牡丹社事件150周年節目の年に向けて~台沖双方の理解が必要

 今年2024年は牡丹社事件(日本の台湾出兵)150周年の節目だ。ここ数年、地元・屏東県(へいとうけん)牡丹(ぼたん)郷(きょう)では同事件を原住民の視点から再検証するため、事件発生場所のエリアで、積極的に関連施設を建設・開館し、同事件への理解と認識を深める動きが活発化している。
 牡丹郷役所は23年5月22日に、パイワン族と日本軍との戦いの激戦地となった石門古戦場で、同事件をテーマにした文化施設「石門古戦場故事館」と観光案内所の起工式を執り行った。周春米(しゅうしゅんまい)屏東県知事は、「故事館が完成することによって、牡丹社事件を知る出発点になり、より多くの人々にディープな屏東県の文化を体感してもらえる」と起工式のあいさつで期待を寄せた。
 22年5月には、牡丹社事件記念公園に、日本軍との戦闘中に戦死したパイワン族aruqu頭目父子像を建立。勇敢に郷里を守った不屈の精神をたたえ、後世に不滅の名声を残すためであると説明。なお、21年10月は、牡丹ダム入り口に「牡丹社事件故事館」と「落山風風景特定概念館」が開館。「牡丹社事件故事館」では、同事件現場の再現やパノラマスクリーンで関連映像を上映し、貴重な学びの空間となっている。
 牡丹社事件は、1871年に台湾南東部・八瑶湾に漂着した、宮古島からの乗組員54名が、現地の原住民のパイワン族に殺害された「琉球船台湾遭難事件」が発端となり、74年5月に明治政府が台湾に出兵した事件をいう。
 台湾の歴史教科書では、必ず日本の台湾出兵について学習する。しかし、従来の教科書はパイワン族が琉球漂着民を殺害した詳しい原因は説明してない。牡丹郷では、人々に一連の事件の真相を原住民の立場から伝えるため、石門古戦場一帯を牡丹社事件歴史地域として整備し、2014年に牡丹社事件記念公園を開園。園内には、07年に宮古と和解を記念して贈った「愛と和平」の記念石像も建立された。宮古島市にある同じ記念石像は、今年の3月に下地中学校構内からカママ嶺公園に移設されている。
 当時の東アジアの秩序を揺るがしたともいえる牡丹社事件は、原住民の10大歴史事件の中での最初の出来事でもある。しかし、記録が少なく、真相を明らかにするは容易ではない。
 台沖双方での相互理解が必要だと思う。沖縄の関係各位にはぜひ一度は屏東県牡丹郷を訪ねてほしい。

(辺野喜 陳 宝来)

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