掟想視

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最近の記事

放置ゲーの楽しみ方

 先日スマホゲームの『キノコ伝説』がどこからともなく話題になり、周りも盛り上がっていたので適当に触ってみた。  ソシャゲや一発ネタ系のゲームで流行った要素をてんこ盛りにして、基本放置の戦闘でステージレベルを上げたり、装備のレアリティを競ったりする内容。  基本的に放置とはいえ、ログインボーナス(ログボ)を全て獲得しようとするとかなりの時間がかかる。そこで、ゲーム本来の目的ではなく、このログボをいかに効率的に獲得するかを自分の中で組み立てた(これが一番のゲーム性といっても過言で

    • ブロックメモに書ききれないフラストレーションを利用

       先日、カード式アイデア創出法に馴染めないという記事を書いたが、その馴染めないフラストレーションをあえて別の方向に向けてアイデア作りに活かす、ひねくれた手法を思いついた。  さっそく手法について書いていくと、下記の流れになる。 1 ブロックメモに思いつきを書き込む 2 一枚につき一つのアイデアには〝しない〟 3 すぐに書ききれなくなる 4 「思いついたのに書けない」気持ちを持つ 5 ノートを広げて、思う存分書く  小さなブログメモに思いつきを書き出しまくろうとすると、どう

      • 余裕がないと挑戦的なものは不可能

         どんなプロジェクト、創作、副業でも、まずは少額の予算、いや、できれば無料から始める必要がある。  なぜなら新しいものを始めるとき、何が当たるかわからないからだ。もし当たるものが予想可能なら誰でも億万長者になれる。  だからまずはできるだけ多くの種類の「タネ」を撒いておき、芽が出るか、大きく育つかを見極めながら、色々試行錯誤するしかない。  一方で、いくら元手のかからない副業や創作であっても、いきなり他人からのウケを狙わないとどうしようも無くなるケースがある。  それは脱サラ

        • カード式のアイデア創出に馴染めない理由

           以前、「ツェッテルカステン」という生産性を高めるアイデア創出法とされている手法を紹介したが、結局「KJ法」の亜種であり、 私には使いづらいものに感じた。  前回の紹介記事はカード式アイデア創出法のいいところに注目してみたが、本音というか素直に使いづらいと思う理由について紹介してみよう。  まず、いきなり大前提をひっくり返すが、アイデアを一つ、一枚のカードに書くというのは、きわめてまどろっこしいし、この手法の要となっているここで(私のアイデア出しにおいては)盛大に破綻する。

        放置ゲーの楽しみ方

          伝わると期待せず距離をおく

           ネット上で発信をしていると、急に何かこちらに不満があるらしい人から全く理解不能な難癖と攻撃的な言葉を吐きかけられることがある。  これはネットではよくあることだが、なまじっか相手が日本語で訴えかけてくることから言葉が通じると思い、まともに取り合ってしまうことがある。しかし、これはあまりよくない。  それは相手に期待し過ぎだ。少し落ち着いて「自分がそんなことを赤の他人に急にやるか」と考えてみよう。明らかに異常だ。  この「相手に期待しすぎ」という観点に違和感があるなら、しばら

          伝わると期待せず距離をおく

          漫画喫茶での宿泊はホテルより得か

           先日、漫画喫茶はホテルよりお得という意見がひろゆきさんから出て、ネット上ではほとんど賛成意見が無く面白かったが、少し考えると確かに衛生的な面を置きざりにすれば、広さは必要充分、インフラ的にもホテル超えしてると思う。安全面からしても最近は鍵付きの個室もあるそうで安心だ。  私はよっぽどの理由でも無い限り嫌だが、海外の安宿を余裕で徘徊できるような人なら全然ありだと思う。  ちなみに、お得かどうかで考えると一般的には以下のようなものが挙がる。 料金の低さ  漫画喫茶の利用料金は

          漫画喫茶での宿泊はホテルより得か

          論理的とは

           論理的とは、簡単に言うと「筋道を立てて考えること」だ。そのために物事をある種の型にはめた理性で考えていく。  例えば、何か問題があったときに、感情や直感ではなく、事実や証拠から順序立てて理由を考えて、主張とその精度の高低を整理し判断するのが論理的な考え方と言える。  つまり、簡単に言うと感情に左右されず冷静に考えて物事を理解しようとする姿勢や方法を「論理的」と言う。  そして、そもそもの「論理」とは、人間の思考や議論を理性的に組み立てるための体系的な原則のことを指す。  論

          論理的とは

          脳内イメージと枚数の限られた紙芝居

           先日YouTubeのおすすめに昔のテレビ番組「松紳」の切り抜きが上がってきたので見たところ「どうやったらトークが上手くなるか」という視聴者からの質問に答える内容だった。  紳助さん曰く、頭の中で視覚的なイメージを作ってそれを見ながら話すようにしたら説明が上手くなるというのと、松本さん曰く紙芝居が決められた枚数あって、どこを一枚のシーンとして考えるのか……こっちに関してはセンスとしか言えないと言っていた。  脳内で視覚的なイメージを作ってそれを脳内で操作し続けたりするのは個人

