶け込んでてウケる
というか人間がいるような感じで撮ってるのかな?という印象
それだけ鹿がいるのが当たり前の光景になってる、というのがよく写真に現れてるなと
鹿ストリートスナップという呼び方が合いそうだ、というか全体的に思いの外ストリートスナップ的アプローチの写真が多くてびっくりした

稲葉なおと アール・デコ・ザ・ホテル
無知で申し訳ないけどあまり海外旅行しないのでアール・デコというものを知らなかった
アーカイブとしてのホテルの記録とホテル内でのスナップ、ということなのかな
ただ記録といっても幾何学的な美しさを追求した感じもある
この中だと上海の写真が構図的美しさ幾何学的美しさとかがダントツにカッコいい
と思ったけどウエストコーストでいきなり作風変わってびっくりした
「決定的瞬間」的というか
所々自分の好きなスナップ系写真がありつつただまぁ全体的には正確無比に記録するという要素がけっこう前面に感じてあまり楽しみきれなかったかな。。
ニューヨークっていつ誰の写真見てもニューヨーク!!!て感じでいいよね

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