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私は《頑張らない》

最近のnoteを見ていると、
『◯日noteでの投稿を続けた結果』の様な記事を
目にする事がある。
「ご苦労様です。」
毎日投稿を続けよう!◯日投稿を頑張ろう!
ある種の熱意を持って取り組めている事は非常に素晴らしい事だと思う。そんな投稿を記事を横目に見ながら、私は《頑張らない》。
以下に、以前投稿した記事のリンクを貼っておくが、ここnoteにおいて私は《頑張らない》事にしている。

noteに見る可能性と自己満足の世界|漆黒 @YsWmnumKoghZLvZ #note https://note.com/okinga3/n/n3ab9491894ec

平日は仕事を頑張って、仕事終わりに様々な配信を見に行ったりTwitter、noteを見たり。
ゲームをしたり写真を撮ったり、、、

毎日頑張り過ぎではないか?

そんな事を思っている。
学生、会社員、パート、アルバイト、主婦(主夫)。
みんなそれぞれの場所で、立場で環境で頑張っているのではないか。そこから更に自分自身に頑張れと鞭打って『何か投稿しなきゃ。』とプレッシャーをかけ、追い込み、何かしらの言葉を産み出そうとする。このnoteでやりたいことは人それぞれなので、頑張って続けよう。頑張って書こう。と言う事事態を否定はしない。しかし、肯定持もしない。

頑張って続けている人は本当に素晴らしい事だと思うし、頑張って良かったと言っている事に文句も付けない。

書きたいな。と思った時には書くし、以前書いたものをまとめておきたい時もある。

ただ、それだけだ。

私も以前は『書き上げよう』と熱意を持って長編に挑戦したこともある。人物の設定、世界観の設定、プロットに分岐にキーワード等を考えて展開をメモして、進むべき未来へ向けて人物を動かしていた。
言葉を産み出して繋げて書き込んで無謀にも3作同時に書き進めていたこともある。

長編は私には合わない。

学生時代に時間の大半をつぎ込んだが長編は完結させる事が出来なかった。それは何故か?

楽しくなかった

未来に起こりうる事象の為に、ここで行動を起こしておく。人物を登場させて思わせ振りな台詞や行動を残しプロットの通りに進める事が私には楽しくなかったのだ。

Twitterに投稿している小説に関しては、思い付いた行動を起こし、言わせたい台詞を言わせていく。
後に繋がろうが繋がらなかろうが関係ない。
今、ここでこの台詞を言わせたい。この行動を起こさせたい。

はっきり言ってめっちゃ楽しい

書きたい時に書きたいように書いていく。
これが私の小説スタイル。物書きとしての最高の形。書きたいものを、書きたいときに書きたいように書いていく。

そう、私は《頑張らない》のだ。

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