ここ何回かの記事にChatGPT-4oを利用したが

 ここ何回かの記事にChatGPT-4oを利用したが、下手に人間味がある分、正直3.5よりも使いづらかった。まあ成立してそうな文章がすぐに書けるのだが、薄っすら漂うGPT感がどうしても拭いされず、手を入れようにも、明確にここが変というところがなく、文章の言い方を変えたり無駄な部分を削ったりする作業に終始した。
 あまりに緻密に「固く」構成されていて、ちょっと改変するだけでも他に影響する。その範囲が大きいので、一文を整えるのもかなりの時間がかかった。
 それだけ人間らしいと言えばそうなのだが、必ず同じ構文のようなものを使ってきて、一発で4o使っていると個人的にはわかってしまうのでなんとか改変したいが、前述の理由により影響範囲が微細かつ、やたらと多く面倒だ。
 基本的に使わない方が楽というのがわかったが、記事数だけなんのプライドもなく書き出そうという人にはこれはまあ使えるのではないかと思う。タイトルと文体と、文字数と、結論はここに持っていって欲しい……程度の依頼でそれなりの記事になる。4o臭さは拭えないが。
 書き手としては、どこか不完全で稚拙さが目立つ部分がある方が改変しやすいという謎な現象に気づかされた。4oは完璧に近い文章を生成するが、その完璧さゆえに、微調整が極めて難しい。特に文体の硬さや、一貫性の高すぎる構造が障害となっている。これは、文書全体のフレキシビリティを欠く原因になり、最終的には時間と労力を浪費することになる。
 さらに、4oの生成する文章は内容が過度に詳しく、意図的な曖昧さや冗長性が排除されている。それも一見良さそうに思えるが、実際は読者の想像に任せたり含みを持たせる余地がないため、面白みも説得力にも欠ける。文章の一部を抜き出して、別の観点から再構成することが非常に難しいため、結果として元のテキストに大幅な変更を加えるしかない。
 以上4oは確かに高度な文章生成能力を持っているが、その「完璧さ」がかえって編集作業を困難にしている感じだ。特に人間の手が加えて良くなる簡単に部分があまりにも少ないため独自の視点やニュアンスを付け加えることが難しく書き手の創造性が阻害される可能性の方が高い。
 完全に自動化されたコンテンツ生成が求められる場合や、特定のフォーマットに厳密に従う必要がある場合には4oの精密さは役に立つのかもしれない。特に、大量のコンテンツを短期間で生成しなければならない状況(なんかの業者とか)では、4oは強力なツールになるだろう。
 結局4oの使用は状況によって適切かどうかが決まる。編集の手間を省きたいなら3.5の方が柔軟で適しているが、精度と一貫性が求められる場合には4oが優れている。しばらくは、この二つのツールを使い分けることが、効率的なコンテンツ制作に繋がる気もする。

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