12番・末吉線の歴史を調べてみた
これまでは現存の路線の歴史を調べてきたが、今回は廃止となった路線の歴史を調べてみた。対象とするのは2003年8月9日をもって廃止となった那覇交通の12番・末吉線である。
これまで紹介してきた路線はこちら。
末吉線の運行開始は1976年
12番・末吉線の運行が開始されたのは、三重城営業所が新設され、那覇市内線の大再編が行われた1976年5月1日のことである。当時の運行ルート$${^1}$$を以下に示す。
路線名の由来は、首里末吉町を経由するためであったが、この当時は「末吉」という名称が入っているバス停は無かった。「末吉」の名称が入った「末吉公園前」が誕生するのは2004年7月18日のことである。
また、この当時は市内線の営業所は三重城営業所しかなかったこともあり、首里側では儀保⇔山川⇔鳥堀⇔儀保というループ折り返しであった。
牧志廻りと開南廻りの2系統が存在したが、認可上は起点、終点ともに三重城営業所となる循環系統$${^2}$$であったためか、牧志廻りは往路が牧志経由、復路が開南経由、一方の開南廻りは往路が開南経由、復路が牧志経由となっていた。なお、牧志廻りは牧志→儀保→鳥堀→山川→儀保→開南として時計回り、開南廻りは開南→儀保→山川→鳥堀→儀保→牧志として反時計回りで、それぞれループして折り返していたようである。
12番・末吉線の運行開始と同時に、現在の那覇市立病院前である末吉地区を初めて路線バスが通ることになったが、那覇交通創立30周年誌によると、需要としてはあまり大きくなかったようである。
1976年5月の運行開始当初$${^1}$$の運行本数は80本/日となっている。ただ前述の通り、需要喚起が見られなかったせいか、その3年後の1979年8月1日時点$${^2}$$で60本/日(牧志廻り30本/日、開南廻り30本/日)へと減便されている。
終点側が南風原町新川まで延長
1976年の三重城営業所への集約は、長大路線の定時運行への支障や、無駄な回送が多く発生し、結果として失敗と判断されたようで、その後、那覇市の北の拠点として石嶺営業所、南の拠点として小禄営業所が設置されたほか、1983年7月10日には東の拠点として那覇市に隣接している南風原町新川に新川営業所が設置された。
12番・末吉線は、この新川営業所の新設の影響を受けて、経路の変更がされている。当時の新聞記事を抜粋する。
新川営業所の歴史については、以前紹介しているのでここでは詳細は割愛するが、現在の那覇バスの新川営業所に比較的近いところに那覇交通の新川営業所が設置され、12番・末吉線はこの新川営業所まで延長された。
1983年7月10日の変更後のルートを以下に示す。
この時の再編により、牧志経由が廃止され、開南経由のみとなった。また首里でのループ折り返しが無くなったことから、儀保~鳥堀間が廃止となっている。
運行本数も牧志廻りの30本/日が丸ごと廃止となり、開南廻りの30本/日にプラス1本された31本/日のみが存続した。
ただ、このままだと牧志~首里末吉町~儀保間が減便となってしまうため、上記の新聞記事にも書いているように、(当時の)46番・西原線に末吉経由が新設されている。
起点側が那覇市小禄まで延長
1976年の運行開始以来、起点は三重城営業所であったが、1993年に那覇市小禄にある具志営業所へと変更された。当時の新聞記事を抜粋する。
1993年3月1日の変更後のルートを以下に示す。
小禄地区の新たなルート上には、1987~1988年にかけて建設された小禄市営住宅$${^3}$$、県営赤嶺市街地住宅$${^4}$$があり、需要が見込まれると判断しての路線延長だと思われる。
起点の具志営業所から赤嶺県営住宅前(現在の赤嶺駅前)間は、小禄バイパス経由であったが、需要が無いと判断されたのか、この間には全くバス停が設置されていなかった。当該区間にバス停が設置されるのは、末吉線廃止後の2006年9月1日であり、具志三丁目、具志一丁目の2つのバス停が新設されたが、こちらも長くはもたず2008年10月7日をもって廃止されている。
なお具志営業所への路線延長と同日に、終点であった新川営業所は廃止されており、鳥堀→新川→真和志高校前→鳥堀のループ折り返しに変更されている。ループ折り返しになったため、認可上は終点も具志営業所となったようである$${^5}$$。
開南経由から牧志経由へ変更
具志営業所まで延長された翌年の1994年9月には再度経路の変更が行われた。当時の新聞記事を抜粋する。
1994年10月1日の変更後のルートを以下に示す。
このときの経路変更で、1983年7月に廃止された牧志経由が復活した。一方で、1976年5月の運行開始以来から存在した開南経由が廃止されている。
また首里側での経路は、1983年7月以前のループ折り返しが復活し、これが本線という扱いになった。新川までの乗り入れルートは、真和志高校経由として朝の通学時間帯のみ残ったようである。
モノレール開通に伴い廃止
12番・末吉線が廃止されたのは2003年8月9日のことである。翌日8月10日には沖縄都市モノレールが開通している。廃止理由は「ゆいレールとの競合区間が長いため$${^6}$$」とされているが、那覇交通の判断というよりは、県の意向であった。
廃止当時の末吉線の路線図に、当時のモノレールの経路を重ねてみたが、確かにモノレール側からすると大半が重複している。ただ、廃止によりモノレール利用者の増加に貢献したかは不明である。
脚注
(広告)今日から那覇市内路線が変わりました。(1976年5月1日 沖縄タイムス)
昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.23
那覇市市営住宅ストック総合活用計画(2020年2月 那覇市)p.8
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.21
那覇市関連のバス路線再編案の概要の公表について(2003年5月 沖縄総合事務局運輸部)Webアーカイブ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?