12月に見た写真集感想

本郷浩写真集 荒浜 仙台湾光景-大津波のあとで
3.11後の仙台の荒浜の風景をメインとした写真集
作品というよりはもっと報道写真寄りな、記録のような側面もあるが不思議と心を惹きつけられる
地獄としか言いようのない凄惨な光景のはずなのに、写真としての整然さがあり見やすささえ感じた
何枚か気に入ったの挙げると「泳ぐこいのぼり」という写真は凄惨な状況にあっても鯉のぼりだけは平素のように風に泳ぐ様は美しさと不気味さと、そして人間の気など物体は知ったことでは無いと言う世界の残酷さみたいなものを感じる
「流された家の前で」という写真は写っている方の家がなくなってしまったことへのどうしようもない感情とそれでもこれから生きていくことへの力強さが同居したような、複雑な感情をたたえた表情を切り取っていて一枚の写真の中に深い情報があり写真というものの奥深さを再認識した
時々、写真を撮っていてこれはただの記録になってしまって意味がないとシャッター切ろうとしてやめてしまうこともあるのだけど、この写真集を見るとたとえ記録であろうと過去に残した記録は自分の想像を越えたところから時を越え手を伸ばしてきて様々な感情を想起させるなと思った
記録がいわば整然とした(してなくとも)作品を志向した「写真」になるかはわからない、けど意味のない記録など一つもないのだなと思う
最近アンリカルティエブレッソンなどのような美しい構図の写真を見がちだったのだけど、写真はそんなんじゃなくたって別にいいんだ、とある意味思考が自由になったような気がする
むしろ写真は記録であり記憶であり想像を掻き立てられるチラリズムでもあるという側面が強いのかなと今は思う
状況に対する想像を掻き立てられる写真が多いというか
「海は見えなくなった」という写真などもそう感じた
あとがきの「被災者の一人でもある私が写真を写している場合なのか、と自身を責める一方でこの稀有な惨状を記録に残すことが長年写真に携ってきた者の義務ではないのかと自分に言い聞かせてシャッターを切り続けて今に至っております」、まさにこの立場だからこその言葉を強く感じる
津波を被ったネガの写真は不思議な幾何学模様の美しさがあった


テツヤハシモト Strangers
写真一枚一枚はすごく綺麗なんだけど似た構成の写真が長く続いていて率直に言って途中から少し退屈を感じてしまった
見開き1ページ2枚の写真が共通で、とかではなく数ページにわたって似た構図の写真が続く構成だからなのだろうか
視線の動き方が一定になってしまうというか
ただ退屈を感じた頃合いで別の構図の写真が現れるのでなかなか油断ならない
一枚一枚の作品はすごくいいなと思う
途中の詩、「偶然の絵筆が一つの新しい色を書き加えるとき〜」の節は少し大道イズムを感じた
いわく、『必然の網を張って偶然を呼び込むような形で撮る』、なので
写真集において、順番や構成って大事なんだなと思った


畠山直哉 まっぷたつの風景
二分割構図の写真とそれを反射させた写真や途中途中挟まってくる写真展をそのまま撮った写真などの構成
一冊の中に写真集の部分と文章構成の部分など、""対””を意識したような構成になってるなと思った
震災の景色はなかなかの迫力
なんだけどイマイチ自分にめちゃくちゃ刺さる部分を発見できず
写真が刺さらなかったのでいっぱいあった文章読んでません、ごめんなさい


川内倫子 うたたね
今月一番刺さった写真集かも
不勉強なもので正直川内倫子さんのことをあまり存じ上げなかったのだけど、プロカメラマン・youtuberの矢沢隆則さんのツイート見て早速というか、図書館に普通にあったので借りてみた
表現力の暴力だ!!!というのが第一印象
正直何がどうなってんのかさっぱりわからんない写真ばかり(うっすい感想ですみません)なんだけどなぜか心の中にすっと入ってくる
写ってるものや伝えたいものがはっきりしてるのになぜか全然心に入ってこない写真集もあれば、こういう真逆のものもあるのはなんなのでしょうね
そして写真ってもっと自由でいいんだなぁ、と思った
最近どうにも写ってなきゃいけない!!!主題ははっきりさせよう!!!という基本的な考え方""だけ""に凝り固まってたので(基本は基本で重要)
紙面上での視線の流れというかそういうのはわかりやすいが
もう何が写ってるかってより直感で引き込まれるような構成になってると感じる
それこそ「うたたね」しているような、ちょっとソフトな描写が多いのになんだか実存感が半端じゃない
手にとってさわれそうにすら感じる
写真は言葉にならない記憶や感覚を表現できると思ってるけど、最たるものだなと感じた
それでいて「うたたね」という一本の単語でまとまった内容になっている、これは確かにすごい写真集だ


