2月に見た写真集感想

川内倫子 Des oiseaux
撮る対象がなんであれ、しっかり「川内倫子」の写真だなぁとなるのが不思議
命の育みに対する優しい視線とコロナ入ったばかりの鬱屈した生活をどう楽しくやり過ごそうとしているかの工夫みたいなものが感じられて時代性だなぁ〜と感じた


大西正純 槍穂憧憬
陰影の立体感がすごくて撮影者のスキルが垣間見える
登山写真の人はこんな過酷な場所に行けるというだけでなく過酷な場でキッチリ写真を撮っていて凄いなと思う
レスキューの人の写真良かった


尾辻やすお 長崎 照射の夏
自然な在り用として撮られた写真に潜んだ、あるいは差し込まれた長崎の歴史や原爆の描写が印象深い
日常的なものと長崎特有の歴史に絡めた写真が交互なのは日常に歴史が溶け込んだことの示唆だろうか?原爆の慰霊碑の前で子供がなんの気なしに夏の虫取りしてる写真なんかよく混ざってるなと
日常から長崎の盆に時間が経過していくのは何か象徴的なものを感じた


中平卓馬 ADIEU A X
東京近代美術館の展示行く前に見てみよう〜という感じで
植物と日常スナップがシンプルに絵的に綺麗だが、中平卓馬の写真集がただ小綺麗な写真集って感じで終わらんだろ〜と若干斜に構えた感じで読み進めたのだけど、最後までシンプルに写真の小綺麗さ、綺麗なまとまりの総体だなと感じた
自分の知ったか知識の範囲内で言うのであれば、倒れる前の中平の作風からは到底考えられない写真だなと
そんなこと考えながらあとがきを読んだら
「素朴な写真家にまいもどった」、ウィリアム・クライン風のアレブレ写真へ固執したかつての自分へのカウンターのような写真という企図があったとのことで
これはまるで自分の周波数が中平卓馬に合致したかのような感じがして、なんだか嬉しくなった
「写真作品、またその前の撮影行為とは、この社会、諸姿の模写で有るにすぎないのだ。しかし、それを端的にやっていくことによって、この社会をあらわにさせることが、可能なのだ」、めちゃくちゃ痺れちゃうねこの言葉
なんで写真撮ってるかわからなくなることがたまにあるけどその度に思い出したい言葉だなと
あと単純に住宅街のような場所での撮り方の参考になるとか「写真を浴びたい」(自分が好きな写真を大量に浴びるように見たい時の意)時に見るのに最高に良い
そして全体的に、これ最近覚えた言葉なんだけども(笑)「ジャメヴ」ってやつなんじゃないか、と思った
見知った感じの住宅街なのに中平卓馬の視点によって新しい角度が見えてくる、そういった面白さもありすごく良かった、展示の前に見れて良かった


奈良原一高 無国籍地
どのへんが「無国籍」なのかを見出すところからだなーと幾何学的な写真を眺めながら旅するような感じで見る
果たして写っている物体が概念的に国籍を感じさせないと言うことでの無国籍なのか、それともなんらかの事情で本当に国籍がない場所で撮ったということなのか、なんの廃墟なのか?と思ったが奈良原一高が初めて写真を撮ったくらいの頃のものを編纂したものらしくア〜なるほど言われてみると確かに「小慣れてる」感がないというか失礼ながらちょっと素人っぽい感じがしたなぁと


織作峰子 MY SWITZERAND
町とその場の静けさみたいなものが伝わってくる写真だな、という印象
静けさの表現というか
素朴さと美しさが同居した感じの写真だなと思った、田舎の素朴さと自然の力強さをそのまま引き出してる感じの


鈴木清写真集 流れの歌
とりあえずなんの前情報も無く読み進めたけどなんというか古い写真家あるあるな感じのよくわからんさでむしろ答え合わせが楽しみまであるみたいな感覚に
ボケ感綺麗だよねとか急にパッと撮った感じをそのまま残したような躍動感あるよなとか
銭湯、舞台、市場、この辺から想起されるのはやはり市井の人といったところか


蜷川実花 Light of
こんなに輪郭の無い写真で構成された写真集は初めて見たかもしれない(笑)
ライブ撮影とかで業務としては失敗した写真がいっぱい並んでる感じする
ちょっとスローシャッターでブレてる手が光の中を飛んでる何かを意識してるとかなんでしょうか
色彩の感じはさすがの蜷川実花という感じでド派手なのに何か品みたいなものを感じる
表紙の写真は宇宙の超新星爆発のイメージ図とかこんな感じで不思議な綺麗さだなと思った

長野重一 香港追憶
活気の熱量がこれでもかってくらい前面に出してる印象、あと子供が多いんだけどこれは子供を狙って撮ったというより子供の母数が多くて自然とこうなったんじゃないかという印象をなんとなく受けた
広角気味で情報量の多い写真が多く、普段28mmレンズばっか使ってる身としては大変参考になる
明らかにロバート・フランクのThe americansの表紙のパロディっぽい写真があってニヤッとしたが、実際のとこはどうだろう


楢橋朝子 FUNICULI FUNICULA photographs 1998-2003
技巧的上手さを知りつつあえて捨てたことによる良さみたいなのが滲み出てるなと感じた、どれも説明不能な良さがある
写真における技巧を知っていてあえて捨てている、それでも滲み出ている技巧、というような秀逸さを感じる
恥ずかしながらこの方を全然知らなかったのだけど見ていてすぐに「あ、この人技術的なことめっちゃ知った上であえて捨ててるな」と感じた、不思議
被写体で言ったら平成ニッポンの原風景みたいな景色がたまらない


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