8月に見た写真集

アンドレ・ケルテス写真集
ブレッソンが最も尊敬した写真家とのことだが、確かに後のブレッソンの作風に繋がる精密さがあって、その精美さの中に見つめる優しさみたいなものも感じる気はする
しかしパリの写真から雰囲気が一転して鬼のような勢いで一枚完結の絵画のような精密さをさらに鋭くしたような作風になる
グイグイ来る感みたいなのはあんまないなと思ったのだけどやっぱりこう表に出ようとするような人じゃなかったみたい
それにしてもこうした絵画的発想の美しい写真というのは発想としてすごく参考になる

大原治雄 ブラジルの光、家族の風景
序盤、思いの外作為的な写真という印象を受けたけどもしかしたらこれは家族と写真という遊びをしてたのかな、と思った
というのがその後に続くのはきっとこれは彼にとって残しておきたい記憶・記録だったんだろなぁと感じられるものばかり
後半は記憶と美的センスが融合した感じの写真になっていって見事

桑原甲子雄 東京下町1930
時代の切り取り方が素晴らしい写真だなと、そういう編集だからなのかもだけど時代性が出てる写真が多い気がする
たまに写真に添えてあるちょっとした解説がなんだかいじらしいのと、時代を端的に説明してくれていてすっと頭に入ってくる
なんか月並みだけど、「すごく良く写ってる」のがすごい、これ全部1930年台なのに
大戦前の東京ってもう関東大震災もあったのに大分煌びやかになってたんだなすごいな、と関心できてしまう程度にちゃんと写ってるのもすごいなと思う
この写真集に限らずだけど、この頃の東京の写真は空襲で死んだ人も沢山写ってるんだろうなぁと勝手に考えて少し陰鬱というか哀愁みたいなものを勝手に感じてしまうことがある
この戦前の写真に写ってる、その後の出来事というのは厳然たる事実としてただ我々の歴史に横たわってるだけとは思うもののそういうことはどうしても勝手に考えちゃう
この時代はこのように取れていること自体がすごい、という時代でもあったけど同時に誰かが自分の手でキチンとアーカイブしないとこんな綺麗に時代を切り取ることってできないだろうし、そういう意識の大事さというのは写真を撮るのが当たり前になった現代でもたぶん変わらないのかもなと思う、さながらアメリカンニューカラー時代の写真家がアメリカの当たり前の日常をあえて残したような

川内倫子 CUICUI
ある日の弁当の卵焼きが上手く焼けた〜とか車を見送る祖父?とか徹底的に私写真なのに何故にこうも心を鷲掴みにしてくるのか、わからない感じがむしろ快感まである
この人も一度プロの商業カメラマンとして確固たる技術を確立した上であえてそれを捨て、手癖で残ったもので撮ったものをアウトプット、みたいなところは感じる
一体何が川内倫子を川内倫子たらしめてるんだろうか
写真から漂う絶妙に残った生っぽさなのか鑑賞者の記憶の奥底の奥を呼び起CUI CUIというタイトルに実はそんなに意味合いは持たせてないらしいのだけど、直訳すると小鳥の鳴き声とのことで、ということは後半に出てくる新たな命の誕生にも意味合いを乗っけられるよねという解釈ができるというか、それが自分の中でしっくりくるよなと
そういう鑑賞者それぞれが自分の人生と結びつけてしっくりくるものを投影できる箱みたいなタイトル・写真集で良いな、と思った

高梨豊 NOSTALGIA
別の写真集?が小さく挟まる構成は面白かったけどいまいち良さが見出せなかった
少なくとも視覚的な楽しさというかインパクトを求める系ではないかなと感じた、綺麗は綺麗だけど〜ここのどのへんにノスタルジアを見出せばいいんだろうな〜〜赤瀬川氏のあとがきも正直よくわからん〜という感じ(そもそも赤瀬川氏の写真集何冊か読んで文章読んだ感じあんま得意じゃないなぁという感じだった…)

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