掟想視

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最近の記事

検索をnoteだけで完結できるようになってからが本番説

 検索をnoteだけで完結できるようになってからが本当のnoteとしてのサービスのスタートだと思う。  かつてGoogleの検索エンジンを作るため、巡回ロボットが世界中のウェブサイトをめぐりウェブページ内の文字列をGoogleのデータサーバーに送っていたようなことを、現在はnoteのユーザーがnoteのデータサーバーに対して行い(基本日本語話者の)すべての情報を余すところなく格納している状態である。今後は何を調べても、note印の情報が見つかるようになっているのが理想だ。  

    • 生き残りをかけて磨く技術

       生き残りをかけて技術を磨き、変動の激しい現代社会をサバイブし、将来に備えたい。以下に、そのための技術を書き出す。 デジタルスキルの向上 技術の進化に追いつくためデジタルスキルは不可欠だ。プログラミング、データ分析、デジタルコミュニケーションなど、IT関連のリテラシースキルを磨くことで、未来の職場で競争力を保てるようになる。もちろん基礎的な知性の高さがあっての話だ。 柔軟性と適応力 未来は予測できない。柔軟性と適応力を備え、変化に対応できるよう努めたい。「こう

      • アグレッシブで憂鬱克服

         憂鬱な事態に直面すると、その重圧は途轍もないように感じられるが、アグレッシブなアプローチを取ることで、憂鬱との戦いに前向きな変化をもたらすことができそうだ。  憂鬱な感覚に片足を突っ込みそうだと感じた瞬間にさっさとアグレッシブの塊みたいなYouTuberや演技の役者や伝説を持った偉人などを見て同じようなテンションに自分の感覚を持っていこうと考えるといいかもしれない。 自分に正直に向き合う 憂鬱を克服するためには、ますます深刻になる前に自分の感情と向き合う。問題を無視

        • 未来予知ができるなら

           未来を知ることができるとしたら、どのように人生を変えることが望ましいのか。以下に、未来予知が可能な仮想の状況で考えられるアイデアを考える。 未来の疾病を予防するプログラムの開発 未来の医療技術や疾病の発生を予測し、それに基づいて予防プログラムを開発することで、莫大な富だけではなく、全世界の健康な未来を築くことができそうだ。  しかし、未来予知ができる人の属性によってはおそらく(例えば小学生とかが「未来にこういう疫病が流行る」とか言っても)誰も信用しないだろうし、信用

        検索をnoteだけで完結できるようになってからが本番説

          日本から世界に通用する技術

           先日、Quoraに「なんで日本人は世界に通用するアプリやソフトウェアを一つとして開発できなかったんですか」と質問があり、Ruby開発者の降臨があったようだ。  曰く「一つとして」は偽で、Rubyのように通用したものはあるにはあるが、日本は国内だけで生存できるマーケットサイズがあるため、海外に進出する必要が無く、人口や市場規模と比較して世界的なアプリやサービスが少ないのではないかとのこと。  個人的にはMicrosoftやGoogleや FacebookやTwitter的なシ

          日本から世界に通用する技術

          最強の生産性アップ術

           最強の生産性アップ術は極めてシンプルで、以下をやるだけだ。 1 やることを洗い出す 2 洗い出したものに優先順位をつける 3 重要なものから取り掛かる  これは、どこかの学術論文でも証明されたそうだが、当たり前のようでおそらく一番最初の「やることを洗い出す」の段からできている人は少ないだろう。  むしろ「やること」さえテーブルの上に出し切ってしまえば、あとは個人から組織まで、それぞれが携わる範囲において優先度をつけてしまえば良くなるのだ。  とはいえ、優先度を決めることの難

          最強の生産性アップ術

          Apple Vision Proの存在をすぐ忘れる

           表題の通りApple Vision Proの存在をすぐ忘れてしまうのだが、本記事を書いているのはApple Vision Proが一般に販売されて一週間くらいの時点だ。YouTubeやブログ界隈のプロ驚き屋の方々が絶賛記事をあげるたびに「あー、確かにそういうのがあった」と思い出させてもらっている感じである。  私はiPadの使い道がわからない派だが、iPadに関してはまだ、どういう使い道があるか少し検討したくなる。しかしApple Vision Proに関しては全くその手の

          Apple Vision Proの存在をすぐ忘れる

          大人になるとゲームが楽しめなくなる理由

           大人になると普通の趣味でも子供の時ほど楽しめなくなる。特にゲームは顕著で、ほとんどのゲームが楽しめなくなる。「昔はあんなに楽しめたのに」と嘆きの声もネットでよく見かける。その原因と克服法を考えてみた。 時間の制約  大人になると仕事や家庭の責任が増え時間が限られる。これによって継続的なプレイが難しくなり、以前ほどの没頭感が得られなくなる。逆に短時間でいつでもどこでもプレイできるものであれば大人になってもからでも楽しめる可能性がある。  JRPGのコスプレしたような異様な格

