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糸満市宇江城のサメドン
「沖縄異界散歩」です。観光地ではないけど、ちょっと怖くて不思議な沖縄をご紹介します😊。
今回は沖縄県の糸満市(いとまんし)宇江城(うえぐすく)のお話です。
『遺老説伝』という古い沖縄の書物に、現在の糸満市である真壁郡宇江城で、久嘉喜鮫殿(クカキサメドノ)という男の人が、妖怪(キジムナー?)とトラブルがあった話が書かれています。
ちなみに『遺老説伝』とは18世紀にかかれた琉球の民話、自然異変、伝説などを集めた書物です。
デジタルアーカイブなどで資料を拝見することができます。こちらです。
![](https://assets.st-note.com/img/1647672008326-pCEBQIsG0r.jpg?width=800)
『遺老説伝 巻之三』伊波普猷文庫IH014-03(琉球大学附属図書館所蔵) https://shimuchi.lib.u-ryukyu.ac.jp/collection/iha/ih01403/24
う~ん。漢文だと難しいですね😅。
簡単に訳されたサイトを引用させてもらったので、ご覧ください。
昔、久嘉喜鮫殿が漁を通じて親しくなったある男が妖怪であることに気づき、その男が当山にある桑の老木に住んでいることを探し当てた。鮫殿は妻にその樹を焼かせ、妖魔は国頭に移っていった。その後、首里で鮫殿が友にその話をすると、妖魔の化身であった友が怒り小刀で鮫殿の指の間をきりつけた。それがもとで死んだ鮫殿は、指の間以外は鯖鮫のような肌で、指の間だけが柔らかかった。
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1720230.html
怖いお話ですね。妖魔の正体はキジムナーかもしれないという説があります。
この久嘉喜鮫殿のことを、サメドンと呼ばせてもらいますが、全身が固いサメ肌で指の間以外は傷をつけられなかったようです。
「果たしてサメドンは本当に人間だったのだろうか?」と考えて、「サメドンも実は妖怪で、死なずに生きていた」という設定で物語を描いてみました😊。
『ホロホロー森のキジムナ②』でサメドンが登場します。良ければ読んでみてください。
もう一人の妖怪「はなちゃん」とは「はなもー」のことです。はなもー伝説については、以前記事に書きました😊。こちらです。
糸満市の宇江城にいってみることにしました。
![](https://assets.st-note.com/img/1647673278782-ezLBPjb3y7.jpg?width=800)
こちらは宇江城グスクと呼ばれる聖域です。
![](https://assets.st-note.com/img/1647673380457-UfNkfTlSd2.jpg?width=800)
宇江城グスクという立札がありますが、文字が上書きされているような…?。ここで当たっているのか?道が整備されておらず、中には入れませんでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1647673546409-XH4GbLVe9k.jpg?width=800)
周囲を見渡すと畑が広がっています。海も見えました。サメドンはあの海へ釣りにでかけたのでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1647673641641-C5wfCWVSZO.jpg?width=800)
宇江城の住宅街から、宇江城グスクを見てみました。小高い丘になっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1647673717473-F7IZTsM9W1.jpg?width=800)
山雨の塔がありました。沖縄戦の慰霊のために建てられた塔の一つです。
雨宮巽中将率いる第24師団は昭和19年8月、満州北部から沖縄本島へ転進。翌年4月1日上陸した米軍と3カ月近く戦闘を繰り広げたが、6月24日ごろ歩兵第22連隊と歩兵第89連隊の旗を焼き、6月30日にこの地の地下壕で師団長はじめ幕僚、兵士が自決した。戦後、生存者の手で「雨宮中将戦没の跡」という木柱が建てられた。昭和37年10月、沖縄県遺族連合会が沖縄協会の委託を受け現在の塔に改修した。
https://heiwa-irei-okinawa.jp/ireitouhi/yamaamenotou/
沖縄の糸満市は、沖縄戦の激戦地でした。兵隊も住民も大勢の人たちが亡くなった土地です。
サメドンが糸満の沖縄戦を見ていたら、どう思ったのでしょうか…。そんなことを考えながら、物語を書きました。
人と人との温かい交流を信じて、世界が平和になるように活動を続けていきたいと思います。