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101番・平和台安謝線の歴史を調べてみた

沖縄県那覇市の具志営業所と、浦添市の沖縄中央卸売市場を結ぶ101番・平和台安謝線は、かつて10番・安謝線と101番・平和台団地線という別々の路線であった。
そんな別々の路線の時代から、現在に至るまでの101番・平和台安謝線の歴史を調べてみた。


10番・安謝線の歴史

まずは10番・安謝線の歴史から。

1966年に西本町~牧志~安謝のルートで運行開始

那覇交通創立30周年記念誌によると、安謝線の認可は1966年6月7日とのことである。具体の運行開始日に関する記述は無いが、1966年には運行を開始したのではないかと思われる。

1966年6月7日安謝線10台110回が認可になり7月末総認可台数155台(小型3台含む)保有台数139台となった。

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.81

1968年~1970年頃の琉球政府の陸運関係資料$${^1}$$によると、当時本社があった那覇市西本町の西本町営業所を起点とし、牧志、泊高橋、安謝を結び西本町へ戻ってくる往復15.4kmの路線だったようである。想定されるルートを以下に示す。

1968年~1970年の安謝線の想定されるルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

終点の安謝付近の詳細なルートは不明であるが、1970年当時の航空写真を見てみると、この当時は曙地区は埋め立て中であったことから、現在の安謝橋付近で折り返していたのだろうか。

安謝・曙地区 1970/05/01撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701-C9-16】を筆者が加工)

1975年までに小禄営業所~牧志~安謝のルートに変更

1975年3月末当時の路線一覧$${^2}$$によると、この時点で「安謝線」から「大嶺安謝線」となり、起点が小禄営業所へ変更されている。この小禄営業所とは、以前紹介した初代小禄営業所のことである。

西本町営業所起点から小禄営業所起点に変更になった正確な時期は不明であるが、1968年~1970年頃の琉球政府の陸運関係資料$${^1}$$では西本町起点、1975年3月末当時の路線一覧$${^2}$$では小禄営業所起点であることから、1970年~1975年の間であることは間違いなさそうだ。

1975年7月1日に発行された書籍に記載のバス路線一覧$${^3}$$によると、小禄営業所を起点とし高良、大嶺、ペリー(山下)、旭橋、牧志、泊高橋、安謝を結び小禄営業所へ戻ってくるというルートだったようである。想定されるルートを以下に示す。

1975年当時の10番・大嶺安謝線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1975年に那覇新港線が誕生しているが・・・。

那覇交通創立30周年記念誌によると、1975年(昭和50年)7月22日に「那覇新港線」という路線が運行を開始している。

昭和50年7月22日 那覇新港線運行開始

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.95

路線名だけみて、当初はこれも関係しているのかと思っていたが、この路線は当時開催されていた海洋博期間中のみ運行された臨時バス路線であった。当時の業務概況に記載のあった当該箇所を抜粋する。

海洋博期間中のみ運行された安謝新港線(那覇新港線)
昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.74より筆者が作成

1976年に三重城営業所~牧志~安謝のルートに変更

1976年5月1日に、那覇交通は那覇市内線の大再編を実施している。この再編により、すべての市内線が三重城営業所発着となり、小禄~旭橋~牧志~安謝を結んでいた10番・大嶺安謝線も、小禄~旭橋の区間が廃止され、三重城~旭橋~牧志~安謝の10番・安謝線となった。再編直後の運行ルートを以下に示す。

1976年当時の10番・安謝線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

三重城営業所発着への変更時には曙地区の埋め立てもほぼ完了していたようで、安謝橋より西側エリアの工業団地地域への乗り入れを開始している。また再編当初は、牧志経由以外に、開南経由も設定されたようであるが、こちらは翌1977年(昭和52年)には廃止となっており、早々に牧志経由のみとなった。

昭和52年8月1日 安謝線開南経由廃止

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.99

101番・平和台団地線の歴史

続いて101番・平和台団地線について。

1981年に那覇バスターミナル~開南~与根のルートで運行開始

那覇交通創立30周年記念誌によると、101番・平和台団地線の運行開始は1981年(昭和56年)2月2日のことである。那覇交通としては、1979年5月9日に運行を開始した95番・豊見城団地線$${^4}$$に続く、2つ目の団地線であった。