          脳内イメージと枚数の限られた紙芝居

          メタバース、VR関連の企画が通る理由

           メタバース、VR関連のサービスは始まる前から失敗するとおそらく八割強の人達が予想していたはずだ。一部では「VR元年」だのバーチャルオフィスだの大騒ぎしていたが、大多数の人は何も期待していなかった。  時間や場所が制限されるテレビが衰退し、いつでもどこでも視聴可能なYouTubeこそが真の未来のテレビ像だったということから何も学んでいない。  だからメタバースだのVRだのの言葉を出すだけで少し恥ずかしい(頭が悪いと思われる、信用を無くす)まであったくらいだ。  そんな中、なぜ

          メタバース、VR関連の企画が通る理由

          文章を読む時頭の中で声がするか

           文章を黙読で読む時、頭の中で声がするかどうかというのが少し話題になっていた。私は頭の中で声が割とするほうだ。「割と」というのは、文字の最初の方だけ瞬間的に声になり、後は消えるからだ。  速度的にはおそらく声に出して普通に読む速度の二倍程度で読む感じだ。普通に朗読される速度では遅すぎるため、何かしらの発表やプレゼンで、スライドの文字をそのまま読んでいるようなものの場合、黙読で二倍以上は速く読み終わって待っている。  読む速度にはあまり自信がなく、一般に比べて少し遅いか普通くら

          文章を読む時頭の中で声がするか

          一つだけにメディアを絞るなら

           先日YouTubeを見ていたら、全てのメディア活動を制限して(やめるわけではない)YouTube一本を本気でやりきると言うYouTuberを見かけた。  それだけYouTubeに手応えがある(生活できている)からこその発言だと思うが、そういう潔さや割り切った最小化をみると、個人的になぜか妙にテンションが上がる。  そんな表明を見聞きしたところで自分の人生においては何の役にも立ちそうにもないが、おそらく掃除とか整理整頓とかと似たような快感がそこにあると確信がある。  そして高

          一つだけにメディアを絞るなら

          黒歴史になっても迷走する必要性

           何か表現を始めるにあたって、たとえ黒歴史になったとしても一度は迷走した方がいいのではないかと思うようになった。迷走をせずに一発でスタイルを確立してしまえるなら低コストで良いが、逆に低コスト程度しか「迷走しない」ことによるメリットはないような気もする。迷走含め一つの個性になるものだ。その辺りを少し考える。 自分に合う合わないを知る  まずすぐ思いつくのが、自分に合う合わないを知るための迷走期間だ。世の中で流行っていること、まだないこと、皆が見過ごしていること……何か良さそう

          黒歴史になっても迷走する必要性

          世界最高レベルの子供が低レベルな大人になる謎の国

           日本は子供の頃は学業成績において世界最高レベルにあるらしいが、大人になったら世界的に見ても下から数えた方がいいくらい低レベルの知的能力しか無くなるそうだ。  このからくりは簡単で、結論から書くと子供の頃の学業成績は知能の高さや意欲の高さからくるものではなく「従順さ」からくるものだからだ。  同調圧力に従って和を持って尊しとする国民性に非常にマッチした学習カリキュラムが組まれており、そこに従える子供が(国民性からか)非常に多い。  この「同じ行動をする」という性質は運動におい

          世界最高レベルの子供が低レベルな大人になる謎の国

          哲学はなんの役に立つのか

           哲学はなんの役に立つのか……専門で学んだわけではないのでこれまでの経験や適当につまみ食いのように見聞きした知識からの予想でしかないが、哲学は「精神的な生存競争で生き残る」ために役立つものではないかと思う。  単なるイメージだが、皆で何かをするというよりは、あくまでも個人が周囲の人々の中にある、意識の世界の根本原理を知り、自分と他人の境界に決着をつけるためのものではないかと思う。  歴史的には、最初は神だの悪魔だの天界だの地獄だのといった超次元的なものを取り扱っていた哲学では

          哲学はなんの役に立つのか

          量から質を生むためのパターン認識能力

           事あるごとに私は質を高めるには量が必要ということを言っているが、それにももう一つ条件があることに気づいた。  その条件とは表題にもある「パターン認識能力」だ。大量のものがあればそれだけで質が高まるなら、辞書こそ最高の文学になるだろう。しかしそうはならない。  パターン認識能力というと一部の能力の高い人にしかないものと思われるかもしれないし、Mensaなどの知能指数の高い人しか入れない集団に入る人はここの能力が生まれつき強烈に高いことで知られる。  しかし、パターンを見抜こう

          量から質を生むためのパターン認識能力

          ゲームの課題解決する面倒さ

           子供の頃はゲームを楽しんでいた気がするが、最近はゲームのほとんどが面倒でやってられない。原因は明確で、ゲームが「やりたくもない課題を押し付けてくる装置」としての機能しかないからだ。  こちらから能動的に「こうしたらどうなるのか」とクリアを目指して働きかける作りになっていない。ミッションを急に提示してきて、いわゆる「おつかい」感が強いものが多いし、以前別の記事でも取り扱ったが、アクションをやる場合、体力の減り具合で段階毎の行動パターンで攻撃してくる謎の敵の動きを読みながら適当

          ゲームの課題解決する面倒さ