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想像力の欠如が人を殺す話

テーマのある文章を思いつくのはいつもお風呂だったりする。

急に書きたいことを思いついて、あぁスマホがない、、

お風呂を上がってメモしようという頃には半分くらい忘れてしまっている。

私にとってのあるあるだ。

そもそもしっかりした文章なんて書いたことがないのだけれど、、

自粛生活で満員電車に揺られる事もなく、

とっさに仕事を振られたりする事もなく、

慌ただしい日々と引き換えに心の余裕ができ、

物事を深く考える事が増えたように思う。

ので、脳の筋トレといっては何だが、ちょっとした日々の出来事でも

文章に残すことにしようかと思った。(まだ思っている段階だが)


私はよく、私が今置かれている状況にいなかったらどうだったかを想像する。

いい状況、悪い状況に限らず、考えてしまうのだ。

それを持って今の現状があの人よりも恵まれているとか、

はたまたあの人のようには一生かかってもなれないとか、

そういった事を再認識したりしなければならないという事ではない。

ただ、何も考えずに過ごしていると、想像力を働かせないといけない局面で

周りのことが見えなくなってしまうような気がしているからだ。

最近のニュースを見ていると切にそう思う。

他人の人生を想像できないから、場違いな発言をしてしまったり、

攻撃的になってしまったりするのではないか。

規模の大小に関わらず、政治的なことから日常生活において

全ての場面に当てはめることができる、と私は思う。

有名人だろうが一般人だろうが、その人の時間があり日々があり、

そして人生があるという事を思い出さなければならない。


、と堅苦しい事を書いてしまったが実際のところ

想像することをやめると脳が死んでいく。

かつてない生活スタイルをしいられる今、人と人との関わりが

ネットやオンライン上あることが当たり前になり、

より細やかに対応していかなければならないことを身を持って感じている。

思いやりを持って人に接しましょうねと小学校の道徳の授業で言われて

何年経っただろうか、といった心境だが

人の人生を想像できない人が思いやりの気持ちを持つなど皆目見当がつかないのだ。

(生きていると考えるだけで吐き気のする人物が1人や2人、いや何十人と出てくるが、ここでは触れないこととする)

つまりは特に書くことがなかったが、タイピングしているうちにこういう形で日頃思っていることが形になった感じがする。こういうのも悪くはない。

とるに足りないことだが、誰かの共感を呼ぶかもしれないと日々思っている。





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