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「好きだけ」という難しさの話。#5


おはようございます、
こんにちは、
こんばんは。
もしくは、はじめまして。

ここに書き綴るすべてのことは、
わたしの寝言くらいに思っていただいて。
ほとんどが、わたしの思考や心情の
一方的な吐露になるかと思います。
ただ、それらを、ときどき、
だれかと語らいたくなる休日の昼下がりが、
だれかに伝えたくなる夜があるのです。



唐突ですが、みなさん
あなたの「好きなこと」ってなんですか?
もしくは
「これからも続けたいこと」
あるいは
「これからやっていきたいこと」
でも構いません。

何か思い浮かんだでしょうか。

ずっと続けているスポーツとか、
クリエイティブな何かとか、
今のお仕事がそう?
はたまた、
どこか移住したい!とか
自分のお店を持ちたいとか。


わたしは前回の記事にて、
「好きだけ」は贅沢!幸せ!素敵!
みたいな話をしました。
(あくまでもここでは「好き100%」の“所有”についてですが)


ただ、今日お話したいのは
「好きだけ」をすることの
難易度の高さについて。


わたしのnoteを毎回読んでくれる人がいます。
その人は、前回の
わたしが断捨離をして
ハッピーになったnoteを読んで
❝「好きだけ」をしていられるの、すごく贅沢だなと思った❞
というようなことを言いました。

それを言われて、
「ほんとかな」って
ふと思ったんです。

いや、細かく考えたら
贅沢じゃない、と言いたいわけではないんです。
でも、ふと出てきたのは
「ほんとかな」でした。

その人は
文字や、声、音楽、写真で
モノを創る人なのですが、
自由に創作ができて
そしてそれを
見て、聴いて、感じてくれる人がいるのは
確かに贅沢なことなんだと思います。

だけどそれだけじゃない。
きっと。


これはほんの1つの
そして大袈裟な例ですが。
「好き」だけで生きる、って
まあ無理なことだと思うんです。

大抵の子供は「勉強」が嫌いだし
(勉を強いると書くだけある)
大抵の大人は「仕事」が嫌いだし。
(嫌なことばかりではないので、「仕事の日の朝」が嫌い、くらいにしておきましょうか…)
でも
勉強時間が大半を占める
学校は避けては通れないし、
働いてお金を得なくては
生活がストップしてしまう。

だからなんでしょうか。
❝好きなことして食っていけていいな❞
ってフレーズが世の中にあるのは。
本当に口にする人がいるかは別として。

そして、それが頭に浮かぶ人は
❝好きを理由に仕事にしないほうが良い❞
というフレーズの存在を
お忘れなんでしょうか。


思うように上手くいかなかった時、
好きだからこそこだわりすぎて苦労した時、
他人の努力を越えられなかった時、


もしかしたら、
「好き」が「嫌い」になるかもしれない。


そうでなくても、
きっと「好き」を
変わらない「好き」のまま
続けること、磨きをかけることって
難しいと思うんです。


「好き」だけを所有することは
わかりやすく簡単で、
贅沢なことでしょう。

けれど
「好き」だけをしていられることは
おそらく
ただ楽しくて幸せなこと、
というわけにはいかない。


今のわたしには 到底知りようがないことで、
一言で片付けて良いことでも 無さそうですが
難しいんだと思います。

その難しさを乗り越えた上でも尚、

今自分は「好き」をしているんだ、と

そう思って続けられることが
「贅沢」なのかもしれないな。
今回考えてみてこう思いました。

noteを読んでくれるその人の言葉を聞いて
「ほんとかな」とわたしがひっかかったのは
おそらく、
そういう考えの部分が
はっきりしていなかったせいでした。
「大変じゃないのかな」という思考が
頭の片隅にあったのです。

その人が
今回わたしが考えていたことを
ひっくるめた上で
「贅沢」だと言ったのかはわかりません。

でも、わたしの中にこの考えができた以上
その人が「好き」をつづけ
「贅沢だ」と思っていられるのなら、

それは、今までよりさらに
嬉しいことだなと思えます。

そうであってほしいな、とも。




皆さんが今夜
寝言を言っちゃうくらい、
ぐっすり眠れますように。
おやすみなさい。

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