見出し画像

慈悲ではなく、慈愛のホールドとは?

yujiさんやMOTOKOさんなど、私が信頼と尊敬を寄せるヒーラーの方々に共通しているのは、慈悲ではなく、慈愛のホールド力をもつというところです。あなたの“現状”について寄り添うということはせず、あなたの魂の望みや輝き方という、レイヤーの異なるところでホールドしているので深くて広いホールド感。それは、ともすると人間界では“ドライ”という表現をされるほど。ウェットではなく、ドライ。だけれど身体が緩み、元気をもらい、全身でYES!と背筋がピッと伸びるような。そんな感じ。

セラピストやヒーラーの方々だと、慈悲のエネルギーをもって伴走すること、もしくは伴走してきたことも少なくないかもしれません。私自身、慈悲のエネルギーがベースにあるセッションを受けたことも何度かあり、自分の奥底にある悲しみや後悔などに触れて、最終的には深い慈悲の世界を体感していきます。そういうセッションを選択した時は、私自身がそういう感覚・感動に一度どっぷりと浸りたいというものがあったのでしょう。

ただ悲劇のヒロインのような激情型の体験はできますが、「可哀想」という慈悲のエネルギーで見守れることには限界があります。根底にある被害者意識のような(同時に加害者意識でもある)エネルギーは、まだ二元論的な世界に根ざしているものだからです。シーソーのようにどちらかを常に味わっている状態なのです。だから昔は悟るためには人里離れたところに修行に行くことも少なくなかったのかもしれません。

けれど「修行み」の強い自己との向き合いをする時代は終わりました。山に篭らずとも、心身を極限状態に追い込まずとも、自分に戻ることはできます。地球の恵みや豊かさを存分に享受しながら、自分に気づいている状態、つまり悟っている状態を保つことは可能です。大して特別なことでもありません。気づきながら、そして日常をも楽しむ。そんな軽やかに生きることが許される時代なのです。

まずは自分のことを最優先して、自分を喜ばせることに集中すること。現実逃避のように、周囲の人の世話を焼いているのだとしたらそこに気づくこと。人の世話をやくとき、心配するとき、そこに慈悲のエネルギーがないか丁寧に観察してみる。相手を可哀想がったとしても、相手は「自分は可哀想な人間なんだ」という世界観から抜け出せません。相手のことを想うならば、まずは、あなたがあなたに集中することです。

あなたは、あなたのご機嫌に責任をとる。
あなた自身を喜ばせる。とことん喜ばせる!
そんな一歩から、あなたの人生はスタートします。
本心に素直になって、あなた自身を生きてみてください。

いただいたエネルギーは大切に循環させていただきます🙏✨