日本の写真家〈8〉木村伊兵衛
最近木村伊兵衛の写真見てなかったなと思い名作選的というか写真家概要のような写真集を見たけどやっぱ良い
よく同じ時代に活躍した土門拳と比較されて、その比較で言うと木村伊兵衛の方がより被写体の飾り気ない瞬間の中から拾った絵になる瞬間を捉えているなと思う
飾り気のない瞬間を捉える木村伊兵衛と徹底的に写真としての完成度を突き詰める土門拳みたいなのが写真そのものにも大きく写ってる印象
名作選的な側面もあるのでどの写真も印象に残るものばかりだが、いくつか挙げると『那覇の芸者』という写真は「別にピンボケしてたっていいじゃないか」という写真の奥深さみたいなものが感じられる
むしろピンボケのソフト描写が表情などを引き立ててるような
『鶯谷駅』も傑作、全然生まれてもいない時代の写真なのになぜか懐かしさを感じられる、自分で経験してなくてもテレビドラマなどで見た情景などの刷り込みの記憶を想起させられて懐かしさを感じさせるのかもしれないが、「想起させられる」というのも写真の重要な役割かなと思う
『湯島天神付近』の写真もすごい、まさに美しすぎる写真
こんな綺麗なスナップ現代の失敗できないカメラ使っても撮れる気しない
『川開き』なんかは実は初めて見たけど、写真を見て初めて額装して部屋に飾りたいと思ったかもというくらい綺麗だ
現代的にいえば「バエ」な写真だけどそんなチープな言い方におさめたくない神々しさがある


日本の写真家〈16〉土門拳
木村伊兵衛からの流れでついでに(失礼)
被写体、というより写真の完成に対する執着の強さが一枚一枚にあるよなぁと思う
それが絵全体の強さに現れてるというか…
あとこの人の場合エピソードが面白すぎてそっちに引っ張られる(笑)
梅原龍三郎を撮ってた時あまりにしつこく撮ってたもんでブチギレて椅子を投げ出すもそのキレてるとこまで撮って根負けさせたりとか軍の練習かなんかの様子を撮ってる時良い絵を撮るために何度も演習やり直させたりとか、粘りに関するエピソードは枚挙に暇ないというか
今こんなやついたら炎上どころじゃ済まないだろうなとか思う(笑)
けどその真摯な姿勢や職人肌は不思議と胸を打ってくるところがあり、やはり歴史上外すことのできない偉人なのだなぁとこの人の人となりを調べたり写真を見ていると強く感じるところではある


森山大道 凶区/Erotica
世界中様々な町スナップ写真を全てごちゃ混ぜにした構成は世界の境界線とか区切りが曖昧になった不思議な世界に入ったような感覚を覚える
日本じゃないと思ったら日本の都市風景だったり日本の都市風景だと思ったら全然別の国の風景だったりと独特の世界観が一冊にあり凄いなと
あと全体的に大道の性癖が詰まってる感じもするw
肩出しの女性好きそうだなとか
タイトルの「Erotica」、大道はよく「エロス」といった言葉を使うのだけれどこれは視界内の見えない場所に対する深淵とかそういったものから掻き立てられるものなのか?と少し考えたりした
想像の余地って、楽しい
「凶」と入ってるけどこれ実は「区」を縦で見ても横で見てもそう見えるにようにしたかっただけで深い意味ないのかなという気がしてきた
ともかく基本はテーマもクソもなく自分が見てきた世界のコピーを境界線も区切りもなく全てぶちこんだもの、て考え方なのかなぁ
少なくとも自分はそう解釈した

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?