          大人になるとゲームが楽しめなくなる理由

          やる気とは別のモード

           やる気がないからといって、何もできないわけではない。熱量高くやる気を出すことと、小さなテンションでメリットを得ることは別のモードだ。ここでは、やる気とは別のモードでのアプローチに焦点を当てて考える。 メリットの大きさ  やる気を出すとき、目標が大きく感じられ、逆にそれがプレッシャーとなりがちだ。一方で、小さなテンションで始めると、目標が小さく、達成感を感じやすくなる。小さな成功体験が、モチベーションを上げる要因にもなる。 簡単なスタート地点  大きなやる気が必要な活動は

          やる気とは別のモード

          都合が悪いことを認められるか

           ちょっと前に「最近ソースがなくても自分に都合のいい意見なら盲信するネット利用者が増えているのではないか」的な意見を見かけて、なるほど確かにその傾向には思い当たる節がある……と思ったが、原因は「知性」にあるのではないかと思いついたので、そこからつらつらと考えてみた。  知性とは、単なる知識や情報の蓄積だけではなく、柔軟性や逆境にも対処できる精神の強さも含まれる。なかでも、都合が悪い現実を冷静に受け入れられるのは真の知性と言えるのではないだろうか。 客観的な視点  知性の高い

          都合が悪いことを認められるか

          言語は必要性で覚える

           英語をちゃんと学ぼうと思ったことは一度も無いが、英語で言っていることを原文のニュアンスで知りたいと思うことはたまにあるので、そういう時は翻訳サイトを使ったり、翻訳家の訳した内容を自分なりにちょっと違う表現にして楽しんでいる。  遊びとして楽しむ程度に調べる程度で、本気で何かテストをクリアしてやろうとか、そういう気持ちは全くない。言語は普段、全然使いもしないのに(凄いと言われたいがための)自己顕示欲、承認欲求などで無理に覚えるようなものではなく、必要性で覚えるものだと個人的に

          言語は必要性で覚える

          論理フレームの空、雨、傘について

           何か物事を考え人に向かって発信する際、論理が飛躍すると(感覚が近い人以外)その論についていけなくなるが、それを防ぐために論理フレームワークがある。フレームワークとは型に当てはめた、まとめのようなものだ。  代表的なフレームワークに、空雨傘があるが、空雨傘の論理フレームワークはそのシンプルさゆえ、慣れていない人には論理の飛躍が起きやすい。  では、論理に飛躍が起きない論理の達人が、どういう感覚で物事を捉えるのか、空雨傘に当てはめて考えてみよう。 空は事実、視覚的に確実なもの

          論理フレームの空、雨、傘について

          コーネル式ノート術はエクセルで

           ノート術系の話題を見かけるとすぐにデジタル化を考えてしまう癖がある。「それがデジタルではダメな理由は一体何か」と、理由を考える感じだ。  個人的にデジタルではどうしようもない場合においてのみアナログノートを使うことを検討すればいいと思っている。そうじゃないと手書きする意味がない。  文字が汚いというコンプレックスも影響しているのだろうが、手書きは労力が大き過ぎて、手書きする意味が確実に存在しないと続かない。  先日「コーネル式ノート術」というものを見かけた。これはノート1ペ

          コーネル式ノート術はエクセルで

          優先度の高いもの低いもの

           こういうnoteやブログのようなメディアでは、話題が無くなってくると優先度の低い話題も取り扱い始めたくなる。そこで共感を得ようとしても、目立たない事象を取り扱うにすぎず、元々誰も気にしていない事柄でしかないので、それ以上盛り上げようも無い場合が多い。  しかしそこで諦めると完全に終わるので、しばらく粘って考えてみる。すると、誰の共感も得られそうにないが、自分にとってはやけに気になる事柄が見つかることもある。 優先度は著者の執着心に関係する  書き出す意欲というものは、著者

          優先度の高いもの低いもの

          自分用のメモではなく紹介

           たまに「note(ブログ)は自分のメモ的に使用すればいい」的な言説を見かけるが、それには抵抗感がある。自分の文章が世の中になんの影響も無いとしても、人様が閲覧可能な場所に出すということは何かしらの反応が起きる可能性はあるからだ。  おそらくネタ切れを回避するためにハードルを下げる口実としてそういうことを言っているのだろうが、ローカルのメモではなく、こうして誰でも閲覧可能な場所に何かを書き出すということは何かしらの期待があると思う。かくいう自分も何かを期待している気がするのだ

          自分用のメモではなく紹介

          演繹と帰納の違い

           演繹と帰納、どっちがどうだったかよくわからなくなるので、調べることが多いのだが、ネットで調べるとなぜか色々な説があり、本来対義語のはずなのに「それどっちも同じでは」と困惑する説も多く目撃したので、自分なりの言葉でまとめておく。 ・演繹……普遍法則の適用 ・帰納……類似事象からの法則化  形としては演繹は一つの点から適用可能な事象に向かって線が伸びるもので、帰納は複数の枝葉が一つの点に集約していくようなイメージとなる。  演繹は拡散、帰納は集約の視覚イメージだ。まさに対義

          演繹と帰納の違い