昭和56年2月2日 市外平和台団地線運行開始

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.104

運行開始当時のルートを以下に示す。

1981年当時の101番・平和台団地線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

運行開始当時は、那覇バスターミナルを起点とし、開南、小禄、我那覇を経由して、与根を終点とする路線であった。
なお、路線名にも入っている「平和台団地」は、豊見城市我那覇に造成された戸建ての住宅団地であるが、バスは平和台団地へは乗り入れず、団地の入口に設置された「平和台団地入口」を経由するルートであった。

平和台団地付近の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1983年に三重城営業所~壺川~小禄営業所のルートに変更

運行開始から約2年後の1983年1月には、運行ルートの大幅な変更が実施された。当時の新聞記事を抜粋して以下に示す。

昨年暮れ沖縄総合事務局からバス路線再編について免許と認可を受けた那覇交通(白石武治社長)は、新路線の運行を6日から実施する。
 (中略)
平和台団地は、現行では上泉のバスターミナルが起点になり与根折り返しであるが、新路線は三重城ターミナルと小禄営業所を結ぶ。これに伴い与儀十字路-開南間と与根入り口-与根間の路線がなくなる反面、上泉-松尾、牧志-安里-泊高橋-泊港務所前-若狭-西武門-那覇港-三重城ターミナル間が新設される。

首里-小禄直通も/那覇交通 あすからバス新路線(1983年1月5日 沖縄タイムス)

変更前後の運行ルートを以下に示す。

1983年当時の101番・平和台団地線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この時終点となった小禄営業所は、10番・大嶺安謝線の起点であった初代小禄営業所ではなく、ルート変更と同時に新設された2代目小禄営業所である$${^5}$$。

また、このルート変更時に運行本数が1日20本から1日48本と倍増されている$${^6}$$。

101番・平和台安謝線の歴史

ここから現在も運行されている101番・平和台安謝線について。

1986年ごろに2路線が統合し、小禄営業所~壺川~牧志~安謝のルートで運行開始

冒頭で書いたように、101番・平和台安謝線は、三重城~安謝を結ぶ10番・安謝線と三重城~小禄を結ぶ101番・平和台団地線が統合され誕生した。統合後にあたっては、那覇市外を経由する市外線となるためか、101番が10番を吸収する形となっている(系統番号10番の路線は消滅)。車両も市外線仕様の前乗り前降りの車両が充てられており、運賃の支払いも市外線に導入されている後払い方式ではあるのだが、国際通り内のバス停は、那覇市内線専用の松尾(現在の松尾一丁目)と牧志(現在のてんぶす前)に停車するなど、那覇市内線であった10番・安謝線を一部引き継いだところもあり、この運用は現在に至るまで残っている。

統合の時期であるが、1986年3月末時点のバス路線一覧$${^7}$$では、10番・安謝線、101番・平和台団地線となっている路線が、翌1987年3月末時点のバス路線一覧$${^8}$$では、10番・安謝線は記載が無くなり、101番・平和台安謝線となっていることから、1986年4月~1987年3月と想定される。

1986年3月末時点では10番・安謝線と101番・平和台団地線の両方が記載
昭和60年度 業務概況(1986年8月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.30を元に筆者が作成
1987年3月末時点で101番・平和台安謝線のみの記載
昭和62年度 業務概況(1987年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.30を元に筆者が作成

なお、中央卸売市場への乗り入れは、1988年9月20日のことのようなので、統合当初の港町地区のルートは、従来のルートのままだったようである。

昭和63年9月20日 沖縄県中央卸売市場への路線バス運行開始

令和4年度版 市場概要(2022年6月 沖縄県中央卸売市場発行)p.5

統合直後の想定される運行ルートを以下に示す。

1987年当時の101番・平和台安謝線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお10番・安謝線と101番・平和台団地線の重複区間は、国際通りを挟んだ、那覇市内の松尾~泊高橋とかなり短距離ではあり、なぜこの2路線が統合?という感じではあるが、10番・安謝線の廃止された国際通り以南と101番・平和台団地線の廃止された国際通り以北は、他の路線も走っていることから、この2路線であれば、統合して部分的に廃止区間が発生しても問題無いという判断かもしれない。

1993年に具志営業所~壺川~牧志~市場北口に変更

1993年3月末時点のバス路線一覧$${^9}$$では、小禄営業所が起点となっているが、1994年3月末時点のバス路線一覧$${^1}$$$${^0}$$では、具志営業所が起点となっていることから、1993年4月~1994年3月の間に起点が具志営業所へ変更されたようである。
なお前述の通り、1988年9月20日に中央卸売市場への乗り入れを開始している。
変更後の運行ルートを以下に示す。

