6月に見た写真集

萩原義弘写真集 巨幹残栄
静謐な美とでもいうか、静けさと美しさが上手く混ざり合っててすごい
炭鉱という時点で人工的に形成されたものではあるけど、人の息吹を感じるような写真が多いなと
こういう廃墟ってほんとは虫だらけだったりもっとめちゃくちゃ汚い場所のはずなんだけどそういう場所から人の営みの部分のみを抽出・切り取っているような感じがありすごい
撮られている場所がどういう場所なのか、どれも行ったことない場所だからわからんけどこういう廃墟がちな田舎ってまぁ撮るもんがなかなか見つからない場所だったりするし、何を探し・見つけ・どう撮っているか、参考にしたいなぁと

百瀬俊哉 Concerto
アジアっぽいし西欧っぽいし不思議な街並みだなと
唐突に馬車?みたいなの出てきたのはびっくりした
建物のの感じは西洋っぽさ、道路のあたり(バス溜まりとか)はちょっと日本っぽいと思ったけど、あるいはこれまでに見てきた町のイメージの近似値のようなものがイメージとして割り当てられるような、イスタンブールはそういう町として撮られたのかも
ブエノスアイレスは森山大道の写真以外で初めて見たってくらいにしか知らないのだけどこんな昔のアメリカ映画っぽい情景なのか〜、あるいはそういう撮り方なのか〜となった
経済危機くらいの時期に撮った写真らしく立派な街並みに反して全然人がいなくて社会状況がよく写ってるなと思った

東松照明 太陽の鉛筆1975
宮古島に一時移住してた時期に撮っていた写真みたいでどれもすごく入り込んで撮ってるなという印象、人もモノも距離感を精神的に詰めているような
世俗の切り取り方の明快さも凄いけど、温かみのある景勝地をムラ社会の負の側面も切り取ったような写真に仕上がっていて凄みが伝わる
綺麗な景色も汚い景色もムラ社会の温かみも疎外感のようなものも全部等価で入っている
それとテキストがちょっと多くて面食らったけど、引力のある文章というかすごく情景が伝わる文章でそちらにも引き込まれる
(写真だから当たり前だけど)写実的な情景と現代の価値観からするとまるでファンタジーに感じてしまう伝承の話が渾然一体となり不思議な世界観を心に埋められるような感覚がある
さてしばらく眺めていて気づいたというかすぐ気づかなかったのは自分の見識の問題かもだけど、東松照明の写真はどれもパッと見物凄い印象を与えるようなものはないけど、しかしよくよく見ると一分の無駄もない洗練さがあり、この洗練された美しさが何も自己主張せずただそこに存在しているな、と思った
こういうよくよく眺めるとめっちゃ凄いっていうの大好き、なんか玄人感を覚えて自己肯定感上がるため…
そして最後那覇の女学生がボンと出てそこから何もテキストなく終わる感じも良い、ここまで散々テキストで沖縄の生活を克明に語っていたのに突然何も語らず終わるのはなんだかすごく良い余韻を残してきたなと

アジェのパリ
二年くらい前?に初めて読んだ以来久々に見返した
あの頃は何も知らないまま見て「古い写真の割にはたしかによく撮れてるような気がするけど、何を見ればいいんだろ…」くらいの気持ちだったけど少しだけ知識を仕入れた今見ると120年前にこのような写真を淡々と撮っていたという事実の重みにひれ伏しちゃう感じある
写真は時間の経過と共に特別に思う気持ちが膨らんでいくものだと思ってるけど、これはもうその極みであり歴史の重みそのものだなと思った
マン・レイがアジェの写真をして「これはシュルレアリスムの極みだ!!!」と言ったそうだけどなぜそうなのかはよくわからない(そもそもシュルレアリスムの認識が朧げ)からちょっとその辺勉強してみたいな

記憶のランドスケープ
いわゆる「アメリカンニューカラー」系の写真がずっと気になっていたのだけど、その代表作を少しずつ取りまとめたような構成
芸術家のための素材として淡々と撮っていたアジェに負けず劣らずなんじゃないかというくらいどれも淡々と撮られているのに、なぜかどれも心が惹かれる
無理くりなぜ良いと感じてるのかを自分の中で言語化するのであれば絵画的無駄の無さと計算された光の明暗と機材及び印刷の巧みさによる色彩の美しさ、なのかなという気がする
どれもただそこに在るという感じの当たり前のように自己主張無く撮られてるが、実は自分の常識に照らし合わせてよく見ると妙な状況だな、という写真が多い気がする 車が事故って放置されて何年後みたいなのとか火事現場だったり
ただしこの「妙だな」という感覚は立木義浩の「ありふれた景色」を見た時と同じような感覚な気もする、異国における常識的な風景をあたかもそれが当たり前に撮られたものを見ると自分にとっての常識と全然違うのに写真の中ではそれが当たり前になっておりギャップによって自分の中の当たり前に疑義を突きつけられるような感覚

Eliott Erwitt 1/125
1枚1枚のインパクトもさることながら組みの構成レベルもとんでもない
最初の方は「決定的瞬間」的なインパクトのある写真が多いのが段々日常を良い感じに撮った写真が増えてくる
1950年から2000年まで50年間の写真がごちゃまぜなんだけどその50年の時代生や撮影者の感性の変化などの違いを感じさせないのがすごいなと思う

森山大道 記録57号
横浜・横須賀のあたりの写真が多くてほんとに逗子に戻ったんだなと
めちゃくちゃなパワーは相変わらず健在でなんだか写真見てるだけで元気モリモリになってくる
記録シリーズに限った話じゃないかもだけど2枚の写真を見開きであたかも1枚の写真に見えるかのような構成は見事という他ないしページの継ぎ目が見えにくい紙の本だからこそのギミックだよなと思う
今回だとポスターのドアップと横須賀線で寝てる人の組み合わせが一番好き

佐藤健寿 世界
まず光があり、海があって島が見えて街が見えて海岸の人々の営みがあり営みから離れて荒地になりそこを越えると遠くに車が見え、打ち捨てられた車に出会い、ドライブに出て…と被写体は世界中色々なものなのに少しずついつの間にしりとり形式で変わってくのが面白すぎて、写真の素晴らしさもさることながらこの世界の旅はどこへ行くのか気になって仕方なくなってくる
どこでもドア使って似たような情景・あるいは共通項のある場所へ次々にワープする旅をしているような感覚になる
これ気持ち日本がちょっと多い気がする、それも日本特有の何かを主題にしてるわけでもないからたぶん世界中誰が見ても楽しめそうな構成になってるのがすごい、凄すぎる

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