1994年当時の101番・平和台安謝線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この小禄・豊見城側のルート(具志営業所~泊高橋)は2023年8月時点まで変更されていない。

1994年には安謝・天久地区が一方通行に変更

繰り返しにはなるが、現在のように市場北口発着となったのは、1988年9月20日のことである。市場北口発着後の安謝・天久地区の運行ルートを以下に示す。

1988年当時の安謝付近の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この当時は、安謝を経由する現在の運行ルートのほか、国道58号より西側の港町を経由するルートの2系統が存在したようである。
なおこの2系統は1994年10月1日からは1系統に統合され、往路(具志営業所発、市場北口行き)は港町経由、復路(市場北口発、具志営業所行き)は安謝経由となった。

1994年当時の安謝付近の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

以下に当時の新聞記事の抜粋を示す。

那覇交通(銀バス)が週休2日制や利用者調査などに合わせて10月1日から、那覇市内線の運行時間と路線を変更する。
 (中略)
平和台安謝線は、泊高橋から泊北岸など経て市場北口折り返し、さらに安謝、上之屋、泊高橋を回るという西側を走ってから東回りの一辺倒になる。

銀バスが運行を変更/週休2日制度に対応(1994年9月30日 沖縄タイムス)

2007年以降は赤字路線として廃止が検討

那覇交通末期の2004年7月7日時点で1日22本(上下合計で44本)運行$${^1}$$$${^1}$$されていた101番・平和台安謝線であるが、赤字路線であったようで、2007年には廃止候補にあがった。

県、国、バス会社、関係市町村でつくる県生活交通確保協議会(議長・上原良幸県企画部長)が27日午後、県庁で開かれ、那覇バスが平和台・安謝線(系統番号101番、運行距離16.8キロ)、沖縄バスは首里・屋慶名線(同180番、43.6キロ)を2007年度に廃止する方針を示した。
 (中略)
豊見城、小禄、牧志を経由して那覇市の具志営業所と県中央卸売市場を結ぶ平和台安謝線は、運行回数を減らすなどしたが赤字続きのため継続は困難としている。

バス2路線を廃止/平和台安謝線・首里屋慶名線(2007年4月28日 琉球新報)
太字は筆者によるもの

那覇市安謝・浦添市西洲地区は、101番・平和台安謝線しか路線バスが運行しておらず、かつ就業者を1万人以上有するエリアであるにも関わらず、利用者は少なかったようだ。

次に、那覇市の交通渋滞と公共交通政策についてでありますけれども、先ほどの西洲、那覇新港周辺の状況について答弁いただきました。やはり企業数、就業者におきましても、西洲、新港周辺で就業者が約1万1,000人いるわけですから、これだけの人がいるにもかかわらず、バス利用者が少ないということについては、やはりバス路線網について検討せざるを得ない要因もあろうかと思っております。

那覇市議会 2007年(平成19年)9月定例会-09月12日-03号
太字は筆者によるもの

バス会社としては、以下のようなテコ入れを行っており、2023年8月現在まで、路線自体はなんとか存続している状態である。
・2009年12月14日のダイヤ改正で、休日の運行が廃止。
・2010年3月23日のダイヤ改正で、港町経由のルートが廃止され、往路復路ともに安謝経由に変更。
・2004年7月時点で1日22本あった運行本数は、2023年8月までに1日9本にまで減便。

なお、かつては単独区間であった平和台団地付近は、2006年2月20日より55番・牧港線(琉球バス)などが乗り入れを開始しており、既に101番・平和台安謝線を残す必要は無くなっている。残った単独運行区間である安謝・西洲地区の需要が無くなれば、廃止になる可能性が高い路線である。

脚注

  1. 陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.149

  2. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.23

  3. バス・タクシー・ハイヤー運賃及び粁程表(1975年7月 沖縄観光速報発行)

  4. 那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.103

  5. 市内線など再編/那覇交通、サービス面も強化(1982年12月26日 沖縄タイムス)

  6. バス路線を大幅変更 那覇市内新年から/首里-小禄 乗り換えなしに(1982年12月26日 沖縄タイムス)

  7. 昭和60年度 業務概況(1986年8月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.30

  8. 昭和62年度 業務概況(1987年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.30

  9. 平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.29

  10. 平成6年度 業務概況(1994年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.28

  11. 那覇バスが31%減便/新運行計画/国場線など廃止 9月には増便へ(2004年7月7日 沖縄タイムス)

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